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モンブラン(1)
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いつも部屋にこもりがちなので、たまには気分を変えて仕事をしようかと、ポメラと記者ハンドブックを持って、とあるチェーン系のカフェにやってきた。
昼飯は部屋で適当に残り物やカップスープを食って済ませたから、ひどく腹が空いているわけではない。本当はコーヒー1杯だけ頼むつもりだった。
腕時計の時刻は午後2時を過ぎたところだったろうか。
おやつにはまだ少し早い時間だが、ショーケースに並んだケーキを見ていたら、無性に甘いものが食べたくなった。
“渋皮入りモンブラン”というやつとブレンドのMサイズを注文し、商品を受け取って席をキープし、さあ、仕事に取り掛かる前に食おうというとき、スマートフォンに電話の着信通知があった。弟からだった。
「お前か。どうした?」
『母ちゃんが、緊急搬送されたんだ』
「え…」
『星霜会病院だよ。アニキ、家にいないみたいだったけど、今どこだ?』
「星霜から…割と近くにいる、な」
こういう店舗で、客席での電話はあまり歓迎されない。
とりあえずどこか邪魔にならないところに移動して話すつもりだったが、「キンキュウハンソウ」とパワーワードのせいで、そういう配慮が全くできなくなってしまっていた。
その病院は、実はカフェの入っているホテルの3棟隣にあった。
すぐに席を立って走れば、多分1分で着くだろう。
弟は「可能ならバトンタッチしたい」という意図で電話をかけてきたらしい。
たまたま自分が対応できたから付き添ったが、実はまだ仕事が残っているのだという。
逆に言えば、自分にゆとりがあれば、「実はこうだった」という状況を事後報告してくれただろう。
弟の性格からして、容易にそんな想像がついた。
そんな弟のために、ぜひとも即応したいところだが、モンブランとコーヒーを全く手つかずのまま立つ気には、さすがになれなかった。
テレビのバラエティー番組じゃないんだから、このまま放置したら「スタッフがおいしくいただきました」なんてことはないのだから、あまりにももったいない。
というよりも、自分が食べたいと思って注文したケーキなのだから、さすがに一口も食べられないのは酷だ。
「ええと、じゃ、5分ぐらい待ってくれ」
『分かった。悪いな。気を付けて来てくれ』
おれは大きくも小さくもないモンブランを三口ほどで大慌てで食べ、せわしなくコーヒーを無理やり飲んで、テーブルに出していたポメラをしまって席を立った。
こうなると甘いケーキも香り高いコーヒーも、全く意味のない固体と液体でしかない。
乗っていた自転車は駅前の駐輪場に預けっ放しだった。自動車と違い、1日中預けても50円で済むので助かる。
ケーキとコーヒーはティータイム扱いだったので、割安の550円だった。
最近持ち出しが地味のが気になっていたので、細かい金額をセコセコと考えてしまうくせがついている。
◇◇◇
緊急搬送口で名前を言って事情を説明すると、弟が「お、こっちだよ、思ったより早かったな」と声をかけてきた。
母は搬送口から一番近くの処置室に運び込まれたらしい。
弟は、俺が来たらすぐ分かるようにと、処置室の近くにあった長椅子の端っこにでかい体を預け、母の心配をしつつ、外の様子を窺っていたようだった。
「担当の女の人が、多分低血糖だろうってさ。今、点滴受けてるんだ」
「低血糖…」
その日は担当のケアマネジャーが母のもとを訪問する日だったが、呼び鈴を鳴らしても出てこないし、電話に対しても無反応だった。
そこで、まず俺のスマホに電話をしたが出なかったので、第2候補の弟のもとに連絡が行った。
そして弟が合いカギで家に入ると、母がベッドの上で、上半身は半袖の肌着、下半身はスラックスという姿で「泡を吹いて倒れていた(弟の描写)」のだという。
「ああ、さっきの電話か…」
そういえば、たまたま自転車を走らせている途中だったので出遅れたが、確かに俺のスマホは13時台にいちど鳴った。
俺の電話にケアマネから連絡があるときは、「包括支援センター」の固定電話の番号で来るので、スマホからの発信は想定外だったし、留守録も残さない知らない番号にかけ直すのははばかられた。
そんな悪い偶然が重なってスルーしてしまったのだが、やはり少し反省せざるを得ない。
仕事柄とはいえ、いろいろと骨を折ってくれた人に対し、「留守録にメッセージを入れてくれさえすれば」なんて文句を言うべきではないだろう。
弟は損害保険関係の仕事をしていて、非通知や知らない番号からの着信にも慣れているせいか、すんなり電話に出ることができ、しかもたまたま実家の近くを営業車で回っていたので、運よく即応できたということだ。
「そうか。悪いことをしたな。しかし、おかげで助かったよ」
「で、そういうわけだから、俺またちょっと出てくるよ。すぐ終わると思うから、また戻ってくる」
「そうか。でもあとは俺が何とかする…」
と言いかけて、自転車のことを思い出した。
もし入院となったら、まずは母の家に行き、あれやこれやと必要なものを持ってこなければいけない。
実家から病院までは、車なら10分足らずだが、自転車だとその倍はかかるか?
