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第4章 ふざけんなよてめえ
最後の出勤日
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瀬瑞市議会はここ1年、清掃工場の移転問題で揺れていた。
施設自体の老朽化もあるけれど、郊外に広い土地を確保し、リサイクルセンターと近接した施設にする計画らしい。ごみ焼却で発生した熱を温浴施設に利用したり、かなりいろいろ考えた計画らしいけれど、清掃工場もいわゆるNIMBY(※)の一種と数えられる施設だし、近隣住民の反発が大きかったようだ。
だから定例会の会期中は、反対派の人たちが「議会棟」と呼ばれる本庁舎の3・4階に押しかけて居座る光景が見られた。
よくよく見ると小さな子供も結構いる。といっても、当然赤子ではないし、未就学ってほど小さくもなさそう。
中には小学〇年生の教科書引っ張り出して、計算問題解いている子もいるんだけど。平日の昼間に学校行ってないの?――というより、お隣にいらっしゃる立派な主張をなさるお母さまが「行かせて」いないのかな。
この手の問題の面倒なところとして、反対派は、必ずしも実害を受けると主張できる近隣住民だけとは限らないという面もある。
「まだ使えるものを老朽化とか言って移転とか、税金の無駄使い。業者から金もらってるに違いない」という妄想をまことしやかに語る人と、それを信じる人とか、公共のやることにはとりあえず反対する系の、この少し後の時代に何かと話題になる「プロフェッショナルな市民」系の人とか。
だから極端な話、この街に住んですらいない人もいたりする。
「他人の困りごとを自分ごととして捉えている」というと、何だか「いい人」たちっぽいが、人の話は聞かない、というか聞く前から反対する気しかない、子供を学校に行かせない、またはそういうお仲間の行為に疑いも持たない「いい人」って、一体誰にとっての「いい人」なんだろう。
議会棟のあちこちに点在している椅子や応接セットで陣取って、行きかう議会職員や議会棟に用事で来た他の部署の職員、議員に個人的に用事があって来た「一般の善良な市民」の方々をジロジロ見たりするのは、不愉快だけれどまだ許容範囲だった。
時には賛成派の議員にイチャモンをつけ、小競り合いになることもあったし、いっそ出禁にしようという動きもあったけれど、「傍聴のために来て待機してるだけの市民を追い出すのか!」と大きな声で返されたりすると、「では、お静かにお願いします」としか言えない。
賛成派の人の質疑や討論のとき、野次って議会運営を妨害するとか(まあそんな人は退場させられるけれど)、速記者的にも結構迷惑をこうむった。
私が退職する直前の議会で、建設促進決議が可決されたけれど、これからまたもめるんだろうなあ…。
あのときは1時間置きに本会議が休憩になって、給湯室で飲み物やたこ焼きをもらい、それでお腹を何とかごまかし、だるい腕を動かし続けた。
後の会議録は「午後11時39分 閉会」と締めくくられた。
***
※NIMBY
Not In My Back Yard”(ウチの裏はやめて)の略。さまざまな理由から「迷惑施設」と目される施設・建物を、うちの近所にだけは建ててくれるなという考え方。
▽▽
激動の3月議会が終了し、私の最後の出勤日は3月25日だった。
退職自体は31日付だったけれど、残りは有給休暇の消化に充てた。
ぱーっと旅行に行きたい――ところも別にない。
目覚ましもセットせずに眠りたいだけ寝たり、夜と朝をつなげてしまうような、あり得ないほどの夜更かしをしたりするのも悪くない。
あ、それは「徹夜」っていうのかな。
3月の期末手当(※)が少しだけ出たので、何か普段買わないようなものを買ったり、ちょっといいご飯を食べたりしようかな?と、漠然と考えていたとき、創さんの顔が浮かんだ。
「臨時収入が出たので、いつものお礼にごちそうさせてください」といったら、お酒くらい付き合ってくれるだろうか。
***
※1990年代当時はまだそんなありがたいものが(夏・冬に比べると些少ですが)ありました。
▽▽
