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第6章 本業
現場 その2
しおりを挟む久々に「人前に出る仕事」なので、最近着ていない紺のスーツとブラウスを引っ張り出し、一応クリーニングに出した。
靴は、この無難な3センチヒールのパンプスでいいか。ちょっと野暮ったいけれど、今の私がぎりぎりコケないで済みそうな高さ。
そういえば、ストッキングも久々だ。無難そうな色の、50デニールを買ってきた。
機材、テープ、電池のたぐいは既に山科さんから預かっているので、適当なバッグに収納して、私物と別持ちすることにした。
機材はそのまま預かることになっているので、いっそ専用のバッグ買っちゃおうかな。
ただ、この「あると結構便利だから」と預けられた10メートルの超ロング延長コードは、取り回しに難儀しそう。結構古そうだし、いつから使っているんだろ、これ。
「カメラバッグは意外とお勧めだよ。クッション性が高くて、いろいろなものを小分けに入れられるから」
とのことなので、志津原の大きな店で探すことにした。
◇◇◇
そんな準備の合間にも、創さんの店でコーヒーを飲む。
「今まで買ったことないパスタソース買ってきたら2人分だった!お昼まだなら手伝いにきてくれない?」
なんて電話には、もちろんホイホイ応じる。
先日、大家さんからお世話を頼まれたおかげで、「れいらちゃん」という新しい話題を手に入れた。
かわいい自慢の娘の話をするときは、創さんの強面も少し緩くなる。
そして、流れとはいえ創さんの口から出てくる「妻」の話も聞かざるを得なくなる。
「れいらちゃんのお母さんなら、きれいな人なんでしょうね」
「もう他人だから言えるけど、まあまあ美人の部類かな」
「そう、ですか…」
「見かけによらず性格はきついけど」
「ああ、れいらちゃんもはっきり物をいいますもんね」
4歳の女の子は多少イキってた方がかわいい、と思う。
「ミヨシちゃんは癒し系だよね。見た目も中身もおっとりしてて」
「え?」
「俺がカレシだったら、膝枕で耳掃除してほしくなるな」
創さんが、私をからかってそんなことを言っているのは分かっている。この人は所詮「オッサン」なのだから。
ここで一発「いいですよ。いつでもどうぞ~お金は取りますけど」なんて言える性格だったらなと、歯がゆさを覚えるけれど。
「あ、俺調子に乗ったこと言っちゃったね、ごめん」
「いやあの…あはは…大丈夫ですよ」
私が「ここぞとばかりに乗っかれない性格」なのを気に病んだのを、創さんは「何を言う!このセクハラオヤジが!」と思っているけど言えない、そんなふうに取ったらしい。
「ミヨシちゃんは優しいから、つい甘えちゃって」とも言われた。
優しい…まあ、初対面で店主に向かって「お食事が済むまで待ってる」と言うような客は、そういうふうに言われても仕方ないのだろう。
一応褒められているはずなのに、胸が痛い。
(私は優しくなんかない。臆病なだけなんだ)
そんな利いた風な言葉が自分の中でこだまする。
◇◇◇
環境審議会当日、瀬瑞市役所本庁舎5階、会議室A・B(ぶち抜き)。
試しに使ってみようと思い、延長コードをセットしたところ、市役所生活環境部環境政策課の主幹だか副参事だか(顔に見覚えがある)がコードに足を引っかけた。
しかし、それで転んだわけではなく、無理な力がかかってコンセントから抜ける際に、プラグ部分があり得ない壊れ方をしてしまった。
それを見て、「もしこれ使ってたら、何かしらんけど発火しそう」と思うほど、バランバランになってしまったのだ。
「うわ…ごめんね。弁償するよ」
「あ、電池もあるんで大丈夫です。私が邪魔になるような配置をしちゃったから」
「いやあ、俺も下をよく見ていれば…」
まったくだよ!と思いつつ、きまり悪そうに頭をかく人のよさそうなおっさんを、必要以上に責める気はない。
私が弁償を断り、「それでは気が済まない」「いやいや、悪いのは私で…」と軽くもめていると、若い職員がやってきた。若いことは第一声でわかった。というより、ごくごく聞いたことがある声だったのだ。
「どうかしましたか?」
「あ、俺がこれ壊しちゃってさ。この子、優しいから怒らないんだよね」
また出た、“優しい”。私の何を知っているというんだ。
そう言うけど、怒ったら怒ったで「ヒステリー」とか言うんでしょう、どうせ。
「なるほど…」
何が「なるほど」だよ。
確かにあなたが、私が「優しい」ことを一番知っているでしょうね。
環境政策課主事、「萱間博次さん」よ。
「わざとじゃないって分かりますし、本当に大丈夫ですから」
「そう?何か悪いね」
主幹だか副参事だかは急いでいたようで、その場を離れた。アフターケアは「萱間クン」がやってくれると思ったのだろう。
「しばらく…だね。速記の仕事?」
「山科さんのご依頼です」
「ああ、山科さんのところで働いているのか」
「普段は在宅ですけど」
「そうか…」
萱間さんは何のつもりなのか、書類を手に持ったまま、私のそばを離れない。
「それ、配らなくていいんですか?」
「あ、そう、そうだね」
◇◇◇
私は彼と目が合わないように、ずっと顔を下に向け、機材の確認と席順のチェックをしていた。
そして書類配布なんて、多分1分もかからず終わってしまった。
「あの、やっぱり主幹と相談して、改めて弁償するよ」
「結構です。あの通り古かったみたいですし、寿命だったんですよ」
「そう…」
「まだ何かご用ですか?」
「いやその…じゃ、また」
やっとその場を離れたが、「じゃ、また」は余計だ。
延長コードのプラグが壊れちゃったこと、そして――そしてあなたに会っちゃったこと。
こっちとしては、初っ端からトラブルの連続で、結構気分が落ちているんだけど。
◇◇◇
しかし、二つのトラブルで厄落としになったのかどうか知らないけれど、速記自体はうまくいった。
環境問題については、90年代の初め頃から話題になることが多かったので、それなりに勉強していたし、とっつきがよかったおかげもある。
途中で休憩を挟み、会議は4時半に終了。
機材の撤収などを終え、5時頃庁舎を出ると、結構空が暗くなっていた。
黄昏時というほどでもないけれど、すれ違う人の顔や服装などは、意識的に見ないとよく分からない。
ましてや――後をこっそり付けてきた人に気付くわけもなかった。
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