心配性の女

あおみなみ

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心配性なものだから

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 和光わこうみずきという女性は、一見平凡な、それこそ40代の女性が10人いたら3、4人はこのタイプではと思うような雰囲気を持っている。

 中肉中背で十人並みの容姿で、自分がいわゆるかなどあまり気にしたことがなく、20代の頃から同じようなメイクをしている。
 それは時代に合わせてアップデートしていないから、ではない。20代の頃から無難な色味を好み、絶対に冒険しないという意味だ。
 装いも同様で、白、紺、あるいはアースカラーのシンプルな形のものを好んでいるし、バッグや靴もおおむね黒か茶色でまとめている。だから、服装や持ち物で人に印象づけることもない。

 この説明だけだと、彼女の個性を一言で説明するなら「地味」ということになるだろう。

 しかし、彼女に近しい人間、例えば親、配偶者、付き合いの長い友人などは、全く別の単語を口にする。

 それはずばり、「心配性」である。

◇◇◇

 心配性のみずきは、朝のゴミ出し時でも玄関を施錠してから出かける。
 小さな一戸建てで、2歳年上の夫と2人暮らし。ごみステーションは歩いて1分とかからないところにあるし、そもそも夫が家にいるのだから、「鍵までかけなくてもいいのに」といつも呆れ顔で笑われる。

 しかしみずきにしてみれば、「自分がちょっとした間隙すきをねらって、変な人がこっそり家に入るかもしれないから」心配なのだ。
 夫が「なら、僕がゴミ捨てに出るようにするよ」と提案するが、そもそもひとり在宅時、常に内側から鍵をかけている彼女には、「で?」という話になってしまうし、そもそも夫にゴミ捨てを頼む気などない。
 「これから出勤の人にゴミ捨てというを強いるリスク」的なものについて、ありとあらゆる奇想天外な仮定を持ち出してきかねないので、夫としては「いつもすまないね」と引っ込むだけだ。

 近所へのちょっとした買い物のときでも、指差し確認に余念がない。
 玄関、勝手口の鍵、ガスの元栓は言うに及ばず、家電製品のプラグも確認し、時にはそれらを全部抜きかねないくらいだ。

 もちろん指差し確認自体は悪い習慣ではないが、夫と2人で外出というときなど、普段は温厚な夫でも「もういい加減にしないか」と言ってしまうほど、2度、3度と繰り返すことがある。

◇◇◇

 そんなみずきが、バスに乗って15分の繁華街にあるデパートに行くことになった。
 夫の両親の金婚式が間近なので、その贈り物を買うためだ。
 
 夫と話し合って、大体の品物や予算の見当はつけてある。
 かねは出先でおろしてもよかったが、そこで「マシントラブルがあったら」「銀行強盗に巻き込まれたら」など考えて前日におろした。
 ただ、そのせいで、「そこそこの金額の入った封筒をどこで保管するか」「翌日、保管場所を忘れたらどうしよう」などと、結局心配の種は尽きない。
 メモしておくという手もあるが、そのメモの存在を忘れてしまったらどうしよう…という心配まである。

 ここまで心配性だと、滅多なことで「忘れる」ことはないのだが、万全であろうとすればするほど気疲れしてしまうのも辛いし、かといって、適当にやろうとするのも、彼女にとってはストレスのもとになる。

 当日のみずきは、ポケットのたくさんあるバッグインバッグに必要なものを全部入れ、2回確認した。
 財布、スマホ、鍵、カードケース、手帳、化粧ポーチ以外のほか、「おろした金の入った封筒」と「買う予定の品物を書いたメモ」も、それぞれ別のポケットに入れた。

 そこでふと彼女の頭にある状況が浮かぶ。
 実際に見たことはないが、イメージできる状況――例えば自分が留守中の火事、空き巣被害などだ。
 そのリスクが高かろうが低かろうが関係ない。滅多に起こらないことであっても、万が一、たまたまたった一度起きてしまったら、それが「すべて」なのだ。

 家から火が出るような要素はないはずだが、不審火に巻かれた自分の家の惨状をちらりと想像してみる。
 通帳類を整理しているのはスチール製の棚だが、隙間から入った火で燃えるかもしれない――と思ったら、ぶるっと体が揺れた。
 
 こういうときのために金庫を買っておくんだったと少し後悔した。
 そういえば、桐のタンスも実は火に強いと聞いたことがあったのを思い出したりもするが、いずれにしても今からではどうにもならない。
 それらを用意するため、本日の買い物は中止――にするのも、何となくピンとこない。