送別会的なものは辞退したが、ゴージャスな花束――というか花かごをもらった。
私が市議会に来たときからお世話になっている人もいるし、ここ1年のお付き合いの人もいるが、皆さんそれなりによくしてくださったので、深くお辞儀をしてエレベーターホールに向かった。
お花はきれいだしうれしいけど、これ持ってバスに乗り込むのはちょっとなあ。タクシーで帰ろうかな…。
そんなことを思いつつ、到着したハコに乗り込むと、5階から乗ってきた博次と一緒になってしまった。
「あ…」
「…お疲れさん」
ほかにも人がいればまだよかったのだが、1階まで2人だけだった。
大した時間ではないから、無言を通す。
博次は「開」のボタンを押して、私におりるように促したので、「あ、どもっ」と努めてそっけなく言ってみた。
▽▽
少し速足で庁舎の外に出ると、「あ、あのさ!ミヨシ!」と、昔のままの呼び方をしながら、博次が追ってきた。
まあ昔といっても、別れたのはほんの半年前か。
「何ですか?萱間さん」
「あの、さ、俺の私物って…」
「ほぼ消耗品だったので処分しました。というより、お送りしようにも今どちらにお住まいか分からなかったので」
「あー、自宅、ほら実家だよ、実家」
「そうですか。私は一度もお呼ばれしたことがないので、「ほら」と言われてもピンときませんけどねっ」
「…」
夕方5時台、今日で仕事を辞める女(服も持ち物もノーブランド)と、女を呼び止める元カレ(身重の妻あり、ノーブランドのスーツ)、場所は志津原信用金庫瀬瑞市役所前支店の、ちょっとブサイクなカモメのマスコット絵が描かれたシャッターの前。
舞台設定といい小物といい、やはり人気のトレンディドラマのようにはシマらない。
「あの…辞めるのって、俺のせい…?」
「まあそれも否定はしませんけど、単なる気分転換ですので」
「そうか…あの…その…」
「用件、早くおっしゃってください」
「荷物、大変だろ?俺、車で送るからさ」
「結構です。引っ越しましたし」
「あー、うん。それは知ってるけど…さ」
「では、これで…」
「待てよ!話聞いてくれ!」
博次は――最後の最後まで煮え切らない私のモトカレは、そう言って私の花かごを持っていない方の手首をつかんだ。
勘弁してほしい。不愉快な思いをさせられた上に、そんな三文芝居に付き合わせないで。
「離してください!」
「頼むから俺の話、聞いてくれよ」
さすがにこうなると、庁舎から出てくる人たちや通りすがりの人たちも、私たちをチラ見しているのが分かる。
ギャラリー要らねえよ!見世物じゃねーぞ!
私はさすがに少しだけ思い切った。
「あんたいったい何のつもり?もう終わってんのよ。末期通り越して「終了」なのよ」
「末期?終了?一体なんの…」
「さっさと家に帰りなさいよ!赤ちゃん、そろそろ産まれるんでしょ?」
「あ…の…いや…」
博次は久々の「モトカノ」との接触で、何らかのスイッチが入ったのかもしれない。
そこを現実に引き戻された――ように見える表情をしたので、私は大通りに走り出て横断歩道を渡り、私鉄の駅前のタクシー乗り場に向かった。
博次はそれでも追ってきたけれど、信号の切り替わりでうまいこと振り払えた。
末期、といえば。
槇原敬之というミュージシャンがいたっけ。
嫌いではなかったけれど、積極的にCDを買ったりするほどではなかったので、いつも聞くのは博次の車の中だった。
『もう恋なんてしない』
正直、特に思い入れのある曲ではないけれど、今聞いたら泣いてしまうかもしれない。
乗り込んだタクシーのカーステレオからは、AMらしき番組が流れていた。『イブニングリクエスト』とかいうジングルには聞き覚えがある。
マッキーはマッキーでも、『くもりガラスの夏』なんてマニアックな曲を、3月にリクエストするリスナーがいて、応えるパーソナリティーがいた。それも、私がたまたま乗ったタクシーで聞けてしまう状況で。
この曲もがっつり失恋ソングだけれど、そして何の思い入れもないけれど、メロデイーもアップテンポなところも『もう恋なんてしない』よりずっと気に入っていた曲だ。
積もり積もりって嫌な偶然だな。
もちろん嫌いじゃないけど、大した思い入れのない曲で泣くのって、めっちゃ恥ずかしいんですけど。
