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私ではありませんから
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「この場をもって、カスティージョ公爵令嬢との婚約を破棄させてもらう」
王立学園の卒業パーティーで、第一王子のミハエル・ゼムレブルが宣言した。
いきなり呼び出されたので何かと思えば、とカスティージョ公爵家の長女アリアナは溜め息を吐きそうになった。
「どういうことなのか、ご説明いただけますか? 殿下」
口元を扇子で覆って平静を装いつつ、アリアナは訊ねた。
「貴女は公爵家という身分を笠に着て、下級貴族や平民出身の生徒たちを見下していたらしいな。さらに、私が懇意にしているヒース男爵家のコレット嬢には嫌がらせをしていたというではないか。そのようなことをする女を、国母と認めるわけにはいかない。よって、婚約を破棄し、新たにコレット嬢を私の婚約者とする!」
ミハエルは隣に立つコレット嬢の肩を抱き寄せて、そう言い放った。
パーティー会場は静寂に包まれ、視線だけが煩く彼らに注がれていた。アリアナは再び溜め息を吐きそうになった。
しかし、殿下から伝えられた内容は、彼女にはまるで心当たりがない。
「私は、下級貴族や平民出身の生徒たちを見下したことはありません。もし誤解を与えてしまうような言動があったのなら、心より謝罪します。ヒース男爵令嬢に対しても、婚約者がいる殿方に必要以上に近づかないようにと注意をしたことはありますが、嫌がらせに関しては一切記憶にございません」
「そんなはずはない。コレット嬢はこれまでに、いくつもの嫌がらせを受けてきた。教科書を破かれたり、私物を壊されたり。一ヶ月前には何者かに階段から突き落とされたというではないか。すべて、貴女が企てたことではないのか!」
毅然とした態度のアリアナと、そんな彼女を自信満々に告発するミハエル。そして、王子の腕の中で目を潤ませているコレット。
会場にいる者たちは、その様子をじっと見守っていた。
「そうですか……」
アリアナは、やれやれと呆れたように言った。
「お話は判りました。婚約破棄の件、父と妹に報告させていただきます」
その言葉を聞いて、王子は眉をひそめた。
「待て。父親は判るが、なぜ妹に報告する必要があるのだ?」
「だって、殿下の婚約者は私ではありませんから」
「は?」
ミハエルは呆気に取られた。コレット嬢も意味が判らないといった表情をしている。
「どういうことだ。私の婚約者は、カスティージョ公爵令嬢なのだろう?」
「元、です。たった今、婚約の破棄を宣言されたではありませんか。この婚約は王家と公爵家の間で交わされたものなので、殿下の一存で決められることではありません。ですが、卒業パーティーという皆の門出を祝う場で、このような騒ぎを起こしてしまったのですから、きっと婚約関係は見直されることでしょう」
この場に集まる卒業生たちは何も言わなかったが、内心ではアリアナの言葉に大きくうなずいていた。ミハエルの国王としての資質についても首を傾げていることだろう。
「そ、それで、貴女が婚約者だったのだろう?」
「いえ、違います。殿下の婚約者は、私の妹のリリアナです」
それを聞いて、会場は再び静寂に包まれた。
卒業生たちの中には事情を知らない者たちもいるだろうが、王家とつながりの深い上級貴族の卒業生たちは理解していた。
「な、なぜ長女である貴女ではなく、妹のほうなのだ?!」
ミハエルは声をあげた。会場中にその声が響き渡る。
「逆にお尋ねしますが、なぜ殿下は私が婚約者だと思い込んでいたのですか?」
はぁ──。
アリアナは、今度は溜め息を隠そうとはしなかった。
「だって、私の婚約者なのだから、同世代でもっとも高貴な地位にいる貴女が選ばれたのだと……」
「定期的に行われている、婚約者との顔合わせの茶会。そこで妹と会っているはずですが?」
「髪と瞳の色が、貴女と同じだった」
アリアナはこめかみを押さえた。
そんな理由で、私と妹を間違えていたのか──と。
確かに、アリアナと妹のリリアナは同じ色の髪と瞳をしている。しかし、姉は父親似の凛々しさが感じられ、妹は母親似で大人しく可愛らしい顔立ちをしていた。遠目に見た感じはそっくりかもしれないが、ちゃんと顔を合わせていれば違うとすぐ判るはずである。
