3 / 6
ディナーの惨劇
しおりを挟む
(突然だけど、しばし大人語りモードになりますね)
2021年11月30日、三代目三遊亭圓丈師匠が亡くなった(享年76)。
私はこの人の創作落語が大好きだったんだけど、中学生のとき聞いた噺で、長い刑務所務めを経て出所した男が、世間の変貌ぶりに戸惑ったり驚いたりする話があって、一番印象に残っているのは、マクドナルドでビッグマックを食べて、「これはうまい。結婚式に出せる料理だ」と言ったエピソードだった。
分かる。
私も生まれて初めて食べたマックメニューはビッグマックだった。
1978年の春休み、関東某所に住む親戚の家に行ったとき、上野動物園とか、埼玉の所沢にあったユネスコ村とかに、今思うとすごく不効率な電車ルートで連れて行かれて、「お腹空いたね」と入ったのがマックだった。記憶に間違いがなければ、なぜかお茶の水あたりの店舗だった。
ハンバーガーっていうもの自体食べたことがなくて、オーダーとか全部お任せして、「育ち盛りだから、これくらい食べられるよね」って、紙の箱に入った大きな何かを差し出されたとき、ちょっと戸惑ったけれど、一口目からおいしくて、結局ペロッと食べてしまった。
多分、当時の片山にはマックの店舗自体なかったはず。
マックもロッテリアも、多分私が中学校に入るか入らないかの頃で、モスに至っては高校生になってからの出店だったと思う。
ファストフードで店舗が出ていたのは、KFCとミスタードーナツぐらいだったけれど、ミスドは「ごっついおやつ」の意識しかなかった。
私などまだ東京のマック体験がある分、兄弟たちより一歩リードしていたくらいで、当時の大人たちは、そもそもそういう店に行くの自体を嫌悪する人も多かったし、うちの両親、祖父母も例外ではなかった。
(というくらい、我が一家はファストフード慣れしていなかった、というのを前提に、以下読んでくださいませ)
+++
結果的には、父はパーティーバーレルを買って帰ってこなかった。
とりあえずKFCに行って、家族分のフライドチキンと、1個40円のバターロールを大量に買ってきたのだ。
当時のKFCにはバターロールが売られていた。チキンと一緒にどうぞ、ということだろう。ビスケットが初めて世に出たのは1987年のことらしい。
「夕飯にパンか…パンは食った気しなくて苦手だ」
「この鶏も、うまいけど味濃くて脂っこいね」
「何か思ってたのと違う…」
「骨でっか過ぎて、何かもったいない」
「これじゃ栄養が偏るねえ。野菜の煮しめとかなかったのかい?」
「KFCはお惣菜屋じゃないんだから…」
「……」
あれだけ苦労して(しかも多分気を使って)買ってきたというのに、家族が口々に言う駄目出しは無慈悲そのものだった。
父はやれやれという顔をしつつ、「文句言うな。人出がすごいしそれ買うのも大変だったんだ」と、力なく愚痴を言った。
そういえば、私がチキンよりずっと楽しみにしていたケーキは「買えなかった」らしい。
駅前ならチェーンの千石屋かくぬぎ屋、あるいは父がおつまみのグリッシーニ(父は「乾パン」と呼んでいたけれど)をよく買う「おおた」という個人商店など、ケーキ屋さんはいくらでもあったと思う。
日が日なので、予約していない人は買えないって意味かなと思ったけれど、千石屋とかでは毎年店の前で手売りしているから違う。多分、KFCで食料調達用の体力と気力を全部使いきったという意味だろう。
+++
結局、チキンとバターロールはあっと言う間になくなるし、あとはミカンくらいしか、すぐ食べられるものがない。
お正月用の餅は、祖父が自慢の「電動餅つき機」で28日につくならわしがあったので、今年はまだ用意されてない。
雪はまだまだ止む様子がない。
ふと気付けば部屋のあかりが消え、こたつから熱が去った。
クリスマスツリーの明滅も止まっている。
「え…やだ何、停電?」
「まさかこの雪のせいか?まいったな…」