あの歌の歌詞になぞらえるなら、あの「終了男」には、私のありとあらゆる姿を「忘れていて」ほしいのだ。
施設自体の老朽化もあるけれど、郊外に広い土地を確保し、リサイクルセンターと近接した施設にする計画らしい。ごみ焼却で発生した熱を温浴施設に利用したり、かなりいろいろ考えた計画らしいけれど、清掃工場もいわゆるNIMBY(※)の一種と数えられる施設だし、近隣住民の反発が大きかったようだ。
だから定例会の会期中は、反対派の人たちが「議会棟」と呼ばれる本庁舎の3・4階に押しかけて居座る光景が見られた。
よくよく見ると小さな子供も結構いる。といっても、当然赤子ではないし、未就学ってほど小さくもなさそう。
中には小学〇年生の教科書引っ張り出して、計算問題解いている子もいるんだけど。平日の昼間に学校行ってないの?――というより、お隣にいらっしゃる立派な主張をなさるお母さまが「行かせて」いないのかな。
この手の問題の面倒なところとして、反対派は、必ずしも実害を受けると主張できる近隣住民だけとは限らないという面もある。
「まだ使えるものを老朽化とか言って移転とか、税金の無駄使い。業者から金もらってるに違いない」という妄想をまことしやかに語る人と、それを信じる人とか、公共のやることにはとりあえず反対する系の、この少し後の時代に何かと話題になる「プロフェッショナルな市民」系の人とか。
だから極端な話、この街に住んですらいない人もいたりする。
「他人の困りごとを自分ごととして捉えている」というと、何だか「いい人」たちっぽいが、人の話は聞かない、というか聞く前から反対する気しかない、子供を学校に行かせない、またはそういうお仲間の行為に疑いも持たない「いい人」って、一体誰にとっての「いい人」なんだろう。
議会棟のあちこちに点在している椅子や応接セットで陣取って、行きかう議会職員や議会棟に用事で来た他の部署の職員、議員に個人的に用事があって来た「一般の善良な市民」の方々をジロジロ見たりするのは、不愉快だけれどまだ許容範囲だった。
時には賛成派の議員にイチャモンをつけ、小競り合いになることもあったし、いっそ出禁にしようという動きもあったけれど、「傍聴のために来て待機してるだけの市民を追い出すのか!」と大きな声で返されたりすると、「では、お静かにお願いします」としか言えない。
賛成派の人の質疑や討論のとき、野次って議会運営を妨害するとか(まあそんな人は退場させられるけれど)、速記者的にも結構迷惑をこうむった。
私が退職する直前の議会で、建設促進決議が可決されたけれど、これからまたもめるんだろうなあ…。
あのときは1時間置きに本会議が休憩になって、給湯室で飲み物やたこ焼きをもらい、それでお腹を何とかごまかし、だるい腕を動かし続けた。
後の会議録は「午後11時39分 閉会」と締めくくられた。
***
※NIMBY
Not In My Back Yard”(ウチの裏はやめて)の略。さまざまな理由から「迷惑施設」と目される施設・建物を、うちの近所にだけは建ててくれるなという考え方。
▽▽
激動の3月議会が終了し、私の最後の出勤日は3月25日だった。
退職自体は31日付だったけれど、残りは有給休暇の消化に充てた。
ぱーっと旅行に行きたい――ところも別にない。
目覚ましもセットせずに眠りたいだけ寝たり、夜と朝をつなげてしまうような、あり得ないほどの夜更かしをしたりするのも悪くない。
あ、それは「徹夜」っていうのかな。
3月の期末手当(※)が少しだけ出たので、何か普段買わないようなものを買ったり、ちょっといいご飯を食べたりしようかな?と、漠然と考えていたとき、創さんの顔が浮かんだ。
「臨時収入が出たので、いつものお礼にごちそうさせてください」といったら、お酒くらい付き合ってくれるだろうか。
***
※1990年代当時はまだそんなありがたいものが(夏・冬に比べると些少ですが)ありました。
▽▽
送別会的なものは辞退したが、ゴージャスな花束――というか花かごをもらった。
私が市議会に来たときからお世話になっている人もいるし、ここ1年のお付き合いの人もいるが、皆さんそれなりによくしてくださったので、深くお辞儀をしてエレベーターホールに向かった。
