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第1話 赤いチェックのシャツ

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 久美は、暖かくなる前に買ってもらった赤いギンガムチェックのシャツを、非常に気に入っていた。

 あまりにも気に入り過ぎて、毎日のようにそればかり着るものだから、母親に「いいかげん洗濯に出しなさい」と叱られるが、「下着は替えてるから大丈夫だもん」と平気で3日続けて着た後、やっと洗濯に出すというあんばいである。
 冬場だってセーターの中に着ればいいのにと思っていたが、「春になるまで着ちゃダメだよ」と母に言われ、やっと解禁されたのだ。うれしくて仕方がない。

「そればっかり着て…あんたはよくても、親が笑われるんだよ」

 ほかの服は要らないから、いっそ同じものをもう2、3枚買ってくれないかなと思うくらい、久美はそのシャツを気に入っていた。
 ズボンやスカート、上に羽織るカーディガンやセーターなどは色をちゃんと変えていたし、清潔さえ保てれば問題ないはずだ。

 当時は現在のように除菌や消臭用の布スプレーなどなかったが、もしそんなものが存在したら、久美はスプレー頼みで、洗濯にも出さずに着続けたかもしれない。色落ちを嫌がるジーンズ愛好家のような感じといったらいいだろうか。

 そして、お気に入りが着られない日は、気分も調子も悪い。
 その日も授業中にぼんやりしていて担任の先生に叱られたし、給食のおかずに大嫌いな肉の脂身がたくさん入っていた。
 チャンネル争いでお兄ちゃんに負けたのも、たぶんあのシャツを着ていなかったせいだ――そんな発想まで至っていた。

◆◆

 久美は気に入っていた、というよりも、その服に取りつかれていたのかもしれない。

 あのときは、普段あまり優しいとは言えない母が珍しく上機嫌で、「好きな服を1枚だけ買ってあげるよ」と、デパートに連れていってくれたのだ。

 久美には2歳上の兄と6歳下の弟がいて、兄のお下がりを着せられることも多いのだが、それがたまらなく嫌だった。
 母親にもっとかわいい服が着たいと訴えても、「どうせ似合わないよ」とか「色気づいちゃって」とか言って取り合ってくれない。

 兄妹弟きょうだいの中で女が1人だけだと、ヲタサーの姫でもないが、男の子供よりかわいがられる――と思われがちだし、久美の周囲にもそんな家庭が多いが、久美に限っていえば違っていた。

 五月人形は5段飾りの立派なのがあるのに、雛人形は、親戚のおばさんが木目込みで作った親王飾りしかない。
 文句を言ったら、男の方が多いから多数決だと兄に鼻で笑われたし、母には「一応お人形はあるんだからいいでしょ?」と言われた。

 この家では「女の子」はいないも同然かと思いきや、家の手伝いに限っては「女の子なんだから」を振りかざされる。これには「いつかはお嫁に行くんだから」というニュアンスもあるのだろう。だから家事をいとうな的なものだ。
 久美はそんな境遇の中で、適度に口ごたえをしてガス抜きをしつつ、一方では「ま、こんなもんでしょ」と、いろいろと諦めているふしがあった。

 そんな中で買ってもらった赤いチェックのシャツは貴重だった。

 久美には、自分がまだ幼かった頃の、今よりはずっと優しかった母の思い出もある。
 弟のことは嫌いではないが、弟が生まれるまでは、一応自分はこの家のお姫様だったはずだ。
 今、母がツンケンして自分を否定するようなことを言いがちなのには、やはり心を痛めていた。

 だからシャツを着続けているが、ほんの気まぐれでシャツを買った母にしてみると、「みっともない」と映ってしまうだけらしい。
 ある意味、ちぐはぐな母娘関係の象徴ともいえるものなのだろう。
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