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第9章 「気持ちが悪いやつだな」と言われ、「お前が言うなよ」と返した。【千弦と聡二】
「えと、これ落としましたよ――おねえさん」【ハル】
しおりを挟む聡二が好きな「千弦」という女性は、カフェを経営しながらライターを兼業しているという。
シングルで娘さんを私学に通わせているということは、店の経営にしろライター業にしろ、なかなかのやり手なのではないだろうか。
34歳だからそう高齢ではないが、だからとって中学生を相手にする年齢とも思えない。状況次第では警察案件だしな。
聡二は娘さんからせしめたという切り抜き(雑誌やタウン誌で店や本人が紹介されたこともあるらしい)をこっそり大事にしているようで、「美人だろう?中身ももちろん素晴らしい人だ」と、恋人でもないのに得意顔で自慢した。
確かに美人ではあるが、想像したバリバリキャリア志向の女性とは大分違う、小柄で柔らかな雰囲気のある、なんともかわいらしい人だ。
そして不思議なほど、どこかで見たような気がする。芸能人には疎いが、女優かタレントに似た人がいるのかもしれない。
土曜日、その千弦さんの店に聡二が俺を連れていこうとしたら、たまたまインタビューの仕事があるとかで休業するという。
「店に行くのはまたの機会にとして、今回は俺が東京に行くよ」ということで、自宅付近の公園で待ち合わせをした。
◇◇◇
公園のベンチに腰掛けて、読みかけの本に目を落としていると、スーツ姿の女性が隣のベンチに向かってやってきた。
大き目のバッグを下すと、中からスニーカーを取り出し、それまで履いていたパンプスを脱いだ。
女性のああいう靴は、見た目はきれいでも、長時間履いて歩くのはきついことも多いと聞いたことがある。きっと彼女もそれで靴を履き替えるのだろうと、特に気にも留めないでいたのだが(その割には見てしまうが)、彼女はスニーカーに履き替え、よほど足が楽になったのがうれしいようで、両手のこぶしを腰に当て、ステップを踏むように足を動かした。
そのしぐさが、外国のアニメ映画に登場するウサギか何かみたいに愛らしい。表情が明るいのもよく分かった。
すらっと細いが、筋肉のしっかりしていそうなひざ下やふくらはぎが美しい。女性のふくらはぎに見とれるなんて、俺は久米の仙人か。
そこから先、俺の読みかけの本は、いつまで経っても同じページを開きっ放しだった。
脱いだパンプスを丁寧にしまい、バッグに収めた。
代わりにバッグから、細めの水筒のようなものを取り出して、一口飲み、ふーっと息を吐いたかと思うと、「しゃっ」などと言いつつベンチを立って、バッグを持って立ち去っていくのが見えた。
そんな動きを眺めているだけでも楽しい女性なので、ちょっと残念に思っていると、バッグから銀色のものが落ちるのが見えた。
「あ…の…おねえさん?」
俺の声が聞こえなかったのか、彼女はそのまま公園を出ていこうとした。
落としたのは小さなボイスレコーダーのようだ。
「あの、すみません!」
俺はそれを拾うと少し走って彼女を追いかけ、肩に手をかけた。
「え?」
振り返った女性の顔には驚愕が隠しきれていない。
しまった。知らない女性の体に触れてしまった。
しかも俺は中学生ながら身長が185もあり、不愛想で怖いとよく言われる。
いろいろとまずいシチュエーションな気がしてきた。
「えと、これ落としましたよ――おねえさん」
精一杯穏やかにそう言ってみた。
「わーっ。全く気付かなかったわ。ありがとう!」
「あの……急に肩に手をおいたりしてすみません。でも、さっき声かけたとき、気付いてもらえなくて……」
「え?まさかさっきの『おねえさん』って、私に言っていたの?」
「あ、はい…」
「ちゃんと『おばさん』って言ってくれないと、自分のことだと思わないわよ」
