短編集『市井の人』

あおみなみ

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金曜日、絵本を持って

【終】反響

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 ヤヨイたちの街には大きな河川があり、夏休み中の豪雨で大洪水の被害に遭った家庭も多かった。
 不自由な避難所の生活を体験したり、ボランティアの人たちが家から泥をかき出すさまを目の当たりにした子もいたはずだ。
 絵本の中では、戦後の何かと足りぐるしい中で、主人公の少女の母親が物々交換でオーバーコートの材料を何とか集めた。そして染め物、織物、仕立てと進んで、冬までには少女の立派な赤いオーバーコートができ上がったので、製作にかかわった人たちと一緒に、ささやかなクリスマスパーティーを祝うという筋立てだった。

 何もかも思い通りにはいかないけれど、前向きに協力して頑張って、元の生活を取り戻す――そういったさまは、(絵が少々暗くても)希望にあふれているし、いいなあとヤヨイは思ったのだ。水害を経験した子たちにっても、何か思うところあるかもしれないと思い、そんな話を朗読の前に簡単に添えた。

 ヤヨイは自分なりに一生懸命読んだ。難しそうな言葉には、適宜解説も入れた。

 児童たちからは通り一遍の挨拶と拍手があっただけで、正直どんな感想を持ったのかは分からない。
 ただ、担任の先生には大変好感触だったようで、「いいご本を紹介してくださってありがとうございます」と、教室を出るとき、深々と頭を下げられた。

◇◇◇

 ヤヨイの次の担当は2年生だったが、子供たちにおなじみのキャラクターが主人公の、少し取っつきやすそうなものを努めて選んだ。

(それでも何か言われるかもしれないけど、別にいいもんねっ)

 ヤヨイは開き直りというよりも、かなり明るい心持ちで控室のドアを開け、「おはようございます!」と感嘆符つきで言えたのには、裏話があった。

 実は前回の読み聞かせから2日後、メールが届いていた。
 それは小学校のとあるクラスの担任から、読み聞かせボランティアの責任者に届いたものだったが、転送でメンバー全員に共有された。

「3年2組の担任をしております原と申します。
 一昨日、朝の読書タイムに読んでいただいた本を自分で読みたいという声が何人かの児童から出ましたが、詳しい書名や作者名を控えるのを忘れていました。
 大変すばらしい内容だったので、私自身読みたいと思っております。
 ぜひ本のデータをご教示いただけませんでしょうか」

「私は子供が3年生のときから活動のお手伝いしてますけど、こんなことは初めてです」

 と、責任者からヤヨイに個別でのメールも来た。

 ヤヨイは“気にしい”なので、これで事態が好転したなどとは思っていない。
 むしろ「新入りがいい気になってる」などと、陰では不興を買っている可能性もあるし、実際の方が、この世の中には多いものだ。

 だからこそ、「たまにはこんなこともある」という喜びを、存分に味わおうと、少なくともその日は前向きに考えることができた。



【参考図書】
『お菓子の大舞踏会』 作:夢野久作
『アンナの赤いオーバー』作: ハリエット・ジィーフェルト 絵: アニタ・ローベル

【了】
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