家電の使い過ぎでヒューズが飛んだとか、そういうプライベートな事情ではなく、窓の外を見ると、周囲の家もみんな真っ暗。かなりパブリックな停電のようだった。
ストーブのオレンジの火が部屋の片隅をわずかに照らしていたので、それを頼りに、祖父がまず懐中電灯を探して取り出し、懐中電灯で仏壇の引き出しを照らしたかと思うと、太くて長いロウソクとマッチを出した。
「これをこたつの真ん中に置こう」
仏壇の引き出しに入れっぱなしのロウソクは、はっきり言って線香くさい。
七宝焼きの灰皿をベースにして、火をつけたろうそくから流れ落ちるロウで足場を作り、そこにロウソクをたてた。
足場はすぐに固まり、ロウソクの炎がまっすぐ真上を指さすように立ったので、私は何だか感動して拍手してしまった。
「ばーか、なに拍手してんだよ」
いつもの腹の立つ調子で兄が言った。
「だって、すごいもん」
「何が?全然意味わかんない」
クリスマスイブにロウソクっていうのも、何だかむやみにロマンチックな気がして、ちょっとハイになっていたのだろう。
+++
祖父は冷静でいろいろと頼りになったが、今にして思うと、割と抜けた部分の多い人だったのかもしれない。
灰皿をこたつの天板の真ん中に載せる、のはよかったのだが、実はKFCの包装紙を置きっぱなしのままだった。
ただでさえ紙は燃えやすい上に、油がたっぷりとしみ込んでいたから、もしもロウソクが倒れ、火が燃え移ったりしたら…。
何事もなければまだいいのだが、弟がいつもの調子で元気よくこたつから立ち上がったり、いちいち動作がどたばたしているから、そのたびにロウソクの炎が大きく揺れた。
ロウが溶け、背が低くなっていけば、おのずと倒れにくくもなるのだろうが、そうなる前にロウソクが倒れてしまった。
すると、あっという間に油のついた紙に火が移り、メラメラと燃え広がった。
家族の軽い悲鳴がする中、祖父が近くにあった座布団でバンバン叩いて鎮火し、その上から水をかけてクールダウンさせた。
びっくりした弟は泣き出し、さらに「ほら、お前が暴れるからだ」と叱られて、泣きっ面に蜂状態でビャアビャアと号泣した。
…何がロマンチックだって?
「こんなクリスマスは嫌だ」の一つの典型例みたいになってしまった。
電気はいつまでたっても復旧しない。
どうやらガスも止まってしまったようだが、止まる前にお風呂は焚いていた。ただし追い焚きができないし、真っ暗な中で入浴するしかない。
父以外の家族は「今日はもうテレビも見られないし、寝るか…」という感じで、お風呂にも入らず床についた。全員いつもよりも無口だった。
ストーブをつけたまま寝ることもできないし、ガスコンロが使えないので湯たんぽも作れない。
「着こめるだけ着て寝ろ」と言われたので、パジャマの上からカーディガンを着て、靴下を履いて、毛布を首元に巻くようにして寝たけれど、体も心も全く休まる気がしなかった。
令和の夜がこんなだったら、みんなバッテリー残量を気にしながらスマホに夢中だったろうけれど、昭和のクリスマスイブから電気が奪われたら、こんなものだったのだ。
子供の頃は、例えば寝る前に薬を飲むために使ったコップを放置すると、コップに薄い氷が張っていることがよくあった。暖房を切った室温が零度以下に下がっていたのだろう。
近頃では、幾ら寒い寒いといっても、暖房を切ったぐらいでそこまでなることはない。
逆思い出補正ってわけでもないが、昔は冬がもっと冬らしく冷え込み、雪も毎年たっぷりと降っていた。
2021年11月30日、三代目三遊亭圓丈師匠が亡くなった(享年76)。
私はこの人の創作落語が大好きだったんだけど、中学生のとき聞いた噺で、長い刑務所務めを経て出所した男が、世間の変貌ぶりに戸惑ったり驚いたりする話があって、一番印象に残っているのは、マクドナルドでビッグマックを食べて、「これはうまい。結婚式に出せる料理だ」と言ったエピソードだった。
分かる。
私も生まれて初めて食べたマックメニューはビッグマックだった。
