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運命の出会い
生きる動機
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すずはナルのつくってくれたアップルパイとホットミルクをおいしそうにたいらげると、そのまま眠ってしまいました。
あまり食べることに関心のなかったナルでしたが、リンゴ、クラッカー、チーズ程度は「生命維持」くらいのつもりで食べていたので、リンゴはたまたま買い置きがありました。
それがアップルパイに好適かどうかはともかくとして、リンゴのコンポートは小学校の実習でつくった記憶があるので、それをパイのフィリングにできるだろうと思いました。
スーパーでパイシートと砂糖、シナモン、パイ皿などを買い、不審点は調べつつ、難なくこしらえてしまいました。
「お兄ちゃんならお店のよりおいしいものをつくれる」というのは、すずの気を引くための何の根拠もない発言でしたが、結果的にすずは大喜びでした。
ナルはもう、すずを家に帰す気はありません。
両親は既に亡く、彼女がどんな格好でいてもお構いなしの祖母と暮らしていることに心から同情しました。
すずが寝ている間に、彼女とずっと一緒に暮らすためのざっくりした計画を立てました。
すずの小さく温かな手のひらが自分に差し伸べられたとき、「僕はこれから、この子のためだけに生きたい」と思ってしまったのです。
お金はありましたが、まだ学生だったので、できることは限られています。
交際していた大学の教員が、自分の持っている別荘を貸してくれたので、しばらくはそこに身を置くことにしました。
「いろいろあったので、気分転換をしたい」という動機で借りたのですが、「しばらく1人になりたいんです。分かってもらえますか?」という一言を付け加えるのを忘れませんでした。
通学しにくくなったので休学した後、結局学校はやめてしまい、同時に教員との関係も解消しました。
ナルへの恋情を断ちがたかった教員は、別れたくないと嘆きましたが、「僕は先生のことを、尊敬したままお別れしたいんです」とまっすぐに目を見て言われ、彼の言いなりになりました。
その頃には少し離れた街に新居を手に入れていました。
それが、現在ベルとナルが暮らす「白い家」です。
***
すずはナルをたいへん慕っていたものの、時々「おばあちゃん」を恋しがって泣くこともありました。
しかしナルの尽力によって、そういった記憶は見事に書き換えられました。
ナルはすずを「ベル」と呼ぶようになりました。
ベルも最初は「すずだよ」と、時には笑いながら、時にはほほを膨らませて反論していたものの、次第に自分の名前はベルであると認識するようになったのです。
「わたしの名前はベル。家族はナル。何歳かは分からない。ナルは『年齢は人間にとって最もどうでもいい情報だよ』と言っていた。ナルが言うんだから間違いない」
これが「すず」改め「ベル」にとって、最も基礎的なパーソナルデータです。
戸籍も住民票も、もともと住んでいた街にいたときのままになっているため、ベルは学校に通うことも、病院に行くことも、海外旅行に行くこともできませんが、ナルはベルがそれに疑問や不満を持たないように心を砕き、ほぼ洗脳に近い状態で信頼を勝ち得ました。
時々「おばあちゃん」や「ぞうさんのすべり台のある公園」のこと、自分が「すず」と呼ばれていたことを夢に見ましたが、目が覚めると詳細を忘れ、その代わり「ナル、頭が痛いよ」と訴えました。
そんなふうに具合が悪いときは、ナルが調合した薬で治していました。
ナルは、自分はベルのためだけに生きているという思いが強かったので、ふたりきりの生活の中に邪魔が入るのを何より嫌い、近親者が自分たちを探し当てないようにすることに知恵を絞りました。
邪魔するものは、犬だろうが猫だろうが――中学生の少年だろうが、積極的に鮮やかな手際で、その存在を破棄しました。
そして、常に考えていることがありました。
「私はベルのために、ベルより1日でも長く生きなければならない」
