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フィナンシェ
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母はステント手術の3年後に腎臓の手術、そのさらに2年半後にステントを増やす手術をした。
腎臓の手術は入院自体も短期間で済んだが、母はその頃には、さすがに度重なる手術でかなり老け込んだ印象になっていた。
◇◇◇
この頃になると、ケアマネさんと話すことも多くなったし、デイサービスを利用するための契約の場にも立ち会ったりするようになった。
最初のうちは、「大きなお風呂が楽しみだし、お弁当も出るし」と嬉々として通っていたが、施設で顔見知りになった他の老人たちのことを、無教養だとか話が通じないとか言って腐すようになった。
母はもともとそういうところがあったので、特に気にもしていなかったのだが、それにしてもわがままというか、態度がよろしくない。
多分だが、母の内心に常にあった思いはコレではないだろうか――「私を年寄り扱いするな」。
「年寄りは、若くないのが悲しいんじゃなくて、自分のことを年寄りじゃないって思っているから悲しいんだよ」みたいなこと言ったのはオスカー・ワイルドだったか。
体は衰えても、心は若い。それ自体は別に問題ないのだが、理想と現実の乖離に傷つくこともあるだろう。
だから俺も物言いには気を付けるようになった。
明らかに間違っていても、頭ごなしに「間違っている」とは言わない。
「前にも言ったじゃないか」は禁句。
口から出かけた言葉を、寸止めでぐっとひっこめる。
しかしそれが、「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい」と、かえって癇に障ることがあるようで、なかなか難しいお年頃である。
俺は母と会うのが気が重くて仕方なかったが、皮肉なことに、母に気がかりなことがあれば、まずケアマネさんは俺に連絡してくるし、物忘れ、失禁といったデリケートな話に関しては、「お母様には内緒でお話ししたい」と言われる始末だった。
憂鬱さはある一点を超えたら、ちょっとした「覚悟」に姿を変えた。
そして出た結論は「半同居」である。
実家にある程度生活の拠点を置き、安定しているようなら自宅に帰る――最初は難色を示した妻を「君に仕事を続けてもらうためだ」と説得した。
娘は「私もお休みにはおばあちゃんのところに行こうかな?もう中学生だし、1人で行けるよ」と明るく賛成してくれた。
◇◇◇
ところが当の母本人には、これを拒否されてしまった。
「自分は何でも1人でできる(つもり)」というのが主な理由ではあったのだが、正直なところ、俺に恩着せがましくされるのが気に入らなかったのだと思う。
しかし、そのまま母の意見を聞いて放置してしまったら、後悔しそうな予感があった。
「じゃ、こういうのはどう?俺は仕事用の部屋を借りようと思っていたんだ」
「仕事の部屋?」
「そうそう。最近はビデオ会議とか自宅でも仕事がしやすくなったけど、やっぱり完全に自分だけの部屋の方が都合いいし」
「…あんた、会社辞める気かい?」
「いや、俺はもともと会社には――まあいいや。で、自宅の近所だと、ちょっと家賃が高いんだよね。この辺なら便利な割に安い部屋も多いし」
「会社には通えるの…?」
「だから…って、まあいいや。とにかく、今までよりも実家に来やすくなるから、少しだけ安心だよ」
「そう?好きにすればいいさ」
好感触とは言えない上に、口から出まかせで余計な出費が増えてしまった。
確かに言えることは、「俺はある程度の環境なら、今の仕事を続けられる」ことと、「妻にしろ母にしろ、俺がどこに住んでいても、別にそう変わらないのではないか?」ということだ。
母は複雑な状況を正しく理解できなくなっているし、妻にとっては極論、「亭主元気で留守がいい」である。
仮面夫婦というほど険悪ではないし、時には一緒に出掛けもするが、常に一緒にいたいと思う時期は、とっくの昔に終わった。
