上 下
38 / 82
お大事に(笑)

熱い!

しおりを挟む


 行きのタクシーでは、女が「M総合病院までお願いします」と告げた。
 運転手は返事をした後、「どこかお悪いんですか?」と聞いてきたので、「大したことはないんですが、火傷しちゃって」と答えた。

「そりゃ大変だ。一体どこを?」
「あー…えーとあの…、もも、そう、ふとももです」
 こう答えたのは男だった。
 女は(何の見栄だよ一体…)と思ったが、そもそもそんな立ち入った質問に答える必要もなかったのだから、それぐらい適当でもよかったのかなと思い直した。

◇◇◇

 話は少しさかのぼって。

 男はその夜酒を飲んだ後、何となくネットサーフィンをしていたが、酔い覚ましに熱い紅茶が飲みたいと言った。
 それが酔い覚ましになるのかどうかは分からないが、とにかく飲みたかったらしい。
 女がてきぱきと男の愛用のマグにお茶を淹れて渡すと、ほろ酔い加減で手元が覚束なかったため、それをしっかりと受け取れなかった。
「あぢいっ!」

 マグはキーボードの上にがちゃっと落ち、中の熱々の液体は、キーボードだけでなく、男の体にもかかった。
 その部位が、よりによって股間だった。

「早く冷やしてきなよ!」
「冷やすって…氷で?」
「水シャワーばーっとかけて!一応、氷枕も用意しとくから!」
「あ、ああ…」

 時は10月の深夜。体の一部とはいえ、水をかけ続けるのは大分厳しい気温である。
 男は足に震えがくるぐらいの時間、ざーっと水をかけ続けた。

「ほかの部分まで冷やし過ぎるのはよくない――みたいだよ」
 女は自分のPCを立ち上げ、簡単に火傷の応急処置の方法を読んだので、男の様子を見がてら伝えにいくことにした。

「え、そうなの?」
「どこかの病院のページにそう書いてあった。痛い?」
「わかんない…」
「わかんないって…自分の体のことでしょ?」
 男はそう言われ、もじもじしたような、しゅんと落ち込んだような、複雑な表情を浮かべた。
 女はそれを見て、ますますいら立ちが募る。

「あのさ…この時間に診てくれるトコってあるかな?」
「病院?火傷で?」
「たかがって酷いな。何かあったら怖いよ、大事な部分トコだし」
「うん…まあね…」

 女は「とにかく、体拭いて服着ておいて」と言いながらPCに戻り、当番医が家から5、6キロ離れた病院だと知った。
 女も大した量ではないが、少しアルコールが入っていたので、車を出すことはできない。

「タクシー代かかっちゃうけど、仕方ないか」
「ごめんね…」
「(まったくだよ)仕方ないって」

 タクシーも幸いすぐに押さえられたので、アパートの名前と姓を告げた。
 男はぐずぐずと服を着ながら、「君はその格好で大丈夫なの?」と意味不明なことを言った。

「え?どういう意味?」
「外に出るのにさ。人によってはパジャマに見えるよ、その部屋着じゃ」

  女が着ていたのは、パーカーのついた淡い色のスウェットと、黒いデニムに見えるタイプの長いレギンスだった。
 普段からこの程度の格好ならば、近所のコンビニぐらいまでは行く。

「ええ?私は家で待ってるよ?」
「そんな!不安だから一緒に来てよ」
「何言ってるの?子供じゃないんだから…」
「君は俺がこんなところを火傷したのに、心配じゃないの?」
「そんなことは…」

 女は何でもてきぱきとこなす方だったが、ややそそっかしいところがあり、料理中の手の火傷もしょっちゅうだった。
 時には水泡ができるレベルのこともあるが、その程度で病院に行ったことなど一度もない。
 それがよいか悪いかはともかくとして、「そういうもの」と思っていた。

 しかし目の前の、「人はいいが極めて頼りない」と結婚前から分かっていたこの男は、何事においても女よりも慎重だった。
 その上、「大事なところ」だと二度も言うし、見るからに不安そうな顔をしている。

「わかったよ。この上からデニムでも羽織っとくわ」
 ため息交じりに言いながら、外出に最低限必要なものが入ったミニトートをぱっとひっつかむ。いかにも手慣れた様子だった。

「保険証は自分のカードケースに入ってるよね?あと『おくすり手帳』」
「あ、どうだったろう?」
「ちょっとー。しっかりしてよ!」

 そんな会話をしているうちに、外からタクシーの音がした。
 夜だからクラクションを鳴らしてもらうわけにもいかない。
 女はひとまず外に出て、運転手に事情を説明することにした。

「じゃ、先行くから、保険証と手帳確認したら、鍵かけて…」
「あ、あったあった。行こう」

 結婚前は、このぼーっとしたところが放っておけなかった。
 しかし結婚2年目ともなると、(いい大人が何やってんのよ!)と、口には出さないけれど思う。

(私なら多分、このシチュエーションで病院には行かないなあ…)

(行くにしても、タクシーは外に出て待っていたかった…)

 今言っても役に立たないフレーズが頭に浮かぶ。
 この程度で病院に行くのは、慎重なだけだというふうに好意的に取れるけれど、本当は彼の帰りを、それこそ紅茶でも飲みながらゆっくり待っていたかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

壁の薄いアパートで、隣の部屋から喘ぎ声がする

サドラ
恋愛
最近付き合い始めた彼女とアパートにいる主人公。しかし、隣の部屋からの喘ぎ声が壁が薄いせいで聞こえてくる。そのせいで欲情が刺激された両者はー

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

彼氏の前でどんどんスカートがめくれていく

ヘロディア
恋愛
初めて彼氏をデートに誘った主人公。衣装もバッチリ、メイクもバッチリとしたところだったが、彼女を屈辱的な出来事が襲うー

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

処理中です...