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【後日談】どうぞお幸せに
花束の意味
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私とレイは店を出た後、近くの大きな公園を散歩した。
構内には美術館があったけれど、開催中の特別展があまり興味をそそられないもので、「見る?」「私はいいや。でも、レイが興味あるなら」「オレもいい」という感じで、ペットボトル飲料を買って、ベンチに腰掛けて休憩することにした。
服も髪もびっしょりだったけれど、天気がよくて風があったこともあり、少しずつぬぐい取っているうちに、だんだん乾いてきた。
今さらアレだけど、あのお店のシトロンチーズケーキおいしかったなあ。紅茶も一味違っていたし。
「レイ、さっき言っていたけど――お医者さんになるの?」
「そうだね。オレは多分、ほかの人よりもなりやすい環境にあると思うし…」
「そっか…」
「でも、さっきああ答えたのは、ちょっと売り言葉に買い言葉ってところもあるんだ」
「え?」
「だって悔しいよね。オレたちはオレたちで一生懸命やってるだけなのに、教育レベルが低いだの、からだに毒物が蓄積されてるだのって」
「うん――それは正直言って…」
ムカついた、と言いたかったけれど、なぜかその言葉を使うのを少しためらってしまった。
実際レイは努力家だから別におかしくないんだけど、「一生懸命」というやや泥臭い言葉を使ったのは意外。そういう感覚、あるんだなって思った。
「あの藤本って人、母さんを大切にしてくれているみたいだし、少し安心した」
「そうだね…」
「安心して――母さんを捨てることができるから」
「捨てるって…」
「母さんっていうか、オレを産んだ「藤本理恵」という女性がこの世にいることを考えながら生活しなくてもいいんだなって感覚。ちょっと分かりにくいかもしれないけど」
「そっか…」
「まつりちゃんは将来、何になりたいの?」
「わ、その質問苦手なんだよね…」
「あ、そういえばそう言っていたっけ」
さすがはレイ。私が8歳(ぐらい)のときに言ったことも、ちゃんと覚えていたか。
「でも、いつまでもそうも言ってられないよね。大学に行って…職業にしたいようなことを見つけるか、職業とは別に好きなことを見つけるかくらいしか考えてない。恥ずかしいけど」
「そんなことないよ。今はそれで十分じゃないかな」
「医者になりたいって言う人に言われてもなあ…」
「分かりやすい名前のついた生き方ばかりじゃないでしょ?それにオレには、医者よりかなえたい希望もあるよ」
「なあに?」
「まつりちゃんがずっとそばにいてくれること、かな」
またこいつは、臆面もなくそういうことを…。
私は地元の国立金谷文科大学を一応志望している。杉妻医大からも割と近い大学だ。
だからレイが「杉妻に行きたい」と言ったとき、ちょっとうれしかったのも事実なんだけど。
◇◇◇
レイの髪や服が乾ききってから、適当にファミレスでご飯を食べた後、バスと電車を乗り継いで、2人とも行きたいと思っていた書店街だけ寄って、まだ明るいうちに帰ることにした。
ターミナル駅の構内には花屋さんがあった。
心なしか「カーネーション推し」に見えるけど、そうか、もうすぐ母の日だ。
レイはお土産の袋を私に預け、「ちょっと待っててね――あ、少し時間かかるかもしれないから、あそこのカフェにいてくれる?」と花屋さんに走った。
言われたとおり、ココアを飲んで待っていると、赤、白、ピンク、黄色と色とりどりのカーネーションと、カスミソウで作られた花束を持って帰ってきた。
「面白い買い方したのね。誰にあげるの?」
「まつりちゃん、受け取って」
「え?」
「思いついたとき買わないとって思ってたから」
「…ありがとう。うれしいな」
母親を「捨てる」と言ったばかりの人にカーネーションをもらうというのも、やや複雑ではあるけれど、美しい花に罪はない。
◇◇◇
カーネーションは9本あった。
実はあのときレイは、カーネーションというのは特に意識していなくて、花屋さんに「ある要望」を伝えたら、「じゃ、こういうのはどうでしょう?」と提案された結果があの花束だったという。
