初恋ガチ勢

あおみなみ

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第16章 「俺――あの時計で5時までここにいていいですか?」【千弦と聡二】

柔らかくて、温かで、とてもいいにおいがする。【聡二】

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 映画『チャーリング・クロス街84番地』は、見よう見よう思って見られずにいただけなのだが、見ないでおいて本当によかった。まさかこんなチャンスに恵まれるとは思っていなかったのだ。
 オスカー俳優が4人も出演しているのに、何もかもが地味な作品なのだが、俺は非常に気に入った。

 千弦さんがかつて「本好きにおすすめ」と言った意味が実感できた。
 彼女にとっては何度目の鑑賞になるか分からないが、ちらちら盗み見ると、横顔が本当に美しく生き生きしている。
「私がやってもさまにならないから、まねしようとは思わないけど、アン・バンクロフトが本当にかっこよくてねえ」
 と、ジンの入ったグラスを片手に喫煙するシーンや、ぶつぶつ言いながらタイプライターを軽快にたたくシーンなどについて、身振り手振りで話してくれた。彼女自身も「文章を書く人」なので、そういう意味での思い入れが強いのだろう。

 俺は、アパートの外で愛を語り合う恋人同士を見た主人公が、「恋愛の詩集が読みたい」と古書店に手紙を書くエピソードが心に残った。
 うまく言えないが、あのニュアンスはちょっと理解できた気がする。
 恋をしたり恋を意識したりすると、何となく観念的になるものだという、あの感じだ。
 そのシーンの話をしたら、「へえ。聡二君がそこを指摘したのは意外だったわ――って言ったら失礼かな?」と言われた。
「いや、俺自身結構驚いていますので」

 横顔を盗み見たり、湯飲みを包むように持つ、指の長い白い手を握りたい衝動を抑えたりしながら、気の利いた感想が言えるように、頭はフル稼働していた。
 俺は彼女に余裕のあるところを見せたくて、かえって余裕をなくしている。
 今までに全く味わったことのない感覚だ。
 戸惑いも痛みもあるが、嫌な感じではない。

「私は映画は基本的に1人で見るんだけど、こんなふうに感想をシェアできるのもすてきね」
 という言葉が添えられた笑顔が、今日の俺への何よりの報酬だった。

◇◇◇

 そろそろおいとまします、と言った俺の後に続き、千弦さんが玄関口で見送ってくれた。
 俺と千弦さんは、30センチ近い身長差があるので、15センチ(くらい)の上がりかまちの上に立っていても、千弦さんの頭は俺より下にある。
「今日はありがとう。帰り、気を付けてね」
 と振る千弦さんの手を取って軽く引っ張り、ぎゅっと抱きしめた。

 柔らかくて、温かで、とてもいいにおいがする。
「聡二…君」
「俺――今年1年は全力で走ります。あなたがどこにいても追いつきます」
 約束の「次の告白」までの宣言のつもりだったが、自分で言ったくせに、恥ずかしくて顔を見られなくなってしまった。
 彼女の体から手を離し、一方的に外に出たのはまずかっただろうか。
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