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第10章 トラブル再び
萱間の妻
しおりを挟む創さんのところに電話があって3日後の昼下がり、アポなしで我が家にやってきた女性を見て、私はそれが「萱間の奥さん」であることを名乗る前から悟った。
というか、ちょうどそれっぽい月齢の赤ちゃんをお連れなんだもの。そりゃ分かるさ。
「初めまして、私、萱間有希と申します」
萱間さんちはご夫婦そろって地味に行動力があるのね。
私は「仕事があるので」と断ろうと思ったんだけど、ちょうどのんきに遅目のお昼ご飯など食べていたときだったし、「早目に切り上げますので、上がってもいいかしら?」と言われれば、何となく断りづらい。「はあ、散らかっていますが」と、有希と名乗るその女性を招き入れてしまった。
まだ私のカレシだった時代の萱間と関係を持って妊娠した上に、責任取ってくれなきゃ死ぬ――と脅し、今の地位にある女性だからして、私は会ったことのないその女性について、勝手に偏った想像していた。
すなわち、「見た目はかわいらしいけれど、どこか女性に嫌われそうなあざとい雰囲気のある人」ではないかと。
果たして、ほぼ思い描いていたとおりの女性が目の前に現れた。
中肉中背、ほどよい化粧に控え目だがおしゃれな装い。少なくとも私よりもずっと男性受けしそうなタイプ。萱間、分かりやすい男だな…。
この人が妊娠していなくても、私は早晩振られていたのかもしれない。
赤ちゃんは男の子だろうか。
間が持たない私は、「お母さん似ですね」などと適当に言ったら、なぜかびくっと怯えたように肩を動かした。
「いや、萱間に似てるでしょ。そう言われることが多いわ」
「よく分かりませんけど…お母さんに似て美形なんじゃないかな、なんて…」
「そんなことないわ!」
謙遜という口調ではないな、この語尾。
萱間は不細工ではなかったが、特にかっこいいわけでもない地味な顔立ち。
どうしてそんなにお父さんに似ていると強調するんだろう?
(あ…まさかね…)
少し前に萱間がうちに突然来たとき、私の郷里の年寄りなら、「適当言うな」とたしなめそうな話をしたことを思い出した。
「あの子は――俺の子じゃないかもしれない…」
あいつはそう言っていたけれど、聞けば聞くほど根拠が適当で、「俺の子じゃないといいなあ」という希望的観測にしか聞こえなかったのだ。
まさかビンゴだった?
▽▽
「ごめんなさいね、突然お邪魔して。おうちで仕事なさっているんでしょ?」
ああ、まったくだよと思ったけれど、エエカッコシイには定評のある私は「いえ、大丈夫です」などとあいまいに答えてしまう。
「まず、あなたにおわびしなくちゃね」
「いや、その…」
「私は“そこまでしてもらうのは申しわけない”と断ったんだけど…」
ん?ん?
「萱間が『責任を取るから』って強硬でね」
え?え?
「ああ、もう何言っても言い訳よね。あなたから萱間を奪ったことには変わりないもの」
もしこれが電話だったら、「どちらにおかけですか?」と番号を確認したくなるほど不可解だ。話が全く見えない。
しかし目の前で、笑いながら顔をしかめているこの女性には、一体何と言ったらいいのだろう。
「あの…」
私はそこで、「萱間からは全く反対の話を聞いた」と話した。
ただ、自殺すると騒いだとかいう話は、この人的には黒歴史かもしれないので、「泣いて懇願された」程度の表現にしておいたんだけど。
私は本当に、気を使わなくていいところでばかり気を使うな。自分で自分に呆れてしまう。
「あなたはそれを信じたの?」
「信じるも何も――彼の言い分しか聞けない状態でしたから…」
「というか、あなたはどうしてそんなに冷静なの?」
「さあ、どうしてでしょう…」
それは私にも分からない。
「1年以上前のことで、今さら怒れと言われても」って感じだし。
「おかしいわね。あなたと別れるとき、かなり苦労したって聞いたんだけど…」
私は記憶の糸を手繰り寄せ、簡単に検証した。
一方的に別れたいと言われ、「勝手過ぎるよ」くらいのことは言った記憶がある。
あと、「計算が合わない」って言ったっけ。あれは嫌味だったかな。
でも、一方的な別れ話でその程度の発言を許されないほど、私ばかりが低姿勢を求められるのはさすがにおかしい。
そして何より、あのとき「俺たち何年付き合ったと思っているんだ」とか、未練たらしいことを言ったのは向こうだったはず。
結論。「萱間と私の別れ話は割とちゃっちゃと終わった」はずだけど…。
私がポンコツなのか、萱間がダメなのかは分からないが、どうやらどちらかの認知がひどく歪んでいるらしい。
――なんて言うもんか!
この目の前のクソ女か、あるいはそのカスダンナか、どっちかがうそをついている。それだけの話のはずだ。
その理由もひたすら自分の保身のためであることは、第三者がテキトーに聞いたって想像がつくだろう。
「…お話ってそれだけですか?」
「え?」
「申しわけございませんけど、私こう見えて忙しいのでお引き取りを」
「何言ってるの?本題はここからよ」
「――それは、ご主人と関係のある話ですよね」
「もちろん」
「じゃ、もう聞きたくありません。二度と来ないでください」
「何なの?失礼な人ね」
「どっちが!」
母親と、見知らぬ女が突然大きな声を出したので、おもちゃを手にご機嫌で遊んでいた赤子がびっくりして泣き出した。
この子には何の罪もないけれど、今の私には耳障りでしかない声。
よかったね。その子がいなかったら、私はきっと力づくであなたを叩き出していたわよ、萱間有希さん。
(多分実行はしないけど、それくらいの気持ちだったということ)
試しに「ご主人に連絡しましょうか?」と言ったら、顔色を変えて去っていった。
どういうお話がしたかったのか知らないけれど、「ご主人に関係のある話」をひっさげて、しかし独断専行で乗り込んできたらしい。
嫌な予感しかしないというものだ。
▽▽
萱間有希の車の音が遠ざかった頃、創さんから電話が来た。
3日前、気持ちの悪い電話が来た後(店が暇なのをいいことに)窓越しにうちの様子を見ていてくれたらしい。
昨日までは、せいぜい郵便のバイクや集金らしき人しか確認できなかったが、見慣れない車が私の家のの前にとまったので気になったという。
『ミヨシちゃんちのお隣の内見――というのも考えたけど、今日は不動産定休日だし、大家さんの家の車でもないし…』
そして、車を降りた女はまさに私の家に入ったので、年格好からして友達かと思ったが、滞在時間が不自然に短かった。
『それで電話してみたんだけど…』
「創さん、それって張り込みの刑事さんみたい」
怒りと緊張で張りつめていた私は、創さんの声ですっかりほぐれ、冗談の一つも言ってみたくなったのだ。
『とりあえず、大丈夫そうだね』
「でも、この間「Sahara」に電話してきたのは、多分さっきの人ですよ」
『そっか――あの、それで…』
「多分創さんも考えているとおりです。頭から水かけてやったあの男の…」
『――やっぱりな』
「また来るかもしれないから、そっちの方が憂鬱だな」
『そのときはうちに連れておいで。ついでに売り上げに貢献してもらおう』
創さんの優しい軽口が胸にしみる。「じゃ、遠慮なく」なんて返事しちゃった。
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