お花はきれいだしうれしいけど、これ持ってバスに乗り込むのはちょっとなあ。タクシーで帰ろうかな…。
そんなことを思いつつ、到着したハコに乗り込むと、5階から乗ってきた博次と一緒になってしまった。
「あ…」
「…お疲れさん」
ほかにも人がいればまだよかったのだが、1階まで2人だけだった。
大した時間ではないから、無言を通す。
博次は「開」のボタンを押して、私におりるように促したので、「あ、どもっ」と努めてそっけなく言ってみた。
▽▽
少し速足で庁舎の外に出ると、「あ、あのさ!ミヨシ!」と、昔のままの呼び方をしながら、博次が追ってきた。
まあ昔といっても、別れたのはほんの半年前か。
「何ですか?萱間さん」
「あの、さ、俺の私物って…」
「ほぼ消耗品だったので処分しました。というより、お送りしようにも今どちらにお住まいか分からなかったので」
「あー、自宅、ほら実家だよ、実家」
「そうですか。私は一度もお呼ばれしたことがないので、「ほら」と言われてもピンときませんけどねっ」
「…」
夕方5時台、今日で仕事を辞める女(服も持ち物もノーブランド)と、女を呼び止める元カレ(身重の妻あり、ノーブランドのスーツ)、場所は志津原信用金庫瀬瑞市役所前支店の、ちょっとブサイクなカモメのマスコット絵が描かれたシャッターの前。
舞台設定といい小物といい、やはり人気のトレンディドラマのようにはシマらない。
「あの…辞めるのって、俺のせい…?」
「まあそれも否定はしませんけど、単なる気分転換ですので」
「そうか…あの…その…」
「用件、早くおっしゃってください」
「荷物、大変だろ?俺、車で送るからさ」
「結構です。引っ越しましたし」
「あー、うん。それは知ってるけど…さ」
「では、これで…」
「待てよ!話聞いてくれ!」
博次は――最後の最後まで煮え切らない私のモトカレは、そう言って私の花かごを持っていない方の手首をつかんだ。
勘弁してほしい。不愉快な思いをさせられた上に、そんな三文芝居に付き合わせないで。
「離してください!」
「頼むから俺の話、聞いてくれよ」
さすがにこうなると、庁舎から出てくる人たちや通りすがりの人たちも、私たちをチラ見しているのが分かる。
ギャラリー要らねえよ!見世物じゃねーぞ!
私はさすがに少しだけ思い切った。
「あんたいったい何のつもり?もう終わってんのよ。末期通り越して「終了」なのよ」
「末期?終了?一体なんの…」
「さっさと家に帰りなさいよ!赤ちゃん、そろそろ産まれるんでしょ?」
「あ…の…いや…」
博次は久々の「モトカノ」との接触で、何らかのスイッチが入ったのかもしれない。
そこを現実に引き戻された――ように見える表情をしたので、私は大通りに走り出て横断歩道を渡り、私鉄の駅前のタクシー乗り場に向かった。
博次はそれでも追ってきたけれど、信号の切り替わりでうまいこと振り払えた。
末期、といえば。
槇原敬之というミュージシャンがいたっけ。
嫌いではなかったけれど、積極的にCDを買ったりするほどではなかったので、いつも聞くのは博次の車の中だった。
『もう恋なんてしない』
正直、特に思い入れのある曲ではないけれど、今聞いたら泣いてしまうかもしれない。
乗り込んだタクシーのカーステレオからは、AMらしき番組が流れていた。『イブニングリクエスト』とかいうジングルには聞き覚えがある。
マッキーはマッキーでも、『くもりガラスの夏』なんてマニアックな曲を、3月にリクエストするリスナーがいて、応えるパーソナリティーがいた。それも、私がたまたま乗ったタクシーで聞けてしまう状況で。
この曲もがっつり失恋ソングだけれど、そして何の思い入れもないけれど、メロデイーもアップテンポなところも『もう恋なんてしない』よりずっと気に入っていた曲だ。
積もり積もりって嫌な偶然だな。
もちろん嫌いじゃないけど、大した思い入れのない曲で泣くのって、めっちゃ恥ずかしいんですけど。
あの歌の歌詞になぞらえるなら、あの「終了男」には、私のありとあらゆる姿を「忘れていて」ほしいのだ。
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