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第2話 あと数十メートル
しおりを挟むそしてその日着ていたのもまた、お気に入りの赤チェックシャツだった。
祖母に「豆腐買ってきて」と頼まれたので、まだ4時台だったと思う。
いくら日が高くなったとはいえ、それより遅い時間だったら、祖母がおつかいを言いつけることはなかったろうし、言いつけられても「学校から5時には家に帰れって言われた」と言えば断れる(と言いつつ、6時近くまで遊んでいることもあるが)。
ただ、その日の久美は、どらちにしても快くおつかいを引き受けていたろう。
お小遣いをもらったばかりだったので、新発売のお菓子を買おうと思っていたのだ。
コーンスナックだったが、「いちごみるく味」というのには、当時としては目新しさがあったし、プラスチック製の着せ替え人形のようなおまけもついているらしい。
豆腐は家のすぐそばの室田商店でも売っているが、あそこでは新製品のお菓子はあまり置いていない。しかし、600メートルほど離れた「スーパーさかえ」なら置いているかもしれない。
祖母はよく久美たち孫におやつをくれるが、寒天ゼリーとか、かりんとうとか、五家宝とか、どれも子供にいまいちアピールしないものばかりだし、買い食いには厳しく目を光らせていた。駄菓子屋に行っただけで、不良のように言われることすらある。
(でもあれ、すごくおいしそうだったし、食べたいんだよなあ…)
祖母は「豆腐を買ってこい」と言っただけで「室田で」とは言わなかった。
ちょっと遠いけど走ってスーパーまで行って、豆腐とお菓子を買えばいい。
帰ってきたとき「どうしてスーパーに行ったの?」って言われたら、「特売チラシ入ってたんだよ。知らないの?」とでも言っておけばいいだろう。
食べたことのないお菓子で頭がいっぱいになっていた久美は、頭をフル回転させ、先の先まで計算した上で「行ってきまーす」と元気に家を出た。
祖母は「道草食うんじゃないよ」と後ろから声をかけて送り出した。
もし久美が、新製品を我慢して、素直に宮田商店に行っていたら。
祖母が、「久美があんなに素直に言うことを聞くなんて」と、少しでも訝しがったら。
その日のメニューが豆腐なしで成立するものだったら。
何より、祖母がお使いを頼まなければ…
たらればは何一つ役に立たないが、あの悲劇は起こらなかったのだろう。
◆◆
久美は最初の2ブロックほどは走ったが、室田商店を通り過ぎ、郵便局の前に来たあたりで、「ちゃっちゃと買い物すればいいかな」と考え直した。大した距離ではないが、全速力で疲れてしまったのだ。
これさえも、「スーパーの往復を走り続けていたら」の「たら」につながってしまうのだが。
もうスーパーの看板が右手に見えるところまで迫っていた。
そこは全国的にも有名なメーカーの社員寮の前だった。
そのメーカーの大きな工場がこの街にあり、久美も4年生のときに見学学習で行ったことがあるし、好きでよく見ている刑事ドラマのスポンサーにもなっている、おなじみの企業だ。
そのあたりで「ねえ、君」と背後から声をかけられた。
それは若い男で、ヘルメットをかぶっていた。
かなりやせていて、メット越しにも細長い顔の輪郭と、メガネをかけているのが分かる。
バイクに乗っていたが、エンジンを切って降りて押しながら歩いていたようだ。
なぜわざわざ降りたのかはともかく、久美に声をかけるためにエンジンを切ったようだ。
「この近くで雑誌を売っている店、知らないかな?」
「あー…本屋さんはちょっと遠いし…あ、そこのスーパーならあるかも」
1979年の地方の街にコンビニエンスストアはそんなに多くないし、久美は行ったことすらなかった。
でも、スーパーにも雑誌は少し置いてあったはず…というビジュアルイメージが頭に浮かんだので、自分が行く予定のスーパーの看板を無邪気に指さし、立ち去ろうとした。
すると男はなぜか「チッ」と舌打ちし、「スーパーじゃ欲しいのがあるかわかんないな。遠くてもいいから本屋さんの場所教えて――こっちで」と、社員寮の方を指さしながら、バイクを停めた。
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