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第2章 あ、やっぱりこの人か…【千弦と聡二】
賢そうな子だね、確かに。【千弦】
しおりを挟む恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意志だと思う。
太宰治『チャンス』
◇◇◇
叔父さんのお店は17時に閉めて、その後ちょこちょことサービスエリアで休憩をしながらの帰宅だったため、家に着いたときには22時近かった。
「ただーいま」
「お土産なーに?」
「『お帰り』って言わない人にはあげません」
「はいはい、お帰りなさい。お疲れさま」
土曜の夜ということもあり、芽久美はまだ起きていた。
って、22時前に寝ている中学生はあまりいないかな?
「この時間だし、さすがにご飯は食べたよね?」
「うん、おばあちゃんが来て作ってった。冷蔵庫にいろいろ入れてったよ」
芽久美がそう言いながら、お茶を淹れる支度を始めた。
約束はなかったが、実家の母は多分、叔父からそれとなく話を聞いていて、来てくれたのだろう。
「合鍵忘れたみたいなんだけど、私が出ようとするときだったからちょうどよかった。結局お留守番してもらっちゃった」
「あらら。お礼の電話しておかなきゃ」
そういえばDVDソフトの位置が微妙に変わっているから、映画を見て時間をつぶしていたらしい。『追憶』とか『ペーパー・ムーン』とか、母の好きそうな、ちょっとクラシックなのも取り揃えておいてよかった。
淹れてくれたお茶請けに、先刻叔父さんの店で日本茶メニューにつけようと思って買ったお菓子の残りを出した。
22時以降の飲食は美容にあまりよくないのだろうが、こういう日は24時まで勝手に延長する。
片山の人気菓子店で買った「へそくりまんじゅう」と最中。
「やっぱり和菓子だったか。好きだからいいけどさ」
「このへそくりまんじゅうって、消費期限が超短いらしくてね。今日買ったのに、日付明後日だよ」
「うわあ…って、ま、食べちゃうだろうけど」
「そだね」
結局、日本茶メニューを注文してくれたのはあの男前の彼だけだったので、残りは全部家へのお土産になった。
某チェーン系カフェならあんパンやどら焼きだって売っているし、お饅頭もコーヒーにも合わないことはないと思うけど、1日だけの助っ人で、わざわざ冒険しなくてもいい。
私たちは2人家族だが、幸い2人とも甘党だった。
◇◇◇
「今日はなにしてたの?」|
「ママが用意したブランチ食べて、サエちゃんと一緒に学校にテニス部の練習見学に行って、駅前のクレープ屋さんでラズベリーのやつ食べて、6時頃帰ってきたよ」
「それ好きねえ。で、おばあちゃんと入れ替わり?」
「ううん。8時半までいてくれたから、ご飯も2人で食べたよ」
「そっか。よかったね」
芽久美が通う英明大附属中は、スポーツが盛んな学校で、特に硬式テニス部は関東大会で10年以上連続優勝し、近年全国一になったこともある――らしい。
今年はちょっとした番狂わせがあったとかで、格下の無名校と対戦して2回戦で敗退した。
義兄(亡くなった夫の兄)がスポーツメディアの会社をやっているが、地元の強豪ということでもともと注目していた上に、芽久美が入学したこともあり、全国前に部員のインタビューにも行ったようだ。
「すごくしっかりした利口そうな副部長の子がインタビューに答えてくれて。だからより残念でね。自信はありそうだったけど、油断したのかな」
義兄が熱弁しているにもかかわらず、私は「ふうん、残念ね」としか答えようがなかった。
期待していたのは分かるけれど、相手を格下だの無名校だの、ちょっと失礼じゃないかと思う。
「いやいや、さすがに本当にそういう言葉使うわけではないよ?まあなんだ、空気感っていうかさ」
「そういうものなのね」
「そうなの」
私は「もう一つの本業」であるライター業の方でインタビューすることもあるが、スポーツにはあまり強くないので、義兄が私に出してくる仕事といえば、音声の書き起こしやファクトチェックのための調べものの類だ。性に合っているから不満もないけれど。
「君は言葉のチョイスも面白いし、記事書いてもらいたい気持ちもあるけど、さすがにスポーツに疎過ぎ。 インタビューシート見ながらトンチンカンなことを聞きそうで怖い」
とのことだけど、少なくとも私は失礼なことは言わないように気を付けますよっ。
閑話休題。
芽久美はテニス部の大畠ミゲル君という3年生のファンらしく、「先輩は今日もイジラレでかわいかった」と言っていた。とてもテニス部の練習を見にいった子の発言ではない。