それに、自分の婚約者候補の条件を知っているということは、この婚約が政略的だということも理解していたはずである。ならば、コレット嬢は側妃に据えるべきだという考えにも至ることができただろう。
それなのに、どうしても彼女を正妃にしたかったミハエルは、婚約者であるカスティージョ公爵令嬢を貶めて、婚約破棄をすることで自らの行いを正当化しようとしたらしい。
「殿下がとんでもない勘違いをしていたことは判りました。しかし、これで私がヒース男爵令嬢に、嫌がらせをする理由がないことが証明されたと思います」
「そ、そんなはずありません!」
コレット嬢が声をあげる。
「確かに、私はイジメられてました! アリアナ様じゃないなら、きっとその妹さんがやったんです!」
彼女はそう訴えるが、アリアナは冷静に首を横に振った。
「それはあり得ません」
「どうしてですか?!」
「妹はまだ、学園の生徒ではありませんので」
コレット嬢が口をぽかんとさせる。これには周りからクスクスと堪え切れなかった笑い声が聞こえてきた。
リリアナは来年、学園に入学予定なのである。学園への立ち入りは厳しく、生徒の家族でも簡単に出入りすることはできない。なので、生徒ではないリリアナが彼女に嫌がらせをすることは実質不可能なのである。
「じゃあ、妹を貶めるためにやったんですよ! 自分がミハエル様の婚約者になりたいから!」
めげずにコレット嬢は主張する。
しかし、それもあり得ないことなのだ。
「私には婚約者がおります。卒業後は、その方のもとに嫁ぐ予定です。王妃の座に興味はありませんし、貴女に害を成す理由はないのです」
王子の婚約者でもなく、王妃の座にも興味がない。そう言われてしまえば、コレット嬢にはもう何も言い返すことはできなかった。
「一体、どこに嫁ぐというのだ」
ミハエルが訊ねる。まだ、彼女が婚約者ではなかったという事実を受け入れきれていないようだった。
「同盟国である、帝国の皇太子殿下のもとです」
帝国との同盟は数年前に結ばれ、皇太子との婚約はその証だった。しかし当時の王家には皇太子と釣り合う姫君がいなかった。そのため過去に王女が降嫁したことがあり、第二の王家と言われているカスティージョ家の長女であるアリアナに白羽の矢が立ったのだった。
そして側妃の子であるミハエル殿下の後ろ盾として、妹のリリアナが彼の婚約者として選ばれたのである。
「まさか、殿下がご自分の婚約者を勘違いしていた挙句、同盟国の皇太子の婚約者を無実の罪で糾弾するとは……」
呆れて物が言えないとは、まさにこのことである。
ミハエルとコレットは、もはや嘲笑の的だった。
「そもそも、殿下がきちんとリリアナに向き合っていれば、こんなことにはならなかったのです」
意気消沈な王子に、アリアナは追い打ちをかける。
「妹は言っていました。殿下からお手紙や贈り物を賜ったことはない、と。茶会のときはまともに目を合わせることはなく、お茶を一杯だけ飲み干すと、すぐに席を立ってしまい、まともに会話をしたことがないと」
アリアナが語る実状に、この場にいないリリアナに対する同情の声が聞こえてくる。
形だけでも、婚約者としてきちんと振る舞っていれば、こんな勘違いをすることはなかったのだ。そして、公衆の面前での婚約破棄ではなく、しかるべき手続きのもと婚約の解消を国王に願い出れば、もしかしたら──。
「まあ、別の令嬢を侍らせて婚約者を蔑ろにする相手など、たとえ王子であったとしても公爵家は願い下げですけどね。──ところで、殿下。貴方は婚約者の顔だけでなく、名前すら憶えていらっしゃらなかったようですね?」
アリアナに言われて、ミハエルはビクッと身体を震わせる。
確かに、ミハエルは婚約者だと勘違いしていたとはいえ、彼女のファーストネームを一度も呼んではいなかった。
「私を婚約者だと思い込むくらい、婚約者に関心がなかったとはいえ、まさか名前すら出てこないとは……さすがに無関心すぎやしませんか?」
そう言ったアリアナの視線は、冷ややかなものであった。
もはやミハエルも何も言い返すことはできなかった。
「国王となられるのであれば、もっと他人に関心を持つべきでしたね」
〇
後日、ミハエル・ゼムレブル殿下とリリアナ・カスティージョ公爵令嬢の婚約は正式に破棄され、ミハエルは騒ぎを起こした責任で、廃嫡となった。公爵令嬢を貶める発言をしたコレット・ヒース男爵令嬢は修道院へ送られた。ちなみに、嫌がらせはすべて自作自演だったという。
