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モンブラン(2)
しおりを挟む40分ほどすると、弟が戻ってきた。
簡単に状況を説明すると、少し安心したように「そうか…」と一言言い、そのまま腰も下ろさず売店へと向かった。
飲み物でも買うのかと思ったら、売店前のハンガーから紺色のTシャツを1枚選んで買ってきた。
裾にシンプルな線の花や虫の刺繍が入っている、何となくかわいらしいデザインだ。
それが一番安くて無難で、母の体にも合いそうなサイズだったらしい。
「母ちゃん、上半身裸っつうか下着だったからさ」
「なるほど、気が利くな。お前らしいわ」
母の状態が落ち着き、精算して帰宅となったとき、「上に何か羽織るものなどは…」と言う医療スタッフに、弟は少し得意顔でTシャツを渡したが、「あと、裸足でお越しになったので、何か履くものは…」と言われたから、今度は俺が売店に走り、「つっかけ」と表現したいような女もののサンダルを買った。
さて、かんじんの医療費の精算であるが。
大あわてて身一つで運ばれてきたので、保険証などはない。
「5万5,000円」の請求に、「えっ、あっ」とみっともない声が出てしまった。財布の中には1万円あったかどうか。
幸い院内にATMがあったので急いで下ろし、後ほど保険証を持ってきて、返金手続を申請することになった。
やれやれ、また持ち出しが増えた。
その間母は、どうも自分の置かれている状況が分かっていないのだろうなと思われる言葉を繰り返していた。
「病室の荷物はどうなってるの?」
「こんな服、私のじゃない。私はこんなの着ない」
「何であんたがお金を払うの?しかもゴマンエンって?」
母にそんなふうに言われるたびに、
「入院したわけじゃないから、ほかの荷物はないよ」
「家に帰ったら脱いでもいいから。下着のままってわけにいかないだろう?」
「とにかく今は、誰かがお金を払わなきゃいけないんから。保険証持って手続したら返してもらえるし」
このように説明したが、すぐまた同じようなことを尋ねてくる。
正直言えばうんざりしたが、最近こういうやりとりは増えたので、俺には多少耐性があった。
それに対して弟は、今回ははたまたま活躍してくれたものの、普段の母の状況を正しくはつかんでいなかった。
「今はそんな話、どうだっていいんだよ!」
「黙れよ、何度も何度もうるさいな、ホント」
Tシャツを購入したときに見せたような“細やかな心遣い”など皆無の調子でそう返していた。
帰りの車内は、弟の軽い怒号で満ちる。
少し前なら、「そんな大声出さなくたって聞こえるよ」と言い返していたであろう母も何も言わず、「こんな服、私のじゃない」と繰り返した。
俺はあのTシャツ、結構かわいらしい服だと思ったので、大慌てで買ってきてくれた弟に対し、さすがに少し同情してしまった。
◇◇◇
母に薬を飲ませるため、何か食べ物を食べさせなければならないが、「要らない」「食べたくない」と言うばかりだ。
しびれを切らした弟が、「じゃ、ラーメン。そこならテイクアウトもやってるし、たしか低糖麺とかもあったからさ」と提案した。
「あ、別に普通のでいいと思うよ。母さん多分、今日は何も食べてないだろうし」
「糖尿病なんだろう?」
「あ、まあ――もうそういう段階じゃないっていうか…」
「そうか?よくわからんが、アニキがそう言うなら…」
ラーメンショップのドライブスルーのレーンに入ると、母はぼんやりした頭、弱弱しい声で「あんたたちも…」と言った。
「俺は外食すっと嫁に怒られるからいい。アニキは?」
「俺はまだ腹減ってないから。母さんのだけ買おう」
助手席に座った俺が財布を取り出すと、なぜか弟がイラついた様子で「俺、俺出すからいいって!」と制した。
弟が「外食禁止」なのは、健康上の問題か、活発すぎる人付き合い(多分女性と)のせいか分からないが、イラつき声は、そんな生活のうっぷんを反映しているのかもしれない。
「ラーメンっていえば、俺子供の頃、モンブランのことを「ラーメンケーキ」って呼んでたなあ」
「そういや昔のってみんな黄色かったよな。今はいろんなのあるけど。うちの子供らもさ…」
弟には中学生と高校生の娘がいて、やはり甘いものには目がないらしい。
俺にも高校生の娘がいるから分かるが、ネットで見かけたようなコンビニの新製品を買って帰ると、一時的にだが父親株が急上昇するのだ。
最近は「黄色は黄色でもレモン味のモンブランがあったので、試しに買って帰ったら大好評だった」なんて話も飛び出した。
状況が状況なので、どうでもいい雑談をすると、途端に空気が軽くなった気がする。
そんな俺たちの会話を聞いても、母は特に何の感慨もないようで、「病室の荷物は…」と、幻の手荷物の心配事を口にするだけだった。
家に持ち帰り、少しぬるくなったラーメンをすすっているとき、弟に「母ちゃん、うまいか?」と聞かれた母が、ぶっきらぼうに「フツー」と返していたので、思わず笑ってしまった。実食は4割程度か。
もったいないが、さすがに俺が残りを処理する気にもなれず、いったん三角コーナーにぶちまけた。
◇◇◇
俺、50歳。職業はフリーライター。
隣県には妻と、先ほども話したように高校生の娘がいるが、数か月前、実家近くの6畳一間アパートを借り、仕事場兼ねぐらにしている。別居というか単身赴任感覚だ。
目的は実母の介護――というか生活の介助のためである。
以下、特に愉快な話でもないが、ここに至るまでの事情や、最近の暮らしぶりなどを少しずつ語っていきたいと思う。
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