9本のカーネーションには「いつまでも一緒にいよう」という意味があることを私が知るのは、もう少し後になってからだった。
【『どうぞお幸せに』 了】
構内には美術館があったけれど、開催中の特別展があまり興味をそそられないもので、「見る?」「私はいいや。でも、レイが興味あるなら」「オレもいい」という感じで、ペットボトル飲料を買って、ベンチに腰掛けて休憩することにした。
服も髪もびっしょりだったけれど、天気がよくて風があったこともあり、少しずつぬぐい取っているうちに、だんだん乾いてきた。
今さらアレだけど、あのお店のシトロンチーズケーキおいしかったなあ。紅茶も一味違っていたし。
「レイ、さっき言っていたけど――お医者さんになるの?」
「そうだね。オレは多分、ほかの人よりもなりやすい環境にあると思うし…」
「そっか…」
「でも、さっきああ答えたのは、ちょっと売り言葉に買い言葉ってところもあるんだ」
「え?」
「だって悔しいよね。オレたちはオレたちで一生懸命やってるだけなのに、教育レベルが低いだの、からだに毒物が蓄積されてるだのって」
「うん――それは正直言って…」
ムカついた、と言いたかったけれど、なぜかその言葉を使うのを少しためらってしまった。
実際レイは努力家だから別におかしくないんだけど、「一生懸命」というやや泥臭い言葉を使ったのは意外。そういう感覚、あるんだなって思った。
「あの藤本って人、母さんを大切にしてくれているみたいだし、少し安心した」
「そうだね…」
「安心して――母さんを捨てることができるから」
「捨てるって…」
「母さんっていうか、オレを産んだ「藤本理恵」という女性がこの世にいることを考えながら生活しなくてもいいんだなって感覚。ちょっと分かりにくいかもしれないけど」
「そっか…」
「まつりちゃんは将来、何になりたいの?」
「わ、その質問苦手なんだよね…」
「あ、そういえばそう言っていたっけ」
さすがはレイ。私が8歳(ぐらい)のときに言ったことも、ちゃんと覚えていたか。
「でも、いつまでもそうも言ってられないよね。大学に行って…職業にしたいようなことを見つけるか、職業とは別に好きなことを見つけるかくらいしか考えてない。恥ずかしいけど」
「そんなことないよ。今はそれで十分じゃないかな」
「医者になりたいって言う人に言われてもなあ…」
「分かりやすい名前のついた生き方ばかりじゃないでしょ?それにオレには、医者よりかなえたい希望もあるよ」
「なあに?」
「まつりちゃんがずっとそばにいてくれること、かな」
またこいつは、臆面もなくそういうことを…。
私は地元の国立金谷文科大学を一応志望している。杉妻医大からも割と近い大学だ。
だからレイが「杉妻に行きたい」と言ったとき、ちょっとうれしかったのも事実なんだけど。
◇◇◇
レイの髪や服が乾ききってから、適当にファミレスでご飯を食べた後、バスと電車を乗り継いで、2人とも行きたいと思っていた書店街だけ寄って、まだ明るいうちに帰ることにした。
ターミナル駅の構内には花屋さんがあった。
心なしか「カーネーション推し」に見えるけど、そうか、もうすぐ母の日だ。
レイはお土産の袋を私に預け、「ちょっと待っててね――あ、少し時間かかるかもしれないから、あそこのカフェにいてくれる?」と花屋さんに走った。
言われたとおり、ココアを飲んで待っていると、赤、白、ピンク、黄色と色とりどりのカーネーションと、カスミソウで作られた花束を持って帰ってきた。
「面白い買い方したのね。誰にあげるの?」
「まつりちゃん、受け取って」
「え?」
「思いついたとき買わないとって思ってたから」
「…ありがとう。うれしいな」
母親を「捨てる」と言ったばかりの人にカーネーションをもらうというのも、やや複雑ではあるけれど、美しい花に罪はない。
◇◇◇
カーネーションは9本あった。
実はあのときレイは、カーネーションというのは特に意識していなくて、花屋さんに「ある要望」を伝えたら、「じゃ、こういうのはどうでしょう?」と提案された結果があの花束だったという。
9本のカーネーションには「いつまでも一緒にいよう」という意味があることを私が知るのは、もう少し後になってからだった。
【『どうぞお幸せに』 了】
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