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或る母親の“一生”
【終】同窓会
しおりを挟むそれからさらに数年後のこと。
小学校卒業から20年目に、実家経由で同窓会の知らせが届いた。
みんな32歳か33歳。晩婚化が言われているが、独身でも既婚でも子持ちでも別に珍しくない年齢である。
場所は卒業した小学校の近くの公民館だという。
土曜日の午後からなので、カノンは夫に子供を託して出席した。
カノンは今回の出席には実はあまり乗り気ではなかったものの、長くつき合いのあるもと同級生に「たまにはいいでしょ」と誘われてやってきた。
***
カノンが会場に着いたときには、既に出来上がっているレベルで飲んで騒いでいる者もいた。
スマホを見せ合っているのは、子供だったり恋人だったりの写真を自慢しているのだろう。
脂とタンパク質が優勢のつまみを食べ、酒が入ると、舌もそれなりに滑らかになる。普段はあまり飲まないが、実はそう弱い方でもないカノンも、適当にオードブルやビールを口に運んだ。
そして話の流れで娘の写真を見せると、「賢そうな子ね」と褒められ、まんざらでもなかった。
今はもう高学年になっている。
ということは、エマの子供は既に中学生ぐらいになっているのだろうが、肝心のエマの姿が見えない。
カノンは少し気になって、エマと仲がよかった記憶がある女性――マリアに声をかけてみた。これも素面だったらしなかったことかもしれない。
「え…知らなかったの?エマは…」
エマは1年ほど前、この世を去ったという。
結婚や出産も経験し、心身ともに強くなったかに見えたが、「見えた」だけだった。
病気についての詳しいことは、エマの母親が書いていたブログで分かるのではないかと付け加えられた。
「そっか。よくなった――っていうか、完全に治ったわけじゃなかったんだね」
「私は実家暮らしだから、今もエマのお母さんと顔を合わせることもそこそこあるんだ」
「なるほどね」
会場は公民館の会議室で、真ん中に2列に置かれた長机の上に仕出し料理や酒が置かれ、好きなものを取って、思い思いの場所に自分で広げたパイプ椅子に腰かけて飲み食いする。立食というか、フリーアドレスという感じのスタイルだった。
カノンとマリアは、小学校の北校舎の窓がよく見える位置に椅子を置いて、それぞれ白ワインと日本酒の入ったコップを傾けていた。
「カノンちゃんってエマと仲良かったの?」
「1年生のとき、プリントとか届けに毎日家に行っていたの」
「そうか。私は3年のとき初めて一緒のクラスになったから」
「あの頃は、学校に来られる日数の方が少なかったんじゃないかな」
「らしいね。学校に通えるようになってからも、体育は見学ばかりだったし」
「私は高校もエマと一緒だったんだよね」とマリアが言った。
カノンはそう言われ、「そうなんだ」というひねりのない返事しかできない。
「あの子って卒業してすぐ結婚したけど、出産したのは秋ぐらいだったから、実は卒業式の頃には妊娠してたんじゃないかな」
「ああ…」
カノンは小学校低学年の頃のエマしか知らないが、なぜかそれが「彼女らしい」と思えた。
その昔、「ブスだから赤ちゃん産めない」と言われたエリカは、今日は洗練されたメイクをして、藤色の、こまかしの利かないプレーンなワンピースを着こなし、さりげない美しさを見せつけている。
仕事が楽しくて恋愛や結婚は二の次になっていると笑っている様子も見られた。
あれは今思っても、子供だからと許される暴言のレベルを逸脱していたが、とにもかくにもエマは、いち早く結婚して、誰よりも早く母親になりたかったのだろうなと、今なら分かる。
「死んだ人を悪く言うのはあれだけど、エマってわがままでね。病気のせいもあったかな」
「あー、ねえ…」
「私、何回絶交宣言されたかわかんないよ。こっちから「縁切る!」って言ったこともあるし、ぶっちゃけオトコ盗られたこともあるし」
「へ、え…」
「でもね、今こうしていろいろ話してるとさ、バカ話して笑っていた頃のことしか思い出せないんだよね」
***
エマの子供は中学生だが、母親の死後は祖父母、つまりエマの両親に引き取られたらしい。
彼女の健康状態が思わしくなくなり、入退院を繰り返すようになった頃、「旦那さんが蒸発した」のだそうだ。
「男の子なんだけど、金髪に染めてピアスして、随分やんちゃでね。顔はエマに似てるからイケメン君だけど」
カノンがエマを最後に見たのは、ぎろっとにらむ鋭い目つきだった。
変な話だが、あの表情からイケメンヤンキー少年の顔は何となく想像できる。
そんな顔の少年は、母の死に接し、どんなふうに悲しんだのだろう。
「ほんと、死んじゃ駄目だよ。死ぬのは卑怯だよね~」
マリアは涙声になっていた。思ったよりも酒が回っているのかもしれない。
そしてそれは、彼女にエマの話を聞こうとした自分のせいかも――と、カノンは少し後悔した。
***
「さて、宴もたけなわではありますが…」
幹事がおずおずとした調子で、しかし声を張って、同窓会の終わりを告げた。
最後に集合写真を撮ったが、カノンとマリアは何となく並び、そろって小さくピースサインを出した。
連絡先の交換もしたが、多分これ以降の付き合いはないだろう。それこそ「酒の上での盛り上がり」だった。
迎えにきてくれた夫の車の中で、カノンはスマホでエマの母親のブログを探した。
最初は正直さして興味が湧かなかったのだが、マリアからエマの息子の話を聞いて、少し気になり始めたのだ。
「愛娘○○○日戦争」と名付けられた、エマの母親視点での闘病の記録は、写真がふんだんにアップされていた。
文章自体は改行も多く、こう言ってはなんだが薄っぺらい感じがした。
医師の説明をそのまま何とか書いたらしい、消化不良気味の医学用語もちりばめられていた。
「スポーツ選手か社長さんか芸能人になって、ママのためにおっきい家建てて、かっこいい車に乗せてあげる」と言う息子に、エマが「じゃ、ママ早く病気治さなきゃ」と答えたというエピソードに、少し血色の悪いエマと、彼女によく似た中性的な美少年が並んで撮られた写真が添えられているのを見て、カノンは思わず洟をすすり上げた。
「どうした?同窓会でいじめられたのか?」
運転席の夫がそれに気づき、小学生の娘に言うような心配事を口にした。
「ママ、大丈夫?」
後部座席でカノンの隣に座っていた娘も、心配そうに顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ。なんでもないから」
あと信号を三つ通過したら家に着くところまで来た。
実はさほど仲よくなかったかつての友を思い、安い感傷で涙するのは、皮肉にも今の自分が幸せ過ぎるからだろうなと、いちばん最後の信号が青にかわるのを眺めながら、ぼんやり思ったりした。
【『或る母親の“一生”』 了】
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