もう2年生中心の練習体制にはなっているが、3年生もまだ顔を出すことが多いようだ。
「でもね、サエちゃんのお目当ての檜先輩がいなかったの」
いつも日陰でノートを取っている麗しいお姿が見られず、寂しかったというのだ。
「その子はマネジャーなの?」
「副部長で、データ分析担当なんだって。めっちゃくちゃ頭よくて、5けたの掛け算を暗算でできるとかって」
「それはすごいけど、『めっちゃ頭よくて』の例として引くにはどうなの?」
「まあいいじゃん。もちろんテニスもすんごく上手なんだよ。部で2番か3番目に強いって」
「ふうん…」
サエちゃんとは、三枝梨々花という愛らしい名前の子で、芽久美が中学校に入って初めて声をかけてきてくれた子だそうだ。
梨々花という名前が少し気恥ずかしいとのことで、「サエちゃん」と呼ばれるのを好む。
「お目当ての子がいないのは寂しいね」
「ママにも覚えある?」
「…ないなあ」
「そう言うと思ったよ」
私は中学3年生のとき、当時通っていた学習塾のバイト講師に一目ぼれし、高校合格の報告のときに告白した。
そのときは「3年経ったら出直してね」ってふられ、本当に3年後に再アタックしたらお付き合いができた。
粘り勝ちだね、なんてみんなにからかわれつつ結婚し、芽久美が生まれ、そして結婚満6年というときに事故で逝ってしまった。
たった1度の恋愛が結婚に進展したようなあんばいなので、スポーツを一生懸命やっている人たちは素敵だなと思うけれど、それが恋愛感情に結びついた経験がない。
でもね、苦手の数学の予習をしっかりして、バッチコーイで行った塾で「今日は桜井先生はお休みです」と言われたときの絶望感を思い出すと、サエちゃんの気持ち、想像できるよ。
◇◇◇
「そうだ。学校の広報にテニス部の人たちの写真載ってた」
真ん中にトロフィーや賞状を持った子たちがいる。
「この人が部長で、この人が副部長だけど、部のエースはこの人で…」
そう言われてからまじまじ見ると、芽久美が指差したあたりの子たちは、オーラがすごいなあ…と思った次の瞬間、副部長の子に見覚えがある気がしてきた。
見覚えがあるのは当たり前で、この顔は数時間前に…。
「え…?いやまさか…」
「どうしたの?」
「ねえ、これって昔の写真だったりする?」
「何言ってんの?今年のに決まってるじゃん。関東で優勝したときのやつ」
「ああ…」
気のせいかもしれないけれど、「日本茶を注文したカレ」によく似ているのだ。
「この人は何て名前?」
「あ、それがサエちゃんの檜先輩だよ」
「えっ…ああ、賢そうな子だね、確かに。それにすごく大人っぽいし」
「うちの学校も偏差値は低くないけど、スポーツやりたくて来る人が多いから、勉強だけだったらもっと難関に行ってたろうって」
「なるほどね…」
叔父さんのお店で見かけたときの印象で、年の頃なら20代前半と思ったけれど、これって私の判断だけだし。
でも、まさかこの街の中学生と、300キロ近くも離れた街のあんなぱっとしない店(叔父さん失礼!)で偶然会うはずがない。他人の空似ってところだろう。
「この人が大畠先輩。かっこいいよねー。お母さんが南米の人なんだってさ」
「へえ、中学生に言うことじゃないけど、なんだかセクシーな子ね」
鋭い眼光に褐色の肌で、見事なスキンヘッド。しかしこの子が“いじられ”なの?
しかも芽久美はちょっと恥ずかしそうに、こう続けた。
「ちょっとさ…パパに似てると思わない?」
「まあ、無理すればね。さすがにこの子の方がイケメンさんでしょ」
「顔もそうなんだけど、ママはパパのことよく、お人よしだったって言うじゃない?この大畠先輩も、こっちの菱沼って先輩にイジられたり、いろいろ頼まれたりしてるみたい」
「へえ、こんなかわいい子にねえ…人は見かけによらない…あ」
「ん?」
「この菱沼君?時々うちに来るわよ。名前までは知らなかったけど、メイプルトーストとか焼き菓子とか注文してくれるの」
何かと問題がありそうなので、「いつも違う女の子と一緒に」というのは伏せておいた。
中学生だし、オトモダチが多いのだろう(ということにしておこう。女の子を2、3人連れてくることも多いし)。
すると、芽久美の関心はあくまで別なところだった。
「えーっ。じゃ、じゃ、大畠先輩は?」
「いや、さすがにこんな印象的な子が来たら覚えてるよ」
「じゃ、いつか来てくれるかなあ」
「まあ、とりあえず明日はお店休むけどね」
「そんなー。開こうよー。いつでも大畠先輩をお迎えできるようにしなきゃー」
「あんたは…」
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