両親のこと

あおみなみ

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父【記憶】

さようなら、お父さん

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 2001(平成13)年初夏だったと思うが、父と母のデート風景を偶然に見かけたことがある。

 駅前のお気に入りの天ぷら屋さんから出てきた2人は、私に全く気づかなかった。
 多分、いつもより少しだけいい服を着ていたと思う。
 そして映画館のある方向に歩いていき、父が憧れていた俳優さん主演の映画を上映中の劇場に入った。

 高倉健さん主演『ホタル』。
 それはしみじみ感動的なものだったと、後々2人から別々に聞かされた。
 多分、父と母があんなふうに“お出かけ”したのは、あれが最後だったのではないだろうか。

◇◇◇

 2002(同14)年春、父は70歳で自ら命を絶った。

 私は2000年に次女を出産し、もうだいぶ大きくなっていたが、最後に電話で話したとき少し風邪気味だったので、「風邪治ってから連れてこい」と言われていた。

 同じ市内に住んでいると、同じようなテンポで生活しているような勘違いをしてしまうようで、私はそれから数カ月、実家の両親や祖母(祖父はその10年前に他界)と電話で話すことすらなかったものの、だからといって、疎遠にしているとも思っていなかった。

 そして久々の母からの電話の第一声が「おとうさん…しんじゃった」だった。
 弱々しく、たどたどしく、本当にようだった。

◇◇◇

 余談だが、2022年夏、見覚えのない番号の着信を無視したことがある。
 留守録も入っていなかったので、折り返しの電話もしなかった。

 実はそれは包括支援センターからの「母」に関する電話で、なかなか喫緊のものだったのだが、弟が全く同じ人からの電話を受け、対応してくれたので事なきを得た。
 母も弟も「女だから警戒するのは仕方がない」と許してくれたが、弟は、見覚えがなかろうと非通知だろうと、必ず電話に出ることにしているという。

 仕事柄、そういう電話に慣れているということもあるだろうが、「のことがあるから、出ないと後悔する予感がした」というのが一番大きな理由らしい。

 だから弟に聞けば、父の死の真相はより分かるのかもしれないが、まさにあのとき積極的に真相を知ろうともしなかった薄情で臆病な娘に、今さら踏み込んで聞く権利はないと思う。
 これからも知ろうとは思わない。ただ粛々と日常生活を送りつつ、時々思い出していこうと思う。

◇◇◇

 母からの「ひらがな」電話の後、夫の職場にも電話をし、とるものとりあえず実家に出向くと、父が布団に寝かされて、顔に布をかけられていた。

 母から「これ、あんた宛てだよ」と渡された手紙には、いろいろ書いてあったけれど、覚えているのはこの2行だけだ。

「M子(長女)はもうすぐ中学か。Y子(次女)も大きくなった。早いもんだな」
「くだらない父親で悪かった」

 私がまだ子供だった頃の「睡眠薬誤飲?」事件とあえて関連付けて話せば、今回は「自殺に成功」したのではなく、「自殺未遂に失敗した」ような気がしてならない。

 部屋の片隅にあった、「SCEPTREセプター」とロゴが入った茶色いラグビーボールは、すっかり空気が抜けてベコベコになっており、母の手で棺に入れられた。

 そうだ。これで近所の公園で遊んでもらったっけ。
 途中で道に落として、予想外の方向に弾んだのでびっくりして、「危ないだろう!」ときつく叱られて泣いたことも思い出した。

◇◇◇

 動機は「金銭苦」だったろうとはっきり分かる。
 徐々に頻度は減ってはいったものの、稼ぎのよくない私にも無心があったし、私の家族と両親とでショッピングモールに一緒に行ったとき、たまたま信販会社のATMから出てくる父を見かけ、今までになく「見てはいけないものを見てしまった…」という気持ちを味わったこともあった。

 身内だけの場で兄が、「最後の最期までクソ親父だったな」と言い、弟がたしなめた。
 事実だとしても、自分の奥さんや子供の前で言うことではない。

 家は母の名義だったので無傷のまま。
 私たちは「債務超過」を理由にそろって相続を放棄した。

◇◇◇

 自殺(私は自死や自害という言葉が嫌いなので、あえてこの言葉を使う)は、遺族や周囲の人々が「あの人の苦しみに気付いてあげられなかった」と自分を責めてしまう原因になる。
 自ら命を絶つ人には、それなりの理由も覚悟もあったろう。もちろん褒められた行為ではないが、死体蹴りをするように責めることもない。

「夜 ねむれない」
「いつももんもんとした」
「夜→こわい」

 ノートに3行、こう書かれていた。
 いくらでも深読みできるが、「もっと有効な手段を考えようとしなかった人」の書くことの行間を読んでやる義理もないし、そこまで暇でも酔狂でもない。

 日付は自殺を図る2週間前のもので、父はとても不安だった。
 そういう事実があるだけだ、と思うしかない。

 近しい人や親しい人にそういう不幸があったとき、努々ゆめゆめ「自分のせいだ」などと思ってはいけない。
 仮に本当に自殺の原因になるような人物だったとしても、そんなふうに思うことこそが死者への侮辱だと思う。自分を責める形で反省しても遅いのだ。他人に匂わせるでもなく、一人で苦しんだらいい。

 母が後年、「私なんかと結婚しなければ、あの人はもっと幸せになっていたかも」と言ったことがあった。
 飲んだくれの甲斐性なしのとさげすんでいたくせに、「いいことしか思い出せない」とさえ言う。
 私の心の中には、「うわっ(ドン引き)」と「うふふ(照れ)」の両方が思いが湧いたが、「そういうもんなのね」とだけ答えた。

◇◇◇

 少し前、福島県出身の作曲家・古関こせき裕而ゆうじとその妻・金子きんこの物語がモチーフだった連続テレビ小説『エール』が放映された。
 古関のの幼馴染である伊藤久男をモデルとした佐藤久志役を好演した山崎育三郎は、関連の音楽番組で『暁に祈る』を熱唱した。

 もし89父がそれを見ていたら、「下手ではないが、甘ったるいな。こういうんじゃないんだよな」なんてダメ出しをしていた気がする。

 霊感もなく、霊の存在に特に興味もない私ではあるが、私がこうして父について好き勝手書き綴っている間にも、「勝手なことを書くなよ」「それは理由があったんだ」などと、突っ込んでいてくれたらなと思う。

【本編 了】
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