俺の「半同居」という言葉に難色を示したのは、自分も介護要員として期待されているのではと誤解したから、それだけらしい。
◇◇◇
さて、すこし飛躍するが、そんな生活ももう3年になる。
俺の半移住が始まった頃は、歩行器を使って近くの郵便局やコンビニぐらいまでは行っていた母も、徐々に施設と病院ぐらいしか行かない暮らしぶりになっていった。
そして、「半」というのは往々にして「7:3」や「8:2」に簡単に移行するもので、俺はこちらでの生活が中心になっていった。
母の手助けをするためなのだから、それは仕方ないのだが、問題は、妻が文句さえ言わなくなったことだ。むしろ、「こっちに帰ってくるときは、絶対に連絡してよ?いろいろ準備だってあるんだから」と言われてしまうほどだ。
車は妻が使うので持ってこられない。
だから折り畳みできる自転車を買い、母が絡まないちょっとした外出に使うようにした。
スクーターも考えたが、やはり結構な出費になるし、いろいろと面倒くさい。
母の用事のときは、前後にかごをつけた例のママチャリがまだまだ大活躍である。何年前に買ったものか怖くて聞けないほど古いし、第一、覚えていないだろう。
◇◇◇
母はデイサービスに週2回行く時以外は、昼ご飯には仕出し弁当を「安いけどまずい」と文句を言いながら利用していた。
その容器は一応、食べた後にきちんと洗ってプラごみとして出していたが、徐々に、容器に残菜が入ったままキッチンのテーブルに放置することが増えてきた。
気温が高くなってくるとコバエもわく。
「虫がわいてイヤだね」と顔をしかめてはいたが、元気だった頃の生活がうそのように、だんだんとだらしなくなっていった。
俺は大き目のポリバケツを買い、週1でお掃除を頼んでいるヘルパーさんに、「こういうのは全部、ポリバケツに突っ込んでください。後で俺が処分します」と頼んだ。
自分の仕事もあるので、近所とはいえ毎日顔を出せるわけではない以上、これが取り得るギリギリの手だった。
だから毎週月、木の「可燃ごみ」の日は、6時頃母の家に行き、ごみをまとめて処分するようになった。
「母の知らないうちに」全てを済ませておきたいと思ったので、早朝、それも、ごみを回収場所に出せるギリギリの時刻をねらった。
時々、朝トイレに起きた母と鉢合わせになることもあったが、「来たの…」の一言で、おはようとも言われない。
「ごみ、捨てとくね」
「はい…どうも…」
まあ、俺を不審者や窃盗犯と間違えないだけ、まだましか。
台所のテーブルの上に、「冷蔵庫にヨーグルトあり▼水は600ミリリットルを3本買った▼食えるならロールケーキもあるからどうぞ▼食料品代1,000円、財布からもらった」と書き置きをした。
これは母が「備忘録」として自分用に用意したノートだが、実質俺がほとんど書いている。
母はそれを確認し、ときには「ありがとう」と近くに書き残すこともあった。
もともと美しい字を書く方だったが、あまり衰えていない。
この字が乱れ始めたとき、俺はまた何か、新しい覚悟をするんだろうなと思った。
◇◇◇
朝から動き回ったせいか、結構汗をかき、喉の渇きもはっきりと感じた。
自転車を実家とアパートの中間ぐらいにあるコンビニの駐輪場に停め、店でレモンティーを買った。
財布を出そうとサコッシュを探ったとき、別のコンビニで買ったフィナンシェが入っているのに気付いた。
店の前の、人の邪魔にならなそうなところでレモンティーのふたを開け、一口飲んだ後、ちょっとした思いつきでフィナンシェの封も切った。
本当は仕事の合間にでも、ゆっくりコーヒーでも飲みつつ、涼しい部屋で食うつもりだったが、衝動的に食べたくなったのだ。
「ごほっ、げほっ」
フィナンシェは、どうやらサコッシュの中でスマホや鍵とぶつかったらしく、少し砕けていたようだ。それが気管に入ってしまった。
「忙しい金融家が、洋服を食べカスで汚さないよう、しっとり焼かれた菓子」なんじゃないのかよ…。
ひとしきりせき込んで落ち着いてから、レモンティーを一口飲んで「はあっ」と肩で息をすると、近くにいた女の子がくすくす笑っていた。娘と同じぐらいの年恰好だ。「少女A」である。