そもそも俺の自転車には荷台もかごもない、ただの「足」だから、物を運搬するには不適切だ。
自転車を預けっ放しにして、タクシーでも使って…。
俺は瞬時にいろいろと考えて言い淀んでしまったが、察しのいい弟は、「そういえばアニキは何で来たんだ?」と言った。
「あ、自転車だ。駅前の駐輪場に入れてる」
「…だよなあ。クルマはあっちだし」
「そうなんだよ…」
実際その時点では、入院か日帰りかは確定していなかった。
まあ感染症が蔓延しているせいもあり、日帰りになる可能性が高いだろう。
「じゃ、母ちゃんがすぐ帰れるようならアニキのことも送るよ。あの自転車ならクルマで運べるよな」
「悪いな、お言葉に甘えるよ」
「ああ、またな」
弟は俺より4歳年下で、一言で言って「良いヤツ」だ。
昔はやんちゃだったし、今でも多少短気なところはあるが、身長180、体重85キロのでかい体に似合わずフットワークが軽く、少し強面だが面倒見がよくて気前がいい。
◇◇◇
「あの、ご家族の方ですか?」
弟をいったん見送った俺が、さっきまで弟の座っていた場所に座っていると、ドクターらしき男――多分30代ぐらい――に声をかけられ、母の現況を聞いた。
「今日はもう少し休んでから帰られて大丈夫ですが、できるだけ早く主治医の先生に診てもらってください」
「あ――はい」
「で、そのときにですね、今まで飲んでいたお薬のうち、これを抜くように頼んでいただきたいんですが」
「はあ…これは?」
「コレを飲むと低血糖を起こしやすくなるんですよ。だからとりあえず…」
「はあ…」
俺は正直、内心ため息をついていた
ここでおしまいではない。またタスクが増えてしまったな、と。
昼飯は部屋で適当に残り物やカップスープを食って済ませたから、ひどく腹が空いているわけではない。本当はコーヒー1杯だけ頼むつもりだった。
腕時計の時刻は午後2時を過ぎたところだったろうか。
おやつにはまだ少し早い時間だが、ショーケースに並んだケーキを見ていたら、無性に甘いものが食べたくなった。
“渋皮入りモンブラン”というやつとブレンドのMサイズを注文し、商品を受け取って席をキープし、さあ、仕事に取り掛かる前に食おうというとき、スマートフォンに電話の着信通知があった。弟からだった。
「お前か。どうした?」
『母ちゃんが、緊急搬送されたんだ』
「え…」
『星霜会病院だよ。アニキ、家にいないみたいだったけど、今どこだ?』
「星霜から…割と近くにいる、な」
こういう店舗で、客席での電話はあまり歓迎されない。
とりあえずどこか邪魔にならないところに移動して話すつもりだったが、「キンキュウハンソウ」とパワーワードのせいで、そういう配慮が全くできなくなってしまっていた。
その病院は、実はカフェの入っているホテルの3棟隣にあった。
すぐに席を立って走れば、多分1分で着くだろう。
弟は「可能ならバトンタッチしたい」という意図で電話をかけてきたらしい。
たまたま自分が対応できたから付き添ったが、実はまだ仕事が残っているのだという。
逆に言えば、自分にゆとりがあれば、「実はこうだった」という状況を事後報告してくれただろう。
弟の性格からして、容易にそんな想像がついた。
そんな弟のために、ぜひとも即応したいところだが、モンブランとコーヒーを全く手つかずのまま立つ気には、さすがになれなかった。
テレビのバラエティー番組じゃないんだから、このまま放置したら「スタッフがおいしくいただきました」なんてことはないのだから、あまりにももったいない。
というよりも、自分が食べたいと思って注文したケーキなのだから、さすがに一口も食べられないのは酷だ。
「ええと、じゃ、5分ぐらい待ってくれ」
『分かった。悪いな。気を付けて来てくれ』
おれは大きくも小さくもないモンブランを三口ほどで大慌てで食べ、せわしなくコーヒーを無理やり飲んで、テーブルに出していたポメラをしまって席を立った。
こうなると甘いケーキも香り高いコーヒーも、全く意味のない固体と液体でしかない。
乗っていた自転車は駅前の駐輪場に預けっ放しだった。自動車と違い、1日中預けても50円で済むので助かる。