 出不精のみずきにしては いつもよりも外出時間が長いので、普段は家に置いてあるカード類、通帳、判子なども、念のため一切合切まとめて持ち出すことにした。
 本来なら洋服や宝飾品のたぐいも持っていきたいところだったが、さすがに大荷物になってしまう。
 エンゲージリングとしてもらったダイヤモンドと、誕生日にもらったお気に入りのスカーフだけ持っていくことに決めた。
 意外と荷物が大量になってしまったので、最初の想定よりも大き目のバッグにそれらを入れ、到着予定時刻の5分前にバス停へと赴いた。

◇◇◇

 デパートというのは、みずきにとっては滅多に来ない、きらびやかな空間である。
 めったに履かないパンプスのヒール部分がキュッキュと鳴る。
 自ら発しているはずのその音が、彼女の緊張を高めた。

(トイレ…は、1階にはないんだっけ…)

 みずきは婦人傘売り場のすぐ近くにあったエスカレーターに乗って2階に上がると、トイレの案内板を探した。
 どうやらヤングカジュアル商品が中心のフロアのようで、あまりおなじみでない洋服や小物のディスプレイに別の意味で緊張したが、とりあえずはトイレで用を足して、少し気を楽にしようと思った。

 近代的なトイレの中は、至れり尽くせりだ。
 トイレの個室のほかに、着替えができるブースもあるし、手洗い場とは別の場所にパウダールームもある。

 大きな鏡の前に、落ち着いた色のクロス張りのイームズチェアがあって、カフェのようにしゃれているし、脱脂綿や綿棒も自由に使えるようだ。それらが幅1メートル、奥行き60センチほどの天板の片隅に、きちんと整頓しておかれている。
 みずきは手をしっかり洗ってから、念のために化粧を直すことにした。

 ふんわりと座り心地のいいチェアに腰を下ろすと、「ふうっ」と軽く一息ついた。
 たまのおしゃれはいろいろと気を使うが、こういうのも何となく楽しいな――とも感じていた。
 
 みずきはそんな、珍しくリラックスした状態で化粧用のポーチを取り出すと、深く考えずにバッグを天板の右横部分に置いた。
 すると、自分の右のスペースに若い女が近づいてきて、腰をかけるのかと思いきや、みずきのバッグをぱっとつかみ、素早く去っていった。

「え、ちょっと…」

 みずきが(のんきに)この言葉を発したときには、女の姿はトイレ内に既になかった。
 チェアに腰かけていたため、最初の対応が遅れてしまったことも痛かった。
 あまりのことにあっけにとられたものの、何とか気を取り戻してトイレの外に出たが、ひったくり女――と思われる人間の姿は見つからなかった。

 「暗い色の洋服を身に着けていて、フードをかぶっていたから顔は見えなかった」

 そもそもこれだけの情報で、特定できるわけはない。

◇◇◇
 
 デパートに事情を話す。
 警察に届ける。
 銀行やカード会社に使用停止の連絡をする。
 家族(夫)に事情を話す。

 みずきは、手元に残った化粧ポーチをひざの上に置き、休憩所のサーバーからくんだ水を飲んでいた。
 そうして、今やるべきことを考えると、大ざっぱにこの4つだろうと頭を整理した。

 頭の中は無理やり整理しても、感情の方が追い付かない。
 
 今までの人生で、窃盗、万引き、ひったくり、置き引きといったたぐいの総てが無縁だった。
 加害はもちろんのこと、被害に遭ったこともなかったのだ。
 まるで悪夢のような、現実味の全くない、しかし世間にはありふれているらしいひったくり被害。
 
 デパートのスタッフに話せば、防犯カメラをあらためてくれるだろうか。
 警察に、取られたバッグの中身を聞かれたら、「なぜそんなに持ち歩いていたんですか?」と、逆にあやしまれないだろうか。

 バス運賃のプリペイドカードも小銭もないので、家までは歩いて帰るしかない。
 家に帰ったら、すぐにいろいろなところに連絡をしなければならないし、一刻も早く動くことが重要だ。

 それは分かっているが、みずきの体は根が生えたように、休憩所の椅子から動けそうになかった。

【了】

◇◇◇

 というような妄想をとりあえず小説風に書いてはみたけれど、私が思いつく程度の話、私が知らないだけで、きっと既に書かれているに違いない…パクりとか言われるのかな…でも、アイデア自体に著作権?的なものはなかったはずだから、よほどカブる箇所がない限り盗作にはならないだろう…でも…など思いつつ、「下書き保存する」と書かれたボタンをクリックした、そんな素人作家の物語である。

【今度こそ本当に 完】
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