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純喫茶 点灯夫〈TENTOFU〉
【終】お幸せに
しおりを挟むさすがに5年程度では、そう大きな変化はない。
ミツエは相変わらず少し野暮ったく、でも少しだけ大人っぽく、きれいになった気もする。
それはまあ、勤めのために覚えた化粧のせいもあるのだろう。
「あなた、お付き合いしてる人とかは?」
「まあ――いちおう」
「そうだよね、あなたはとてもステキだもん」
はっきり言えば、たまにしゃらくさい映画だ美術だ食へのこだわりだを話し合い、セックスするというだけの仲の女がいるだけだ。
その女――シズカには多分、ほかにも「お友達」がいる。
俺にも「私はあなたのお友達の中で、何番目にイイ女?ちなみにあなたは私の中で暫定2位よ」などと言うほどだ。
最初シズカと関係を持ったばかりの頃は、「俺はこういう女と付き合いたかったのだ」と確かに思ったが、すっきりした部屋に暮らす彼女は、服やアイテムをいろいろ試しに買っては、一度不要と感じたら、何でもかんでも処分する。何なら人様からのプレゼントでも容赦ない。
そんなシズカの淡々とした様子を見て、何でもため込んでしまっていたミツエを懐かしく思い出したりすることが多くなって、そこへもってきての「結婚の報告」だったのだ。
「で、何の用?」
「え…」
「5年ほぼ音沙汰なしで、結婚すると聞いた途端、惜しくなったの?」
ミツエは5年前なら絶対にしなかったような表情で俺を見た。口調も責め気味に聞こえる。
「あ…の…」
俺は本当に何がしたかったんだ?
もしまだ俺が好きで、妥協で結婚するなら――かなりいい気になっているが、こういう要素もゼロではない。
君を内心バカにして疎ましく思っていたことをわびたかった――って、今さらわざわざ言うことか!
◇◇
「あなたって、考えてることがすぐ顔に出るんだよね。昔からそうだった」
「は…?」
「私はこんな私を好きだと言ってくれた人にプロポーズされて、今すごく幸せだから、邪魔しないでほしいんだけど」
「…どんな人?」
「食いしんぼで太っちょでスケベ。あなたとは正反対のタイプかな」
「…へえ」
写真を見てもらうと、失礼ながら、「いい人そう」という常套句がやっと出てくるような男だった。
「風俗大好きだけど、「君と結婚できるなら、もう二度と行かない!」って言って結婚申し込んでくるんだよ?最低でしょ?」
「どこがいいんだ、そ…」
そんなやつ、という言葉を何とか抑えた俺を、誰か褒めてほしい。
「ココット皿とか、クリムトやエゴン・シーレを知らなくても、バカにしたり他人の振りしたりしないところ、かな」
「……」
俺は態度に出したつもりはなかったが、彼女にはお見通しだったのか。
虚を突かれ、俺は言葉を失っていた。
「些細なことだけど、そういうのはけっこう大事なんだよね」
「あの…ごめん…」
「何を勘違いしてるのか知らないけど、私も内心「知ったか野郎」と思ってバカにしてたから」
「え?」
「お互い様。どっちも努力が足りなかったってだけだよ」
そこで彼女はにかっと笑った。
「あなたは私の自慢の彼氏だったんだよ、優しくて、かっこよくて」
「…これから結婚するくせに、そんなこと言うなよ」
「だからぜーんぶ過去形だってば。私はさっきの写真のトドみたいな人と幸せになるって決めたから。彼、私の父とももう飲み仲間だし、楽しくやるよ」
「それはよかった…幸せになってくれ」
「任せて」
◇◇
ココット皿にカレーの薬味を入れて使って何が悪い。
画家や絵の名前が覚えられなくても、ミツエがあの絵に心を動かされたのは本当だったはずなのに。
粋がっていた俺が、彼女のそんなところにいら立ちを覚えてしまったのは今さらどうしようもない。
それでも思う。
どうして「そんなところもかわいい」と思い続けられなかったんだろう。
「あー、やっぱりお砂糖溶け残ってた」
「だから、砂糖入れすぎなんだよ」
軽く「仕方ないな」感はにじんだろうが、俺には全く意地の悪い感情はなかった。
「でも、甘いのが好きなんだから、つい入れちゃうんだもん」
もうこの子とこんな何でもない会話ができないであろうことだけを、心から残念だと思った。
【『純喫茶 点灯夫〈TENTOFU〉』 了】
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