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十三沢学、けがをする
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もしあのとき、あそこに邪魔なシャトルが落ちていなかったら、俺は友香と口を利くことすらなかったろうか。
ああ、でも厳密にいえば、彼女が俺に初めて浴びせた言葉は「あんたもヤリたい?童貞クン!」だったな。あのときは、腹を立てるよりも何よりも、ただびっくりしてしまって、反応すらできなかったが。
***
誰かに故意に足をひっかけられて転んだわけではない。
岡田と打ち合いをしていたとき、コートの中に落ちていた1本のシャトル。
俺はそれをたまたま踏んで足を滑らせ、体勢を崩して転んでしまった。
もっと体幹がしっかりしていたら、持ちこたえただろうか?
あるいは転び方がもうちょっと…。
済んだことをあれこれ検証しても仕方がない。
俺が転倒したとき、わっと軽い悲鳴のような、怒号のような、あるいは歓声のようなギャラリーの反応はあったが、みんなすぐに起き上がるものだと思っていたはずだ。
しかし俺は倒れこんだままで、様子がおかしいと気付いた岡田が、コートの向こうから走ってきた。
「十三沢《とみさわ》、どうした?足をひねったか?」
「うでが…」
「腕?痛いのか?」
すぐに保健室に連れていかれ、その後、顧問の高橋先生の車で整形外科に行ったのだが、見事に右腕を骨折していた。医師によると、6月の大会には「完治したように見えても、出場はできれば見送った方がいい」と言われた。
試合は1カ月後で、治療には2、3週間かかると診立てられた。
日常生活を送る分には、1カ月後には何不自由ない程度にはなっているかもしれないが、バドミントンはイメージよりも激しいスポーツだ。経験に基づく医師のアドバイスは多分正しい。
俺は2年の頃からレギュラーと準レギュラーを行ったりきたりするような、弱くはないが、そこまで強いというわけでもない選手だった。
それでも自分なりに熱意とプライドを持ってやってきたし、ほんの一瞬の間の悪さでケガをし、こんな結果になってしまうことは、さすがにたまらなく悔しい。
***
俺が転んだ付近に、練習用としてもどうかと思うほど傷んだシャトルが1つ落ちていた。
何であんなところに落ちていたのか、そしてなぜ俺が全く見落としていたのか、今となっては分からない。整理が不完全だったのを特定の誰かのせいにすれば、そいつを恨むこともできるが、それでけがの治癒が早くなるわけでもない。
俺には「温厚な性格の努力家」として、部員たちから信頼されてきたという自負がある。
「みんな、迷惑をかけるが俺はしばらく休むよ」
翌日腕を吊って体育館にあいさつに行き、笑顔を作った。
全員何とも神妙な表情をしている。俺が笑っているから大丈夫――などと思ってくれる単細胞が1人ぐらいいても面白いのだが、そうはいかないようだ。
練習を見学する気にもなれず、その日はすぐ帰った。
俺が帰った後、全員「気を取り直して」練習に励むのだろう。いつまでも落ち込まれても困るので、それは仕方ない。
授業は暫定的にICレコーダーで録音することを許可してもらった。
利き手の使えない生活は初めてで、できないことや戸惑うことも多いが、飯をしっかり食べ、よく眠り、とにかく1日も早く治療しなければならない。
クラスの違う岡田が昼休みにやってきて、「やっぱり…練習見るの辛いか?」と聞いた。そういえばずっと見学にもいっていない。
「辛いというか――何となく気が進まなくてな。みんな頑張ってるんだろう?」
「ああ。お前も早く治して戻ってきてくれよ」
「そうだな。それでも大会は出られそうもないが」
「そうかあ…」
岡田は責任感が強く、思いやりのある男だ。自分が悪いわけではないのに、俺のけがに大きな責任を感じているのだろう。
「ごめんな。一番辛いのはお前なのに、情けない声出して」
「気にするな。それがお前のいいところだ。
***
ギプスが取れた翌日、俺は退部届を出した。
当然のように慰留されたが、「けがは治ったけど、どうにもやる気が戻らないみたいなんです、すみません」と高橋先生に頭を下げ、ロッカーの中を整理した。
誰もいない部室でぼーっと長椅子に座っていたら、けがをする少し前に見た光景を思い出した。
2年生で俺に一番懐いていた百瀬が、この椅子に3年の女子を押し倒し、キスをしていたのだ。
ああ、でも厳密にいえば、彼女が俺に初めて浴びせた言葉は「あんたもヤリたい?童貞クン!」だったな。あのときは、腹を立てるよりも何よりも、ただびっくりしてしまって、反応すらできなかったが。
***
誰かに故意に足をひっかけられて転んだわけではない。
岡田と打ち合いをしていたとき、コートの中に落ちていた1本のシャトル。
俺はそれをたまたま踏んで足を滑らせ、体勢を崩して転んでしまった。
もっと体幹がしっかりしていたら、持ちこたえただろうか?
