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ディナーの惨劇
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(突然だけど、しばし大人語りモードになりますね)
2021年11月30日、三代目三遊亭圓丈師匠が亡くなった(享年76)。
私はこの人の創作落語が大好きだったんだけど、中学生のとき聞いた噺で、長い刑務所務めを経て出所した男が、世間の変貌ぶりに戸惑ったり驚いたりする話があって、一番印象に残っているのは、マクドナルドでビッグマックを食べて、「これはうまい。結婚式に出せる料理だ」と言ったエピソードだった。
分かる。
私も生まれて初めて食べたマックメニューはビッグマックだった。
1978年の春休み、関東某所に住む親戚の家に行ったとき、上野動物園とか、埼玉の所沢にあったユネスコ村とかに、今思うとすごく不効率な電車ルートで連れて行かれて、「お腹空いたね」と入ったのがマックだった。記憶に間違いがなければ、なぜかお茶の水あたりの店舗だった。
ハンバーガーっていうもの自体食べたことがなくて、オーダーとか全部お任せして、「育ち盛りだから、これくらい食べられるよね」って、紙の箱に入った大きな何かを差し出されたとき、ちょっと戸惑ったけれど、一口目からおいしくて、結局ペロッと食べてしまった。
多分、当時の片山にはマックの店舗自体なかったはず。
マックもロッテリアも、多分私が中学校に入るか入らないかの頃で、モスに至っては高校生になってからの出店だったと思う。
ファストフードで店舗が出ていたのは、KFCとミスタードーナツぐらいだったけれど、ミスドは「ごっついおやつ」の意識しかなかった。
私などまだ東京のマック体験がある分、兄弟たちより一歩リードしていたくらいで、当時の大人たちは、そもそもそういう店に行くの自体を嫌悪する人も多かったし、うちの両親、祖父母も例外ではなかった。
(というくらい、我が一家はファストフード慣れしていなかった、というのを前提に、以下読んでくださいませ)
+++
結果的には、父はパーティーバーレルを買って帰ってこなかった。
とりあえずKFCに行って、家族分のフライドチキンと、1個40円のバターロールを大量に買ってきたのだ。
当時のKFCにはバターロールが売られていた。チキンと一緒にどうぞ、ということだろう。ビスケットが初めて世に出たのは1987年のことらしい。
「夕飯にパンか…パンは食った気しなくて苦手だ」
「この鶏も、うまいけど味濃くて脂っこいね」
「何か思ってたのと違う…」
「骨でっか過ぎて、何かもったいない」
「これじゃ栄養が偏るねえ。野菜の煮しめとかなかったのかい?」
「KFCはお惣菜屋じゃないんだから…」
「……」
あれだけ苦労して(しかも多分気を使って)買ってきたというのに、家族が口々に言う駄目出しは無慈悲そのものだった。
父はやれやれという顔をしつつ、「文句言うな。人出がすごいしそれ買うのも大変だったんだ」と、力なく愚痴を言った。
そういえば、私がチキンよりずっと楽しみにしていたケーキは「買えなかった」らしい。
駅前ならチェーンの千石屋かくぬぎ屋、あるいは父がおつまみのグリッシーニ(父は「乾パン」と呼んでいたけれど)をよく買う「おおた」という個人商店など、ケーキ屋さんはいくらでもあったと思う。
日が日なので、予約していない人は買えないって意味かなと思ったけれど、千石屋とかでは毎年店の前で手売りしているから違う。多分、KFCで食料調達用の体力と気力を全部使いきったという意味だろう。
+++
結局、チキンとバターロールはあっと言う間になくなるし、あとはミカンくらいしか、すぐ食べられるものがない。
お正月用の餅は、祖父が自慢の「電動餅つき機」で28日につくならわしがあったので、今年はまだ用意されてない。
雪はまだまだ止む様子がない。
ふと気付けば部屋のあかりが消え、こたつから熱が去った。
クリスマスツリーの明滅も止まっている。
「え…やだ何、停電?」
「まさかこの雪のせいか?まいったな…」
家電の使い過ぎでヒューズが飛んだとか、そういうプライベートな事情ではなく、窓の外を見ると、周囲の家もみんな真っ暗。かなりパブリックな停電のようだった。
ストーブのオレンジの火が部屋の片隅をわずかに照らしていたので、それを頼りに、祖父がまず懐中電灯を探して取り出し、懐中電灯で仏壇の引き出しを照らしたかと思うと、太くて長いロウソクとマッチを出した。
「これをこたつの真ん中に置こう」
仏壇の引き出しに入れっぱなしのロウソクは、はっきり言って線香くさい。
七宝焼きの灰皿をベースにして、火をつけたろうそくから流れ落ちるロウで足場を作り、そこにロウソクをたてた。
足場はすぐに固まり、ロウソクの炎がまっすぐ真上を指さすように立ったので、私は何だか感動して拍手してしまった。
「ばーか、なに拍手してんだよ」
いつもの腹の立つ調子で兄が言った。
「だって、すごいもん」
「何が?全然意味わかんない」
クリスマスイブにロウソクっていうのも、何だかむやみにロマンチックな気がして、ちょっとハイになっていたのだろう。
+++
祖父は冷静でいろいろと頼りになったが、今にして思うと、割と抜けた部分の多い人だったのかもしれない。
灰皿をこたつの天板の真ん中に載せる、のはよかったのだが、実はKFCの包装紙を置きっぱなしのままだった。
ただでさえ紙は燃えやすい上に、油がたっぷりとしみ込んでいたから、もしもロウソクが倒れ、火が燃え移ったりしたら…。
何事もなければまだいいのだが、弟がいつもの調子で元気よくこたつから立ち上がったり、いちいち動作がどたばたしているから、そのたびにロウソクの炎が大きく揺れた。
ロウが溶け、背が低くなっていけば、おのずと倒れにくくもなるのだろうが、そうなる前にロウソクが倒れてしまった。
すると、あっという間に油のついた紙に火が移り、メラメラと燃え広がった。
家族の軽い悲鳴がする中、祖父が近くにあった座布団でバンバン叩いて鎮火し、その上から水をかけてクールダウンさせた。
びっくりした弟は泣き出し、さらに「ほら、お前が暴れるからだ」と叱られて、泣きっ面に蜂状態でビャアビャアと号泣した。
…何がロマンチックだって?