アリアナ・カスティージョ公爵令嬢は、無事に帝国へ輿入れし、皇太子妃として日々研鑽を積んでいるという。また、王家との婚約から解放されたリリアナは留学と称して姉とともに帝国に渡ったそうだ。
王立学園の卒業パーティーで、第一王子のミハエル・ゼムレブルが宣言した。
いきなり呼び出されたので何かと思えば、とカスティージョ公爵家の長女アリアナは溜め息を吐きそうになった。
「どういうことなのか、ご説明いただけますか? 殿下」
口元を扇子で覆って平静を装いつつ、アリアナは訊ねた。
「貴女は公爵家という身分を笠に着て、下級貴族や平民出身の生徒たちを見下していたらしいな。さらに、私が懇意にしているヒース男爵家のコレット嬢には嫌がらせをしていたというではないか。そのようなことをする女を、国母と認めるわけにはいかない。よって、婚約を破棄し、新たにコレット嬢を私の婚約者とする!」
ミハエルは隣に立つコレット嬢の肩を抱き寄せて、そう言い放った。
パーティー会場は静寂に包まれ、視線だけが煩く彼らに注がれていた。アリアナは再び溜め息を吐きそうになった。
しかし、殿下から伝えられた内容は、彼女にはまるで心当たりがない。
「私は、下級貴族や平民出身の生徒たちを見下したことはありません。もし誤解を与えてしまうような言動があったのなら、心より謝罪します。ヒース男爵令嬢に対しても、婚約者がいる殿方に必要以上に近づかないようにと注意をしたことはありますが、嫌がらせに関しては一切記憶にございません」
「そんなはずはない。コレット嬢はこれまでに、いくつもの嫌がらせを受けてきた。教科書を破かれたり、私物を壊されたり。一ヶ月前には何者かに階段から突き落とされたというではないか。すべて、貴女が企てたことではないのか!」
毅然とした態度のアリアナと、そんな彼女を自信満々に告発するミハエル。そして、王子の腕の中で目を潤ませているコレット。
会場にいる者たちは、その様子をじっと見守っていた。
「そうですか……」
アリアナは、やれやれと呆れたように言った。
「お話は判りました。婚約破棄の件、父と妹に報告させていただきます」
その言葉を聞いて、王子は眉をひそめた。
「待て。父親は判るが、なぜ妹に報告する必要があるのだ?」
「だって、殿下の婚約者は私ではありませんから」
「は?」
ミハエルは呆気に取られた。コレット嬢も意味が判らないといった表情をしている。
「どういうことだ。私の婚約者は、カスティージョ公爵令嬢なのだろう?」
「元、です。たった今、婚約の破棄を宣言されたではありませんか。この婚約は王家と公爵家の間で交わされたものなので、殿下の一存で決められることではありません。ですが、卒業パーティーという皆の門出を祝う場で、このような騒ぎを起こしてしまったのですから、きっと婚約関係は見直されることでしょう」
この場に集まる卒業生たちは何も言わなかったが、内心ではアリアナの言葉に大きくうなずいていた。ミハエルの国王としての資質についても首を傾げていることだろう。
「そ、それで、貴女が婚約者だったのだろう?」
「いえ、違います。殿下の婚約者は、私の妹のリリアナです」
それを聞いて、会場は再び静寂に包まれた。
卒業生たちの中には事情を知らない者たちもいるだろうが、王家とつながりの深い上級貴族の卒業生たちは理解していた。
「な、なぜ長女である貴女ではなく、妹のほうなのだ?!」
ミハエルは声をあげた。会場中にその声が響き渡る。
「逆にお尋ねしますが、なぜ殿下は私が婚約者だと思い込んでいたのですか?」
はぁ──。
アリアナは、今度は溜め息を隠そうとはしなかった。
「だって、私の婚約者なのだから、同世代でもっとも高貴な地位にいる貴女が選ばれたのだと……」
「定期的に行われている、婚約者との顔合わせの茶会。そこで妹と会っているはずですが?」
「髪と瞳の色が、貴女と同じだった」
アリアナはこめかみを押さえた。
そんな理由で、私と妹を間違えていたのか──と。
確かに、アリアナと妹のリリアナは同じ色の髪と瞳をしている。しかし、姉は父親似の凛々しさが感じられ、妹は母親似で大人しく可愛らしい顔立ちをしていた。遠目に見た感じはそっくりかもしれないが、ちゃんと顔を合わせていれば違うとすぐ判るはずである。
それに、自分の婚約者候補の条件を知っているということは、この婚約が政略的だということも理解していたはずである。ならば、コレット嬢は側妃に据えるべきだという考えにも至ることができただろう。
それなのに、どうしても彼女を正妃にしたかったミハエルは、婚約者であるカスティージョ公爵令嬢を貶めて、婚約破棄をすることで自らの行いを正当化しようとしたらしい。
