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水ようかん(1)
しおりを挟む母のことは気がかりだし、何だかんだ言って、妻に暴言を吐いてしまったことも、全く気にしていないわけではないが、とりあえずはやりかけの仕事に手を付けた。
そういえば、母の生活の介助をするようになってから、本やネットで得た知識のほかに、母と接することで得た“実感”みたいなものも、十分知見と言えるものではないかと気づいた。
そして、それらも執筆の仕事に生かせそうだなと考えると、さまざまなことに前向きに取り組める気になれた。
このあいだ病院に付き添った際、何となくそんなことを話題にした。
多分、院内に張ってあるポスターか何かを見て、それが呼び水になったのだったと思う。
残念ながら、具体的に何のポスターだったかは忘れたが。
俺は虫歯もなく、風邪もめったに引かないので、自分自身の体のことで病院にかかるという経験は、もう何十年もしていない。
母が繰り返し手術をしたり、病院に通ったりしているのに付き添うようになったから、ここ10年ほどで、病院というものに妙な縁ができてしまった。
そこでふと掲示板を見たとき、「そうか、病院ってこういう告知をしているんだな」と、感心に近いものを覚えた――のが、呼び水になった格好だったと記憶している。
俺としては、母が妙に委縮しがちになることがあるので、「俺もメシのタネにさせてもらっているから」という軽いノリで、気を楽にしてもらおうという程度の気持ちだったのだ。
しかし、母の答えはこうだった。
「あんた、今からでも介護の資格取ったら、そういう仕事に就けるんじゃないの?」
それは既に仕事と母の手伝いで精いっぱいの、50歳の男に言うのは現実的ではないし、冗談を言っているようにも見えなかった。
「まあ、仕事はもうしてるからなあ…」
「…失礼なことを言ったね、ごめん…」
場の空気は著しくダウンなものになった。言わなきゃよかった。
俺の話題選びが下手なのか、俺自身のせいなのか、母のコンディションのせいなのか――全部か。
◇◇◇
娘から昼近くにメッセージをもらった。
どうやら少女Aと意気投合したようで、少し遊んでから帰るという。
「帰る」と言うあたり、今日は俺のところに泊まる気なのだろう。
「夕飯はウチで食うんだな?」
『うん。久々にお父さんのカレー食べたい!』
「分かった。つくっておくよ」
娘のことだから、少女Aの境遇なども自然に聞き出して、「パパのカレー、おいしいよ。食べていこうよ!」と、当たり前のように誘ったりもしているに違いない。
娘とのやりとりの少し後、妻からメッセージが届いた。
ノンストップで帰れば自宅に着いていてもおかしくないが、途中のサービスエリアかもしれない、それぐらいの時間が経過した頃だ。
それはそれは、かなり一方的なものだった。
「やはり私はあなたを許すことができません▼私だって、あなたと一緒にいられないことに寂しさを感じることがあります▼仮に何もないとしても、あんな年端もいかない女の子を家に連れ込むなんて軽率すぎます▼今あなたの顔を見たら、冷静に話し合える気がしませんから、しばらく帰ってこないで」
正論も正論、ド正論だ。
性急に離婚を持ち出さないところを見ると、全ての決着は母の「Xデー」の後ってことかな。それがいつになるかは分からないが。
どちらにしても、今の俺には余計なことを考える余裕がない。
自分の家よりも実家の母が大事というわけではないが、50代前半の、手のかからない娘と2人で暮らす自立した女と、「要介護1」のジャッジをされた老婆と、どちらの女を優先すべきか、言うまでもないだろう。
◇◇◇
母は元公務員なので、年金額は十分だが、とくべつ資産があるわけではない。
そこそこ稼いでそうな兄は、口も出さなきゃ手も金も出さないの典型。気まぐれで適当な贈り物をして、親孝行気分に浸るだけ。いい気なものだ。
弟は――「忙しい中、それなりに手伝ってくれるだけで助かる」ということにしておこう。
誰にも言えない、俺の本音はこうだ。
「どいつもこいつも、勝手なことばかり言いやがって」
「あんなババァ、金さえあれば、しかるべきところに丸投げするのに」
「離婚がお望みなら、いつでも別れてやるよ」
◇◇◇
14時頃、仕事を一段落させ、スーパーに買い物に行った。
カレーの材料と水ようかんを買う。
パンと和洋菓子の大手メーカーで出している、五つ入って200円くらいのやつだが前に食べたときなかなかうまかった。
JK2人組にはプリンやゼリーの方がいいかな?
夕食どきに母の様子を覗きにいくとき、手土産に持っていくか。
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