ベルとの年齢差や男女の平均寿命の違いを考えると、不可能ではないにせよ、あまり自然ではない考え方でしたが、その思いが無気力に過ごしていたナルの生きる動機になりました。
あまり食べることに関心のなかったナルでしたが、リンゴ、クラッカー、チーズ程度は「生命維持」くらいのつもりで食べていたので、リンゴはたまたま買い置きがありました。
それがアップルパイに好適かどうかはともかくとして、リンゴのコンポートは小学校の実習でつくった記憶があるので、それをパイのフィリングにできるだろうと思いました。
スーパーでパイシートと砂糖、シナモン、パイ皿などを買い、不審点は調べつつ、難なくこしらえてしまいました。
「お兄ちゃんならお店のよりおいしいものをつくれる」というのは、すずの気を引くための何の根拠もない発言でしたが、結果的にすずは大喜びでした。
ナルはもう、すずを家に帰す気はありません。
両親は既に亡く、彼女がどんな格好でいてもお構いなしの祖母と暮らしていることに心から同情しました。
すずが寝ている間に、彼女とずっと一緒に暮らすためのざっくりした計画を立てました。
すずの小さく温かな手のひらが自分に差し伸べられたとき、「僕はこれから、この子のためだけに生きたい」と思ってしまったのです。
お金はありましたが、まだ学生だったので、できることは限られています。
交際していた大学の教員が、自分の持っている別荘を貸してくれたので、しばらくはそこに身を置くことにしました。
「いろいろあったので、気分転換をしたい」という動機で借りたのですが、「しばらく1人になりたいんです。分かってもらえますか?」という一言を付け加えるのを忘れませんでした。
通学しにくくなったので休学した後、結局学校はやめてしまい、同時に教員との関係も解消しました。
ナルへの恋情を断ちがたかった教員は、別れたくないと嘆きましたが、「僕は先生のことを、尊敬したままお別れしたいんです」とまっすぐに目を見て言われ、彼の言いなりになりました。
その頃には少し離れた街に新居を手に入れていました。
それが、現在ベルとナルが暮らす「白い家」です。
***
すずはナルをたいへん慕っていたものの、時々「おばあちゃん」を恋しがって泣くこともありました。
しかしナルの尽力によって、そういった記憶は見事に書き換えられました。
ナルはすずを「ベル」と呼ぶようになりました。
ベルも最初は「すずだよ」と、時には笑いながら、時にはほほを膨らませて反論していたものの、次第に自分の名前はベルであると認識するようになったのです。
「わたしの名前はベル。家族はナル。何歳かは分からない。ナルは『年齢は人間にとって最もどうでもいい情報だよ』と言っていた。ナルが言うんだから間違いない」
これが「すず」改め「ベル」にとって、最も基礎的なパーソナルデータです。
戸籍も住民票も、もともと住んでいた街にいたときのままになっているため、ベルは学校に通うことも、病院に行くことも、海外旅行に行くこともできませんが、ナルはベルがそれに疑問や不満を持たないように心を砕き、ほぼ洗脳に近い状態で信頼を勝ち得ました。
時々「おばあちゃん」や「ぞうさんのすべり台のある公園」のこと、自分が「すず」と呼ばれていたことを夢に見ましたが、目が覚めると詳細を忘れ、その代わり「ナル、頭が痛いよ」と訴えました。
そんなふうに具合が悪いときは、ナルが調合した薬で治していました。
ナルは、自分はベルのためだけに生きているという思いが強かったので、ふたりきりの生活の中に邪魔が入るのを何より嫌い、近親者が自分たちを探し当てないようにすることに知恵を絞りました。
邪魔するものは、犬だろうが猫だろうが――中学生の少年だろうが、積極的に鮮やかな手際で、その存在を破棄しました。
そして、常に考えていることがありました。
「私はベルのために、ベルより1日でも長く生きなければならない」
ベルとの年齢差や男女の平均寿命の違いを考えると、不可能ではないにせよ、あまり自然ではない考え方でしたが、その思いが無気力に過ごしていたナルの生きる動機になりました。
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