「殿下がとんでもない勘違いをしていたことは判りました。しかし、これで私がヒース男爵令嬢に、嫌がらせをする理由がないことが証明されたと思います」
「そ、そんなはずありません!」
コレット嬢が声をあげる。
「確かに、私はイジメられてました! アリアナ様じゃないなら、きっとその妹さんがやったんです!」
彼女はそう訴えるが、アリアナは冷静に首を横に振った。
「それはあり得ません」
「どうしてですか?!」
「妹はまだ、学園の生徒ではありませんので」
コレット嬢が口をぽかんとさせる。これには周りからクスクスと堪え切れなかった笑い声が聞こえてきた。
リリアナは来年、学園に入学予定なのである。学園への立ち入りは厳しく、生徒の家族でも簡単に出入りすることはできない。なので、生徒ではないリリアナが彼女に嫌がらせをすることは実質不可能なのである。
「じゃあ、妹を貶めるためにやったんですよ! 自分がミハエル様の婚約者になりたいから!」
めげずにコレット嬢は主張する。
しかし、それもあり得ないことなのだ。
「私には婚約者がおります。卒業後は、その方のもとに嫁ぐ予定です。王妃の座に興味はありませんし、貴女に害を成す理由はないのです」
王子の婚約者でもなく、王妃の座にも興味がない。そう言われてしまえば、コレット嬢にはもう何も言い返すことはできなかった。
「一体、どこに嫁ぐというのだ」
ミハエルが訊ねる。まだ、彼女が婚約者ではなかったという事実を受け入れきれていないようだった。
「同盟国である、帝国の皇太子殿下のもとです」
帝国との同盟は数年前に結ばれ、皇太子との婚約はその証だった。しかし当時の王家には皇太子と釣り合う姫君がいなかった。そのため過去に王女が降嫁したことがあり、第二の王家と言われているカスティージョ家の長女であるアリアナに白羽の矢が立ったのだった。
そして側妃の子であるミハエル殿下の後ろ盾として、妹のリリアナが彼の婚約者として選ばれたのである。
「まさか、殿下がご自分の婚約者を勘違いしていた挙句、同盟国の皇太子の婚約者を無実の罪で糾弾するとは……」
呆れて物が言えないとは、まさにこのことである。
ミハエルとコレットは、もはや嘲笑の的だった。
「そもそも、殿下がきちんとリリアナに向き合っていれば、こんなことにはならなかったのです」
意気消沈な王子に、アリアナは追い打ちをかける。
「妹は言っていました。殿下からお手紙や贈り物を賜ったことはない、と。茶会のときはまともに目を合わせることはなく、お茶を一杯だけ飲み干すと、すぐに席を立ってしまい、まともに会話をしたことがないと」
アリアナが語る実状に、この場にいないリリアナに対する同情の声が聞こえてくる。
形だけでも、婚約者としてきちんと振る舞っていれば、こんな勘違いをすることはなかったのだ。そして、公衆の面前での婚約破棄ではなく、しかるべき手続きのもと婚約の解消を国王に願い出れば、もしかしたら──。
「まあ、別の令嬢を侍らせて婚約者を蔑ろにする相手など、たとえ王子であったとしても公爵家は願い下げですけどね。──ところで、殿下。貴方は婚約者の顔だけでなく、名前すら憶えていらっしゃらなかったようですね?」
アリアナに言われて、ミハエルはビクッと身体を震わせる。
確かに、ミハエルは婚約者だと勘違いしていたとはいえ、彼女のファーストネームを一度も呼んではいなかった。
「私を婚約者だと思い込むくらい、婚約者に関心がなかったとはいえ、まさか名前すら出てこないとは……さすがに無関心すぎやしませんか?」
そう言ったアリアナの視線は、冷ややかなものであった。
もはやミハエルも何も言い返すことはできなかった。
「国王となられるのであれば、もっと他人に関心を持つべきでしたね」
〇
後日、ミハエル・ゼムレブル殿下とリリアナ・カスティージョ公爵令嬢の婚約は正式に破棄され、ミハエルは騒ぎを起こした責任で、廃嫡となった。公爵令嬢を貶める発言をしたコレット・ヒース男爵令嬢は修道院へ送られた。ちなみに、嫌がらせはすべて自作自演だったという。
アリアナ・カスティージョ公爵令嬢は、無事に帝国へ輿入れし、皇太子妃として日々研鑽を積んでいるという。また、王家との婚約から解放されたリリアナは留学と称して姉とともに帝国に渡ったそうだ。
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