そこでよほど安心したらしく、大変に心臓に悪い笑顔を浮かべた。
「だって、おばさんなんて失礼だし……」
「それっておばさんの存在を否定することになるから、余計に失礼じゃない?」
「あ、そういうわけじゃ…」
しかし、言われてみればそうだな。
俺は単にこの人を「おねえさん」だと思ったのでそう言ったに過ぎないが、おばさんイコール侮蔑語みたいな思いがどこかにあるから、「失礼」なんて言ってしまったのだ。
◇◇◇
「なんか……いろいろすみません…」
「わー、私こそごめんなさい。気を使ってくれたのよね」
そう言いながら魅力的に微笑まれ、気恥ずかしさが芽生えるが、ずっと話していたい気にさえなる。
美しいだけでなく、表情の豊かさとか受け答え方とか、非常に気になる女性だ。
そして、誰かに似ている気がする。
知人ではないはずだが、最近どこかで見た顔だ。
「これ大事な音源だったのよ。失くしたらもう一大事!」
「よかったです、お役に立てて」
「何かお礼をしなくちゃ……」
「そんなのはいいですよ。偶然拾っただけですから」
「そうもいかないから――あ、これは?ボールペンなんだけど」
彼女がそう言ってさし出したのは、袋に入ったボールペンだった。
淡いブルーのボディーにピンクの「STARDUST」というロゴが入り、星やらハートやらが散らばめられたデザインだ。
かわいいのかもしれないが、中学生男子が持つものではない。
「ちょっと派手だけど、中身はM社の「スムーズ」っていう油性ボールペンだから」
「あ、それ好きで使ってるやつです」
「よかった。リフィル交換すれば使い続けられるし、よかったら受け取って」
「でも…」
「こんな間に合わせで悪いけど、たくさんあるから遠慮しないで」
「そうですか……じゃ、ありがとうございます」
小走りで駅方向に向かっていくのを見ると、急いでいたのだろうか。
バッグがかかっていない方の腕を大きく振り、「じゃ、本当にありがとうね!」と通る声で言い残していったので、俺もつられて手を振ってしまった。
そんな状況で渡してきたボールペンは、「間に合わせ」にも思えたが、「最適解」のような気もした。
遠慮する俺を恐縮させない、ギリギリの線だと思う。
◇◇◇
俺が再びベンチに腰を下ろして彼女のことを考えながら、袋に入ったボールペンを眺めていると、聡二が背後を取るように近づいてきた。
「随分派手なペンだな」
「聡二か。一体どこから……」
「あそこからだが?」
さっき彼女が出ていた北側メインの出入り口ではなく、西を指さした。
「わざわざか?駅からだと遠回りではないか?」
「いや、母が近くに用事だったので車に乗せてもらってきた」
「そうだったか」
「……で、そのボールペンは一体なんだ?」
「ああ――名も知らぬ美人にもらったんだ」
俺は彼女について聡二に話した。
しぐさや体の動きがかわいらしく、つい凝視してしまったと言ったとき、「気持ちが悪いやつだな」と言われ、「お前が言うなよ」と返した。
「そのボールペン、日付が入っているようだが」
「本当だ。2週間ぐらい先のだな」
「ちょっと待ってろ」
聡二はスマホでペンの写真を撮ると、画像検索を始めた。
「STARDUST」というワードと日付から、近日公開の映画のタイトルを割り出し、「ロゴが一緒だ。間違いなくこれだな」と特定して、俺に見せた。
「本当だ。映画のタイトルだったのか」
「少し前に映画館で見た気がしたんだが、記憶違いでなかったようだ」
「たくさん持っていると言っていたから、関係者だったのかな」
「意外と芸能人かもな」
「美人ではあったが、まさかそうそうは……」
そこではっとした。
さっきの女性は、聡二が切り抜きを自慢げに見せてくれた「千弦さん」に似ていたのだ。
「どうかしたか?」
「いや、何でもない」
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