「こんなクリスマスは嫌だ」の一つの典型例みたいになってしまった。
電気はいつまでたっても復旧しない。
どうやらガスも止まってしまったようだが、止まる前にお風呂は焚いていた。ただし追い焚きができないし、真っ暗な中で入浴するしかない。
父以外の家族は「今日はもうテレビも見られないし、寝るか…」という感じで、お風呂にも入らず床についた。全員いつもよりも無口だった。
ストーブをつけたまま寝ることもできないし、ガスコンロが使えないので湯たんぽも作れない。
「着こめるだけ着て寝ろ」と言われたので、パジャマの上からカーディガンを着て、靴下を履いて、毛布を首元に巻くようにして寝たけれど、体も心も全く休まる気がしなかった。
令和の夜がこんなだったら、みんなバッテリー残量を気にしながらスマホに夢中だったろうけれど、昭和のクリスマスイブから電気が奪われたら、こんなものだったのだ。
子供の頃は、例えば寝る前に薬を飲むために使ったコップを放置すると、コップに薄い氷が張っていることがよくあった。暖房を切った室温が零度以下に下がっていたのだろう。
近頃では、幾ら寒い寒いといっても、暖房を切ったぐらいでそこまでなることはない。
逆思い出補正ってわけでもないが、昔は冬がもっと冬らしく冷え込み、雪も毎年たっぷりと降っていた。
2021年11月30日、三代目三遊亭圓丈師匠が亡くなった(享年76)。
私はこの人の創作落語が大好きだったんだけど、中学生のとき聞いた噺で、長い刑務所務めを経て出所した男が、世間の変貌ぶりに戸惑ったり驚いたりする話があって、一番印象に残っているのは、マクドナルドでビッグマックを食べて、「これはうまい。結婚式に出せる料理だ」と言ったエピソードだった。
分かる。
私も生まれて初めて食べたマックメニューはビッグマックだった。
1978年の春休み、関東某所に住む親戚の家に行ったとき、上野動物園とか、埼玉の所沢にあったユネスコ村とかに、今思うとすごく不効率な電車ルートで連れて行かれて、「お腹空いたね」と入ったのがマックだった。記憶に間違いがなければ、なぜかお茶の水あたりの店舗だった。
ハンバーガーっていうもの自体食べたことがなくて、オーダーとか全部お任せして、「育ち盛りだから、これくらい食べられるよね」って、紙の箱に入った大きな何かを差し出されたとき、ちょっと戸惑ったけれど、一口目からおいしくて、結局ペロッと食べてしまった。
多分、当時の片山にはマックの店舗自体なかったはず。
マックもロッテリアも、多分私が中学校に入るか入らないかの頃で、モスに至っては高校生になってからの出店だったと思う。
ファストフードで店舗が出ていたのは、KFCとミスタードーナツぐらいだったけれど、ミスドは「ごっついおやつ」の意識しかなかった。
私などまだ東京のマック体験がある分、兄弟たちより一歩リードしていたくらいで、当時の大人たちは、そもそもそういう店に行くの自体を嫌悪する人も多かったし、うちの両親、祖父母も例外ではなかった。
(というくらい、我が一家はファストフード慣れしていなかった、というのを前提に、以下読んでくださいませ)
+++
結果的には、父はパーティーバーレルを買って帰ってこなかった。
とりあえずKFCに行って、家族分のフライドチキンと、1個40円のバターロールを大量に買ってきたのだ。
当時のKFCにはバターロールが売られていた。チキンと一緒にどうぞ、ということだろう。ビスケットが初めて世に出たのは1987年のことらしい。
「夕飯にパンか…パンは食った気しなくて苦手だ」
「この鶏も、うまいけど味濃くて脂っこいね」
「何か思ってたのと違う…」
「骨でっか過ぎて、何かもったいない」
「これじゃ栄養が偏るねえ。野菜の煮しめとかなかったのかい?」
「KFCはお惣菜屋じゃないんだから…」
「……」
あれだけ苦労して(しかも多分気を使って)買ってきたというのに、家族が口々に言う駄目出しは無慈悲そのものだった。
父はやれやれという顔をしつつ、「文句言うな。人出がすごいしそれ買うのも大変だったんだ」と、力なく愚痴を言った。
そういえば、私がチキンよりずっと楽しみにしていたケーキは「買えなかった」らしい。
駅前ならチェーンの千石屋かくぬぎ屋、あるいは父がおつまみのグリッシーニ(父は「乾パン」と呼んでいたけれど)をよく買う「おおた」という個人商店など、ケーキ屋さんはいくらでもあったと思う。