あるいは転び方がもうちょっと…。
済んだことをあれこれ検証しても仕方がない。
俺が転倒したとき、わっと軽い悲鳴のような、怒号のような、あるいは歓声のようなギャラリーの反応はあったが、みんなすぐに起き上がるものだと思っていたはずだ。
しかし俺は倒れこんだままで、様子がおかしいと気付いた岡田が、コートの向こうから走ってきた。
「十三沢《とみさわ》、どうした?足をひねったか?」
「うでが…」
「腕?痛いのか?」
すぐに保健室に連れていかれ、その後、顧問の高橋先生の車で整形外科に行ったのだが、見事に右腕を骨折していた。医師によると、6月の大会には「完治したように見えても、出場はできれば見送った方がいい」と言われた。
試合は1カ月後で、治療には2、3週間かかると診立てられた。
日常生活を送る分には、1カ月後には何不自由ない程度にはなっているかもしれないが、バドミントンはイメージよりも激しいスポーツだ。経験に基づく医師のアドバイスは多分正しい。
俺は2年の頃からレギュラーと準レギュラーを行ったりきたりするような、弱くはないが、そこまで強いというわけでもない選手だった。
それでも自分なりに熱意とプライドを持ってやってきたし、ほんの一瞬の間の悪さでケガをし、こんな結果になってしまうことは、さすがにたまらなく悔しい。
***
俺が転んだ付近に、練習用としてもどうかと思うほど傷んだシャトルが1つ落ちていた。
何であんなところに落ちていたのか、そしてなぜ俺が全く見落としていたのか、今となっては分からない。整理が不完全だったのを特定の誰かのせいにすれば、そいつを恨むこともできるが、それでけがの治癒が早くなるわけでもない。
俺には「温厚な性格の努力家」として、部員たちから信頼されてきたという自負がある。
「みんな、迷惑をかけるが俺はしばらく休むよ」
翌日腕を吊って体育館にあいさつに行き、笑顔を作った。
全員何とも神妙な表情をしている。俺が笑っているから大丈夫――などと思ってくれる単細胞が1人ぐらいいても面白いのだが、そうはいかないようだ。
練習を見学する気にもなれず、その日はすぐ帰った。
俺が帰った後、全員「気を取り直して」練習に励むのだろう。いつまでも落ち込まれても困るので、それは仕方ない。
授業は暫定的にICレコーダーで録音することを許可してもらった。
利き手の使えない生活は初めてで、できないことや戸惑うことも多いが、飯をしっかり食べ、よく眠り、とにかく1日も早く治療しなければならない。
クラスの違う岡田が昼休みにやってきて、「やっぱり…練習見るの辛いか?」と聞いた。そういえばずっと見学にもいっていない。
「辛いというか――何となく気が進まなくてな。みんな頑張ってるんだろう?」
「ああ。お前も早く治して戻ってきてくれよ」
「そうだな。それでも大会は出られそうもないが」
「そうかあ…」
岡田は責任感が強く、思いやりのある男だ。自分が悪いわけではないのに、俺のけがに大きな責任を感じているのだろう。
「ごめんな。一番辛いのはお前なのに、情けない声出して」
「気にするな。それがお前のいいところだ。
***
ギプスが取れた翌日、俺は退部届を出した。
当然のように慰留されたが、「けがは治ったけど、どうにもやる気が戻らないみたいなんです、すみません」と高橋先生に頭を下げ、ロッカーの中を整理した。
誰もいない部室でぼーっと長椅子に座っていたら、けがをする少し前に見た光景を思い出した。
2年生で俺に一番懐いていた百瀬が、この椅子に3年の女子を押し倒し、キスをしていたのだ。
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