1978年の春休み、関東某所に住む親戚の家に行ったとき、上野動物園とか、埼玉の所沢にあったユネスコ村とかに、今思うとすごく不効率な電車ルートで連れて行かれて、「お腹空いたね」と入ったのがマックだった。記憶に間違いがなければ、なぜかお茶の水あたりの店舗だった。
ハンバーガーっていうもの自体食べたことがなくて、オーダーとか全部お任せして、「育ち盛りだから、これくらい食べられるよね」って、紙の箱に入った大きな何かを差し出されたとき、ちょっと戸惑ったけれど、一口目からおいしくて、結局ペロッと食べてしまった。
多分、当時の片山にはマックの店舗自体なかったはず。
マックもロッテリアも、多分私が中学校に入るか入らないかの頃で、モスに至っては高校生になってからの出店だったと思う。
ファストフードで店舗が出ていたのは、KFCとミスタードーナツぐらいだったけれど、ミスドは「ごっついおやつ」の意識しかなかった。
私などまだ東京のマック体験がある分、兄弟たちより一歩リードしていたくらいで、当時の大人たちは、そもそもそういう店に行くの自体を嫌悪する人も多かったし、うちの両親、祖父母も例外ではなかった。
(というくらい、我が一家はファストフード慣れしていなかった、というのを前提に、以下読んでくださいませ)
+++
結果的には、父はパーティーバーレルを買って帰ってこなかった。
とりあえずKFCに行って、家族分のフライドチキンと、1個40円のバターロールを大量に買ってきたのだ。
当時のKFCにはバターロールが売られていた。チキンと一緒にどうぞ、ということだろう。ビスケットが初めて世に出たのは1987年のことらしい。
「夕飯にパンか…パンは食った気しなくて苦手だ」
「この鶏も、うまいけど味濃くて脂っこいね」
「何か思ってたのと違う…」
「骨でっか過ぎて、何かもったいない」
「これじゃ栄養が偏るねえ。野菜の煮しめとかなかったのかい?」
「KFCはお惣菜屋じゃないんだから…」
「……」
あれだけ苦労して(しかも多分気を使って)買ってきたというのに、家族が口々に言う駄目出しは無慈悲そのものだった。
父はやれやれという顔をしつつ、「文句言うな。人出がすごいしそれ買うのも大変だったんだ」と、力なく愚痴を言った。
そういえば、私がチキンよりずっと楽しみにしていたケーキは「買えなかった」らしい。
駅前ならチェーンの千石屋かくぬぎ屋、あるいは父がおつまみのグリッシーニ(父は「乾パン」と呼んでいたけれど)をよく買う「おおた」という個人商店など、ケーキ屋さんはいくらでもあったと思う。
日が日なので、予約していない人は買えないって意味かなと思ったけれど、千石屋とかでは毎年店の前で手売りしているから違う。多分、KFCで食料調達用の体力と気力を全部使いきったという意味だろう。
+++
結局、チキンとバターロールはあっと言う間になくなるし、あとはミカンくらいしか、すぐ食べられるものがない。
お正月用の餅は、祖父が自慢の「電動餅つき機」で28日につくならわしがあったので、今年はまだ用意されてない。
雪はまだまだ止む様子がない。
ふと気付けば部屋のあかりが消え、こたつから熱が去った。
クリスマスツリーの明滅も止まっている。
「え…やだ何、停電?」
「まさかこの雪のせいか?まいったな…」
家電の使い過ぎでヒューズが飛んだとか、そういうプライベートな事情ではなく、窓の外を見ると、周囲の家もみんな真っ暗。かなりパブリックな停電のようだった。
ストーブのオレンジの火が部屋の片隅をわずかに照らしていたので、それを頼りに、祖父がまず懐中電灯を探して取り出し、懐中電灯で仏壇の引き出しを照らしたかと思うと、太くて長いロウソクとマッチを出した。
「これをこたつの真ん中に置こう」
仏壇の引き出しに入れっぱなしのロウソクは、はっきり言って線香くさい。
七宝焼きの灰皿をベースにして、火をつけたろうそくから流れ落ちるロウで足場を作り、そこにロウソクをたてた。
