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お大事に(笑)
熱い!
しおりを挟む行きのタクシーでは、女が「M総合病院までお願いします」と告げた。
運転手は返事をした後、「どこかお悪いんですか?」と聞いてきたので、「大したことはないんですが、火傷しちゃって」と答えた。
「そりゃ大変だ。一体どこを?」
「あー…えーとあの…、もも、そう、ふとももです」
こう答えたのは男だった。
女は(何の見栄だよ一体…)と思ったが、そもそもそんな立ち入った質問に答える必要もなかったのだから、それぐらい適当でもよかったのかなと思い直した。
◇◇◇
話は少しさかのぼって。
男はその夜酒を飲んだ後、何となくネットサーフィンをしていたが、酔い覚ましに熱い紅茶が飲みたいと言った。
それが酔い覚ましになるのかどうかは分からないが、とにかく飲みたかったらしい。
女がてきぱきと男の愛用のマグにお茶を淹れて渡すと、ほろ酔い加減で手元が覚束なかったため、それをしっかりと受け取れなかった。
「あぢいっ!」
マグはキーボードの上にがちゃっと落ち、中の熱々の液体は、キーボードだけでなく、男の体にもかかった。
その部位が、よりによって股間だった。
「早く冷やしてきなよ!」
「冷やすって…氷で?」
「水シャワーばーっとかけて!一応、氷枕も用意しとくから!」
「あ、ああ…」
時は10月の深夜。体の一部とはいえ、水をかけ続けるのは大分厳しい気温である。
男は足に震えがくるぐらいの時間、ざーっと水をかけ続けた。
「ほかの部分まで冷やし過ぎるのはよくない――みたいだよ」
女は自分のPCを立ち上げ、簡単に火傷の応急処置の方法を読んだので、男の様子を見がてら伝えにいくことにした。
「え、そうなの?」
「どこかの病院のページにそう書いてあった。痛い?」
「わかんない…」
「わかんないって…自分の体のことでしょ?」
男はそう言われ、もじもじしたような、しゅんと落ち込んだような、複雑な表情を浮かべた。
女はそれを見て、ますますいら立ちが募る。
「あのさ…この時間に診てくれるトコってあるかな?」
「病院?たかが火傷で?」
「たかがって酷いな。何かあったら怖いよ、大事な部分だし」
「うん…まあね…」
女は「とにかく、体拭いて服着ておいて」と言いながらPCに戻り、当番医が家から5、6キロ離れた病院だと知った。
女も大した量ではないが、少しアルコールが入っていたので、車を出すことはできない。
「タクシー代かかっちゃうけど、仕方ないか」
「ごめんね…」
「(まったくだよ)仕方ないって」
タクシーも幸いすぐに押さえられたので、アパートの名前と姓を告げた。
男はぐずぐずと服を着ながら、「君はその格好で大丈夫なの?」と意味不明なことを言った。
「え?どういう意味?」
「外に出るのにさ。人によってはパジャマに見えるよ、その部屋着じゃ」
女が着ていたのは、パーカーのついた淡い色のスウェットと、黒いデニムに見えるタイプの長いレギンスだった。
普段からこの程度の格好ならば、近所のコンビニぐらいまでは行く。
「ええ?私は家で待ってるよ?」
「そんな!不安だから一緒に来てよ」
「何言ってるの?子供じゃないんだから…」
「君は俺がこんなところを火傷したのに、心配じゃないの?」
「そんなことは…」
女は何でもてきぱきとこなす方だったが、ややそそっかしいところがあり、料理中の手の火傷もしょっちゅうだった。
時には水泡ができるレベルのこともあるが、その程度で病院に行ったことなど一度もない。
それがよいか悪いかはともかくとして、「そういうもの」と思っていた。
しかし目の前の、「人はいいが極めて頼りない」と結婚前から分かっていたこの男は、何事においても女よりも慎重だった。
その上、「大事なところ」だと二度も言うし、見るからに不安そうな顔をしている。
「わかったよ。この上からデニムでも羽織っとくわ」
ため息交じりに言いながら、外出に最低限必要なものが入ったミニトートをぱっとひっつかむ。いかにも手慣れた様子だった。
「保険証は自分のカードケースに入ってるよね?あと『おくすり手帳』」
「あ、どうだったろう?」
「ちょっとー。しっかりしてよ!」
そんな会話をしているうちに、外から車の音がした。
夜だからクラクションを鳴らしてもらうわけにもいかない。
女はひとまず外に出て、運転手に事情を説明することにした。
「じゃ、先行くから、保険証と手帳確認したら、鍵かけて…」
「あ、あったあった。行こう」
結婚前は、このぼーっとしたところが放っておけなかった。
しかし結婚2年目ともなると、(いい大人が何やってんのよ!)と、口には出さないけれど思う。
(私なら多分、このシチュエーションで病院には行かないなあ…)
(行くにしても、タクシーは外に出て待っていたかった…)
今言っても役に立たないフレーズが頭に浮かぶ。
この程度で病院に行くのは、慎重なだけだというふうに好意的に取れるけれど、本当は彼の帰りを、それこそ紅茶でも飲みながらゆっくり待っていたかった。
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