日が日なので、予約していない人は買えないって意味かなと思ったけれど、千石屋とかでは毎年店の前で手売りしているから違う。多分、KFCで食料調達用の体力と気力を全部使いきったという意味だろう。
+++
結局、チキンとバターロールはあっと言う間になくなるし、あとはミカンくらいしか、すぐ食べられるものがない。
お正月用の餅は、祖父が自慢の「電動餅つき機」で28日につくならわしがあったので、今年はまだ用意されてない。
雪はまだまだ止む様子がない。
ふと気付けば部屋のあかりが消え、こたつから熱が去った。
クリスマスツリーの明滅も止まっている。
「え…やだ何、停電?」
「まさかこの雪のせいか?まいったな…」
家電の使い過ぎでヒューズが飛んだとか、そういうプライベートな事情ではなく、窓の外を見ると、周囲の家もみんな真っ暗。かなりパブリックな停電のようだった。
ストーブのオレンジの火が部屋の片隅をわずかに照らしていたので、それを頼りに、祖父がまず懐中電灯を探して取り出し、懐中電灯で仏壇の引き出しを照らしたかと思うと、太くて長いロウソクとマッチを出した。
「これをこたつの真ん中に置こう」
仏壇の引き出しに入れっぱなしのロウソクは、はっきり言って線香くさい。
七宝焼きの灰皿をベースにして、火をつけたろうそくから流れ落ちるロウで足場を作り、そこにロウソクをたてた。
足場はすぐに固まり、ロウソクの炎がまっすぐ真上を指さすように立ったので、私は何だか感動して拍手してしまった。
「ばーか、なに拍手してんだよ」
いつもの腹の立つ調子で兄が言った。
「だって、すごいもん」
「何が?全然意味わかんない」
クリスマスイブにロウソクっていうのも、何だかむやみにロマンチックな気がして、ちょっとハイになっていたのだろう。
+++
祖父は冷静でいろいろと頼りになったが、今にして思うと、割と抜けた部分の多い人だったのかもしれない。
灰皿をこたつの天板の真ん中に載せる、のはよかったのだが、実はKFCの包装紙を置きっぱなしのままだった。
ただでさえ紙は燃えやすい上に、油がたっぷりとしみ込んでいたから、もしもロウソクが倒れ、火が燃え移ったりしたら…。
何事もなければまだいいのだが、弟がいつもの調子で元気よくこたつから立ち上がったり、いちいち動作がどたばたしているから、そのたびにロウソクの炎が大きく揺れた。
ロウが溶け、背が低くなっていけば、おのずと倒れにくくもなるのだろうが、そうなる前にロウソクが倒れてしまった。
すると、あっという間に油のついた紙に火が移り、メラメラと燃え広がった。
家族の軽い悲鳴がする中、祖父が近くにあった座布団でバンバン叩いて鎮火し、その上から水をかけてクールダウンさせた。
びっくりした弟は泣き出し、さらに「ほら、お前が暴れるからだ」と叱られて、泣きっ面に蜂状態でビャアビャアと号泣した。
…何がロマンチックだって?
「こんなクリスマスは嫌だ」の一つの典型例みたいになってしまった。
電気はいつまでたっても復旧しない。
どうやらガスも止まってしまったようだが、止まる前にお風呂は焚いていた。ただし追い焚きができないし、真っ暗な中で入浴するしかない。
父以外の家族は「今日はもうテレビも見られないし、寝るか…」という感じで、お風呂にも入らず床についた。全員いつもよりも無口だった。
ストーブをつけたまま寝ることもできないし、ガスコンロが使えないので湯たんぽも作れない。
「着こめるだけ着て寝ろ」と言われたので、パジャマの上からカーディガンを着て、靴下を履いて、毛布を首元に巻くようにして寝たけれど、体も心も全く休まる気がしなかった。
令和の夜がこんなだったら、みんなバッテリー残量を気にしながらスマホに夢中だったろうけれど、昭和のクリスマスイブから電気が奪われたら、こんなものだったのだ。
子供の頃は、例えば寝る前に薬を飲むために使ったコップを放置すると、コップに薄い氷が張っていることがよくあった。暖房を切った室温が零度以下に下がっていたのだろう。
近頃では、幾ら寒い寒いといっても、暖房を切ったぐらいでそこまでなることはない。
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