足場はすぐに固まり、ロウソクの炎がまっすぐ真上を指さすように立ったので、私は何だか感動して拍手してしまった。
「ばーか、なに拍手してんだよ」
いつもの腹の立つ調子で兄が言った。
「だって、すごいもん」
「何が?全然意味わかんない」
クリスマスイブにロウソクっていうのも、何だかむやみにロマンチックな気がして、ちょっとハイになっていたのだろう。
+++
祖父は冷静でいろいろと頼りになったが、今にして思うと、割と抜けた部分の多い人だったのかもしれない。
灰皿をこたつの天板の真ん中に載せる、のはよかったのだが、実はKFCの包装紙を置きっぱなしのままだった。
ただでさえ紙は燃えやすい上に、油がたっぷりとしみ込んでいたから、もしもロウソクが倒れ、火が燃え移ったりしたら…。
何事もなければまだいいのだが、弟がいつもの調子で元気よくこたつから立ち上がったり、いちいち動作がどたばたしているから、そのたびにロウソクの炎が大きく揺れた。
ロウが溶け、背が低くなっていけば、おのずと倒れにくくもなるのだろうが、そうなる前にロウソクが倒れてしまった。
すると、あっという間に油のついた紙に火が移り、メラメラと燃え広がった。
家族の軽い悲鳴がする中、祖父が近くにあった座布団でバンバン叩いて鎮火し、その上から水をかけてクールダウンさせた。
びっくりした弟は泣き出し、さらに「ほら、お前が暴れるからだ」と叱られて、泣きっ面に蜂状態でビャアビャアと号泣した。
…何がロマンチックだって?
「こんなクリスマスは嫌だ」の一つの典型例みたいになってしまった。
電気はいつまでたっても復旧しない。
どうやらガスも止まってしまったようだが、止まる前にお風呂は焚いていた。ただし追い焚きができないし、真っ暗な中で入浴するしかない。
父以外の家族は「今日はもうテレビも見られないし、寝るか…」という感じで、お風呂にも入らず床についた。全員いつもよりも無口だった。
ストーブをつけたまま寝ることもできないし、ガスコンロが使えないので湯たんぽも作れない。
「着こめるだけ着て寝ろ」と言われたので、パジャマの上からカーディガンを着て、靴下を履いて、毛布を首元に巻くようにして寝たけれど、体も心も全く休まる気がしなかった。
令和の夜がこんなだったら、みんなバッテリー残量を気にしながらスマホに夢中だったろうけれど、昭和のクリスマスイブから電気が奪われたら、こんなものだったのだ。
子供の頃は、例えば寝る前に薬を飲むために使ったコップを放置すると、コップに薄い氷が張っていることがよくあった。暖房を切った室温が零度以下に下がっていたのだろう。
近頃では、幾ら寒い寒いといっても、暖房を切ったぐらいでそこまでなることはない。
逆思い出補正ってわけでもないが、昔は冬がもっと冬らしく冷え込み、雪も毎年たっぷりと降っていた。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
【R15】いなか、の、じけん~ハートは意外と頑丈だった
あおみなみ
現代文学
1979年春。
小学5年生になったばかりの「久美」は、
母親にないがしろにされることを少し気に病みつつも、
平々凡々とした毎日を送っていたが、ある日突然、事件に巻き込まれる。
(軽い性的表現がありますので、閲覧にはご注意を)
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
【ショート小説】伝説の実業家ムラマサ=シエルが教える、ビジネスの極意
山田 【 人は悩む。人は得る。創作で。】
現代文学
中山史郎はネット通販会社Amazenの車の営業部門で営業マンをしている。営業成績が上がらない史郎は、ある日浦野課長の命令でムラマサ=シエルという伝説の実業家を訪ねる。だがシエルの指導は意外なものだった。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる