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第4話 家族と、優しい大人たち
しおりを挟む結構時間が経っていたようで、空は少し暗くなりかけている。
久美はスーパーには行かず、手ぶらで帰った。
当然祖母には叱られたが、途端にわっと泣き出した久美に、「次気をつけてくれればいいから、おばあちゃんも言い過ぎたね」とあわてた様子で付け加えた。
「ちがう…」
「ちがう?」
「知らない人に…チカンされた…怖かった」
久美は小5のボキャブラリーで、必死にそう絞り出した。
◆◆
近くで聞いていた祖父があわてて110番通報すると、驚くほど早くパトカーが駆けつけ、隣に住む和也や、和也のところに遊びにきていた男子たちが「すげえ、本物だ」とわらわらと近づいてきた。
和也が久美に「おい、お前んちで何かあったのかよ?」と無遠慮に声をかけてきたが、久美は無視した。どちらにしても、明日にはクラス中のうわさになっているのだろう。
警察が駆けつけた直後、母親が仕事から帰ってきて祖母から簡単に説明を受け、「えっ」と顔を曇らせた。
それは母親の反応としては至極当然に思われたが、その後久美が、何人もの男の顔写真を出され、「この中に似ている人がいる?」と聞かれて答えられなかったり、「もう少し分かるように話してね」と警官に注意されているのを見ると、イライラしたように「ちゃんと答えなさい!自分が悪いんでしょ?」と声を張り上げる場面があり、警官が「この子が悪いんじゃありませんよ」と、なだめたほどだった。
「いいえ。お使いもまともにしないでフラフラして。この子にスキがあったんですよ」
久美たちの母は祖母(姑)とはそう仲がよくない。
自分が仕事に行っている間、育児を丸投げ状態なこともあって反論もできないのだが、孫に不具合があると、母親の自分が責められるというのを何より嫌がっていた。
久美は母親がいきり立ち、警官がなだめる様子を「おまわりさん優しいなあ。お母さんはどうせいつもそんなだよ?」とぼんやり見ていた。
「何ぼーっとしてるの!まったくあんたは…」
「ごめんなさい…」
いつもなら「別にいいじゃん」とか「ぼーっとしてないもん」と言うはずの久美が素直に謝っていることにすら、母は気付いていなかった。
◆◆
事情聴取が終わった後、警官と母親とともに、久美の話に出てきた「目撃者らしき人」のところに行くことになった。
あの人にもこんなふうに顔写真を何枚も見せたり、面倒くさいことを聞いたりするのかなと久美は心配したが、想像よりもずっと簡便に済んだ。
それよりも女の人に「ごめんなさいね、お役に立てなくて」と謝られ、子供ながらに恐縮してしまった。この人は全然悪くないということは、もちろん久美にも分かる。
「お邪魔しました」とその場を去るとき、母はぶつぶつ言いながら先に1人で行ってしまったが、30代くらいの背の高い警官が久美に歩幅を合わせ、言葉を選びながら話しかけてきた。
「久美ちゃん、だっけ」
「はい、そうです」
「えーとね…今日みたいなことを忘れろって方が無理だと思うけど…いろいろ楽しいことやって、いっぱい勉強して、頭から追い出したらいいよ」
「追い出す?」
「そう。嫌な記憶が居座る場所を作らないようにするんだ」
「うん…」
久美は、そんなこと本当にできるかな?と疑わしく思ったものの、「この警官は話をきちんと聞いてくれたし、お母さんに『この子が悪いんじゃない』って言ってくれた。だから信用できるかな」と思うことにした。
「ありがとう、おまわりさん」
「元気出して、ご飯いっぱい食べて、今日はゆっくり寝たらいい」
「はい!」
警官もまた、あの男と同じようにめがねをかけていた。
がっしりした体格で輪郭もしっかりとした四角で、あのカマキリみたいな男とは違う。
(お弁当箱みたいな顔で、この人のめがね黒縁で、あのお兄さんと全然違うや)
頭に乗って髪をくしゃっとつかむように撫でる手も温かい。
あの社宅の女の人が、自分の母親と全然違って優しかったように、同じ大人でもいろんな人がいるなと久美は思った。
◆◆
母に少し遅れて家に帰ると、久美を迎えた母の第一声は、「…そんなシャツばかり着ているからよ。もう着ちゃ駄目!」だった。
先にさっさと帰ってしまう途中、母はそのことばかり考えていたのだろうか。
「あんたのせいで大恥かいたわ。下げなくていい頭下げて…」
久美は今日ばかりは母に逆らうのが怖くて、「ごめんなさい、もう着ません」と言い、すぐ自室に戻って脱いだ。
母の理屈は、「そんな目立つシャツを着ているから、目をつけられたんだ」ということらしい。
バイクのナンバーを記憶していたわけでもないし、男の顔だってメット越しに見たもので、髪の長さすらよく分からない。そんなあやふやな情報では、絶対に捕まらないだろう。
つまり、久美が忘れ去ってさえしまえば、事件自体がなかったことになるのかもしれない。
父は久美たちが不在の間に帰ってきていて、あらかたの事情を聞いたらしく、「野良犬にでもかまれたと思って忘れろ」という表現をしたが、犬が大嫌いな久美にとっては、むしろ出来事の恐ろしさが際立つ。
正直、父や祖父は、ちょっとかわいい女の子の頭をなでた程度の話を、久美が深刻に捉えただけなのでは?という見方をしていた。だから祖父は、「110番は大げさだったな」と、変なところで反省するようなことを言った。
父はともかく、久美が恥ずかしい思いをしながら警官に話したことを、祖父は聞いていたはずなのに。
それを聞いた兄は「こんなブス、誰が触るかよ!」と笑い飛ばし、母に一応注意されたが、「そんなこと言うんじゃありません」ってやんわり言っただけだ。
兄は喘息の持病があって病弱だが、とても勉強ができたので、いろいろな意味で母は手と心をかけがちだった。結果、妹にこんな心無いことを言う中学生になったわけだが。
母が久美に「病気の人にひどいことを言うな」ときつく注意したのも、発作を起こして兄が学校を休んだとき、体調が戻ってテレビを見ていた兄に、「あー、ずる休みだ」と言ったことが原因だった。
あのときは確かに久美も悪いことを言ったと反省したけれど、病弱な兄から健康な妹への暴言はスルーである。
健康だからって何を言われても傷つかないわけではないが、母が久美の肩を持つことはない。
6歳下の弟は隣家の和也同様、パトカーに興奮していたくちだったが、「家に泥棒が入ったから警察を呼んだ」ということにしたのと、姉がいろいろと聞かれていたことから、「お姉ちゃんが何か盗まれた」と思い込んだらしい。
一応、幼稚園では余計なことを言うなと釘を刺したものの、期待はできないだろう。
祖母は事態が収拾してから、「大体、なんでそんなところにいたの?室田に行けばよかったのに」と改めて説教した。
事情をくみ取れなくても不思議のない弟はともかく、久美は家族の様子を見て、この家で自分の心配をした者は、実は誰もいなかったんだという現実を突きつけられた。
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