「おじさん、ひょっとしてそれ朝ごはん?」
タンクトップにショートパンツという、夏らしい露出の高い衣類を身に着けた少女Aが、そう言って俺に近づいてきた。
腎臓の手術は入院自体も短期間で済んだが、母はその頃には、さすがに度重なる手術でかなり老け込んだ印象になっていた。
◇◇◇
この頃になると、ケアマネさんと話すことも多くなったし、デイサービスを利用するための契約の場にも立ち会ったりするようになった。
最初のうちは、「大きなお風呂が楽しみだし、お弁当も出るし」と嬉々として通っていたが、施設で顔見知りになった他の老人たちのことを、無教養だとか話が通じないとか言って腐すようになった。
母はもともとそういうところがあったので、特に気にもしていなかったのだが、それにしてもわがままというか、態度がよろしくない。
多分だが、母の内心に常にあった思いはコレではないだろうか――「私を年寄り扱いするな」。
「年寄りは、若くないのが悲しいんじゃなくて、自分のことを年寄りじゃないって思っているから悲しいんだよ」みたいなこと言ったのはオスカー・ワイルドだったか。
体は衰えても、心は若い。それ自体は別に問題ないのだが、理想と現実の乖離に傷つくこともあるだろう。
だから俺も物言いには気を付けるようになった。
明らかに間違っていても、頭ごなしに「間違っている」とは言わない。
「前にも言ったじゃないか」は禁句。
口から出かけた言葉を、寸止めでぐっとひっこめる。
しかしそれが、「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい」と、かえって癇に障ることがあるようで、なかなか難しいお年頃である。
俺は母と会うのが気が重くて仕方なかったが、皮肉なことに、母に気がかりなことがあれば、まずケアマネさんは俺に連絡してくるし、物忘れ、失禁といったデリケートな話に関しては、「お母様には内緒でお話ししたい」と言われる始末だった。
憂鬱さはある一点を超えたら、ちょっとした「覚悟」に姿を変えた。
そして出た結論は「半同居」である。
実家にある程度生活の拠点を置き、安定しているようなら自宅に帰る――最初は難色を示した妻を「君に仕事を続けてもらうためだ」と説得した。
娘は「私もお休みにはおばあちゃんのところに行こうかな?もう中学生だし、1人で行けるよ」と明るく賛成してくれた。
◇◇◇
ところが当の母本人には、これを拒否されてしまった。
「自分は何でも1人でできる(つもり)」というのが主な理由ではあったのだが、正直なところ、俺に恩着せがましくされるのが気に入らなかったのだと思う。
しかし、そのまま母の意見を聞いて放置してしまったら、後悔しそうな予感があった。
「じゃ、こういうのはどう?俺は仕事用の部屋を借りようと思っていたんだ」
「仕事の部屋?」
「そうそう。最近はビデオ会議とか自宅でも仕事がしやすくなったけど、やっぱり完全に自分だけの部屋の方が都合いいし」
「…あんた、会社辞める気かい?」
「いや、俺はもともと会社には――まあいいや。で、自宅の近所だと、ちょっと家賃が高いんだよね。この辺なら便利な割に安い部屋も多いし」
「会社には通えるの…?」
「だから…って、まあいいや。とにかく、今までよりも実家に来やすくなるから、少しだけ安心だよ」
「そう?好きにすればいいさ」
好感触とは言えない上に、口から出まかせで余計な出費が増えてしまった。
確かに言えることは、「俺はある程度の環境なら、今の仕事を続けられる」ことと、「妻にしろ母にしろ、俺がどこに住んでいても、別にそう変わらないのではないか?」ということだ。
母は複雑な状況を正しく理解できなくなっているし、妻にとっては極論、「亭主元気で留守がいい」である。
仮面夫婦というほど険悪ではないし、時には一緒に出掛けもするが、常に一緒にいたいと思う時期は、とっくの昔に終わった。
俺の「半同居」という言葉に難色を示したのは、自分も介護要員として期待されているのではと誤解したから、それだけらしい。
◇◇◇
さて、すこし飛躍するが、そんな生活ももう3年になる。
