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ぬるいラムネ
しおりを挟む高校2年生のとき、大学4年生の男性と付き合っていた。
その年のゴールデンウイークのあたりから付き合い始め、途中で私が17歳になったので、22歳の誕生日前の彼との年齢差は5歳弱といったところ。
いわゆる遠距離恋愛だったが、私は主に手紙を書き、彼は電話をくれ、週末には時間をつくって会いにきてくれたし、私から彼を訪ねることもあった。
浅黒い肌とくっきりした顔立ちが竹本孝之さんに似ていて、少しこもったような低い声で話す様子が好きだった(この辺は完全に思い出補正)。
都内の私立大学の法学部政治学科に在籍。大学の同好会に入るほど、甘いものが好きだった。
実は政治家になりたいなどと言うこともあった。
その足掛かりでもないだろうが、就活は公務員試験受験に絞っていたようで、時々試験のために会えない日曜日もあったけれど、電話や手紙で手応えなどを知らせてくれた。
その話が特に面白かったわけではないが、当時は「彼が私に語り掛けてくれること」全てに価値を見出していたので、問題はない。
甘いもの以外には鳥が好きで、年下の純朴な女の子が好みだという彼は、「そうだよ、俺はロリコンだ。文句あるか」と開き直っていた。
では、私が大人になったら嫌われてしまうのかな?という不安は、「お前が高校を卒業したら、一緒に暮らそうな」という言葉であっという間に解消された。
しかし、付き合い始めて4カ月目に入るか入らないかということ、ここでは書けない理由でぎくしゃくし始め、彼は目に見えて冷たくなった。
それでも心のどこかで修復したいという思いを持っていてくれたようで、「今度の週末来いよ」とお誘いがあった。
会えば一応笑顔を見せてくれるが、会話がかみ合わない。
私は東京の交通事情に明るくはなかったが、それでも分かるくらい効率悪く国電(当時)と地下鉄を使って移動させられ、普段は来ない池袋にやってきた。
何か目的があったわけではなく、ただぶらついただけだった。
覚えているのは、どこか大きな商業施設の前で、氷水で冷やした飲み物を売っていたので、「ラムネがあるよ。飲もうぜ」と言って買ってくれたことだ。
実は私はそれまでラムネを飲んだことがなかったので、栓の抜き方もよく分かっていなかった。
もたもたしていると、彼は少しイラついた様子で私から瓶を奪い、ぷっと栓を落とし、炭酸が落ち着いてから私に渡してきた。
「あ、ありがと」 少し恥ずかしい気持ちはあったが、彼の久々の優しさはうれしかった。
しかし、瓶を傾けても何も出てこない。
彼は再び私の瓶を奪い取り、「こうだよ。ここでビー玉を受け止めるみたいにして飲むんだ」と実演してみせた。どうやら私の飲み方では、ビー玉が飲み口のところまで戻ってしまい、口がふさがってしまっていたようだ。
「あ、そうか。ありがとう」
印象に残るほどの猛暑、酷暑ではなかったけれど、それなりに暑い日だったはずだ。
氷水プールで冷やされたラムネは、その清涼感あふれる姿とは裏腹に、少しぬるく、安っぽい薄甘い味がした。
「お前って田舎者のくせに、ラムネの飲み方も知らないんだな?」
「え…」
「駄菓子屋とかで飲んだことないの?」
「ない…多分ないと思う…」
「なんだよ、そりゃ」
地方在住の私が「田舎者」と言われるのは仕方ない。
彼は、実は私が生まれ育った街よりも、ずっと小さな田舎町の出身だ。 都会に出て4年も暮らしているのだから、いっぱしのシティボーイのつもりだったのだろう。
といっても彼は、自分の出身地を嫌っていたわけではなく、むしろ誇らしげな顔で生まれ故郷についてよく話してくれた。
その一方で、「田舎者のくせに」と私をバカにする。しかもラムネの飲み方を知らなかったという理由でだ。
帰りの新幹線で、いつもなら乗り込んで発車ぎりぎりまで私のそばにいた彼だが(混んでいるときは周囲にさぞ迷惑だったろう)、その日は私が席を確保したことを確認するまでもなく帰っていった。
ひょっとしたら私の方が、既にここでさーっと冷めてしまっていたのかもしれないが、私は懲りずにまだコンタクトを取ろうと試み、彼は冷たく応じた。
そして10月の彼の誕生日の頃には、お互い「別れよう」の一言もないまま、何となく関係は終わってしまった。
今の私には、当時の彼よりも年齢の大きな子供が2人もいる。
風のうわさで、彼が40歳になる前に病死していたと知ったのは割と最近だったが、彼そのものより残された奥様や子供の心情の方が気になった。
政治家にはなれなかったことと、結婚して子供がいることを知ったのも、彼が亡くなってから大分後のこと。 もはや自分には何一つ関係のない人なので、「知ったところで」なのだけど。
夏はやはり炭酸水がほかの季節よりおいしく感じられるが、ラムネを飲むことはない。
苦い思い出はとりあえず置いておいて、「いうほどおいしいか?」と思っているからだ。
いつだったか家族と行った小旅行の先で、下の娘が「そういえば飲んだことがないから」という理由でラムネを飲みたがり、「なーんだ、おいしいけど普通のソーダじゃん」と言ったのが何だかおかしかった。
ひょっとして、ラムネほど思い出補正が必要な飲み物はないのかもしれない。
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