ケーキとコーヒーはティータイム扱いだったので、割安の550円だった。
最近持ち出しが地味のが気になっていたので、細かい金額をセコセコと考えてしまうくせがついている。
◇◇◇
緊急搬送口で名前を言って事情を説明すると、弟が「お、こっちだよ、思ったより早かったな」と声をかけてきた。
母は搬送口から一番近くの処置室に運び込まれたらしい。
弟は、俺が来たらすぐ分かるようにと、処置室の近くにあった長椅子の端っこにでかい体を預け、母の心配をしつつ、外の様子を窺っていたようだった。
「担当の女の人が、多分低血糖だろうってさ。今、点滴受けてるんだ」
「低血糖…」
その日は担当のケアマネジャーが母のもとを訪問する日だったが、呼び鈴を鳴らしても出てこないし、電話に対しても無反応だった。
そこで、まず俺のスマホに電話をしたが出なかったので、第2候補の弟のもとに連絡が行った。
そして弟が合いカギで家に入ると、母がベッドの上で、上半身は半袖の肌着、下半身はスラックスという姿で「泡を吹いて倒れていた(弟の描写)」のだという。
「ああ、さっきの電話か…」
そういえば、たまたま自転車を走らせている途中だったので出遅れたが、確かに俺のスマホは13時台にいちど鳴った。
俺の電話にケアマネから連絡があるときは、「包括支援センター」の固定電話の番号で来るので、スマホからの発信は想定外だったし、留守録も残さない知らない番号にかけ直すのははばかられた。
そんな悪い偶然が重なってスルーしてしまったのだが、やはり少し反省せざるを得ない。
仕事柄とはいえ、いろいろと骨を折ってくれた人に対し、「留守録にメッセージを入れてくれさえすれば」なんて文句を言うべきではないだろう。
弟は損害保険関係の仕事をしていて、非通知や知らない番号からの着信にも慣れているせいか、すんなり電話に出ることができ、しかもたまたま実家の近くを営業車で回っていたので、運よく即応できたということだ。
「そうか。悪いことをしたな。しかし、おかげで助かったよ」
「で、そういうわけだから、俺またちょっと出てくるよ。すぐ終わると思うから、また戻ってくる」
「そうか。でもあとは俺が何とかする…」
と言いかけて、自転車のことを思い出した。
もし入院となったら、まずは母の家に行き、あれやこれやと必要なものを持ってこなければいけない。
実家から病院までは、車なら10分足らずだが、自転車だとその倍はかかるか?
そもそも俺の自転車には荷台もかごもない、ただの「足」だから、物を運搬するには不適切だ。
自転車を預けっ放しにして、タクシーでも使って…。
俺は瞬時にいろいろと考えて言い淀んでしまったが、察しのいい弟は、「そういえばアニキは何で来たんだ?」と言った。
「あ、自転車だ。駅前の駐輪場に入れてる」
「…だよなあ。クルマはあっちだし」
「そうなんだよ…」
実際その時点では、入院か日帰りかは確定していなかった。
まあ感染症が蔓延しているせいもあり、日帰りになる可能性が高いだろう。
「じゃ、母ちゃんがすぐ帰れるようならアニキのことも送るよ。あの自転車ならクルマで運べるよな」
「悪いな、お言葉に甘えるよ」
「ああ、またな」
弟は俺より4歳年下で、一言で言って「良いヤツ」だ。
昔はやんちゃだったし、今でも多少短気なところはあるが、身長180、体重85キロのでかい体に似合わずフットワークが軽く、少し強面だが面倒見がよくて気前がいい。
◇◇◇
「あの、ご家族の方ですか?」
弟をいったん見送った俺が、さっきまで弟の座っていた場所に座っていると、ドクターらしき男――多分30代ぐらい――に声をかけられ、母の現況を聞いた。
「今日はもう少し休んでから帰られて大丈夫ですが、できるだけ早く主治医の先生に診てもらってください」
「あ――はい」
「で、そのときにですね、今まで飲んでいたお薬のうち、これを抜くように頼んでいただきたいんですが」
「はあ…これは?」
「コレを飲むと低血糖を起こしやすくなるんですよ。だからとりあえず…」
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