俺の半移住が始まった頃は、歩行器を使って近くの郵便局やコンビニぐらいまでは行っていた母も、徐々に施設と病院ぐらいしか行かない暮らしぶりになっていった。
そして、「半」というのは往々にして「7:3」や「8:2」に簡単に移行するもので、俺はこちらでの生活が中心になっていった。
母の手助けをするためなのだから、それは仕方ないのだが、問題は、妻が文句さえ言わなくなったことだ。むしろ、「こっちに帰ってくるときは、絶対に連絡してよ?いろいろ準備だってあるんだから」と言われてしまうほどだ。
車は妻が使うので持ってこられない。
だから折り畳みできる自転車を買い、母が絡まないちょっとした外出に使うようにした。
スクーターも考えたが、やはり結構な出費になるし、いろいろと面倒くさい。
母の用事のときは、前後にかごをつけた例のママチャリがまだまだ大活躍である。何年前に買ったものか怖くて聞けないほど古いし、第一、覚えていないだろう。
◇◇◇
母はデイサービスに週2回行く時以外は、昼ご飯には仕出し弁当を「安いけどまずい」と文句を言いながら利用していた。
その容器は一応、食べた後にきちんと洗ってプラごみとして出していたが、徐々に、容器に残菜が入ったままキッチンのテーブルに放置することが増えてきた。
気温が高くなってくるとコバエもわく。
「虫がわいてイヤだね」と顔をしかめてはいたが、元気だった頃の生活がうそのように、だんだんとだらしなくなっていった。
俺は大き目のポリバケツを買い、週1でお掃除を頼んでいるヘルパーさんに、「こういうのは全部、ポリバケツに突っ込んでください。後で俺が処分します」と頼んだ。
自分の仕事もあるので、近所とはいえ毎日顔を出せるわけではない以上、これが取り得るギリギリの手だった。
だから毎週月、木の「可燃ごみ」の日は、6時頃母の家に行き、ごみをまとめて処分するようになった。
「母の知らないうちに」全てを済ませておきたいと思ったので、早朝、それも、ごみを回収場所に出せるギリギリの時刻をねらった。
時々、朝トイレに起きた母と鉢合わせになることもあったが、「来たの…」の一言で、おはようとも言われない。
「ごみ、捨てとくね」
「はい…どうも…」
まあ、俺を不審者や窃盗犯と間違えないだけ、まだましか。
台所のテーブルの上に、「冷蔵庫にヨーグルトあり▼水は600ミリリットルを3本買った▼食えるならロールケーキもあるからどうぞ▼食料品代1,000円、財布からもらった」と書き置きをした。
これは母が「備忘録」として自分用に用意したノートだが、実質俺がほとんど書いている。
母はそれを確認し、ときには「ありがとう」と近くに書き残すこともあった。
もともと美しい字を書く方だったが、あまり衰えていない。
この字が乱れ始めたとき、俺はまた何か、新しい覚悟をするんだろうなと思った。
◇◇◇
朝から動き回ったせいか、結構汗をかき、喉の渇きもはっきりと感じた。
自転車を実家とアパートの中間ぐらいにあるコンビニの駐輪場に停め、店でレモンティーを買った。
財布を出そうとサコッシュを探ったとき、別のコンビニで買ったフィナンシェが入っているのに気付いた。
店の前の、人の邪魔にならなそうなところでレモンティーのふたを開け、一口飲んだ後、ちょっとした思いつきでフィナンシェの封も切った。
本当は仕事の合間にでも、ゆっくりコーヒーでも飲みつつ、涼しい部屋で食うつもりだったが、衝動的に食べたくなったのだ。
「ごほっ、げほっ」
フィナンシェは、どうやらサコッシュの中でスマホや鍵とぶつかったらしく、少し砕けていたようだ。それが気管に入ってしまった。
「忙しい金融家が、洋服を食べカスで汚さないよう、しっとり焼かれた菓子」なんじゃないのかよ…。
ひとしきりせき込んで落ち着いてから、レモンティーを一口飲んで「はあっ」と肩で息をすると、近くにいた女の子がくすくす笑っていた。娘と同じぐらいの年恰好だ。「少女A」である。
「おじさん、ひょっとしてそれ朝ごはん?」
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