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第21章 瓶ラムネ
「浴衣着てこいよ」
しおりを挟むH台駅の周辺で夏祭りが催されるらしい。
商店街が露店や屋台を出したり、駐車場の一角を使ってフリーマーケットをしたりと、なかなか楽しそうな催しで、寮から歩いて2分のお米屋さんにもポスターが貼られていた。
寮生の中でも学年が上の者は、1年生組に前年の様子やおすすめポイントをざっと話したりしていた。
たこ焼きやかき氷、チョコバナナなどの定番の店も悪くないが、周辺の商店が「在庫放出」のノリで出すもので、結構掘り出し物があるという。
「これ、かわいいでしょ?二つで130円だったんだよ」
と、パステルカラーの飯椀のような形の小さなボウルを自慢げに見せてきた先輩がいた。
金額が中途半端なのは、「最初は200円だったんだけど…」という値切り折衝の結果らしい。
スープやカフェオレを入れてもいいが、お菓子を入れる容器などとしても使っているらしい。寮には簡単な調理施設もあったが、そこまで本格的な料理を作る者はあまりいない。
とはいえ、「食器に凝るだけでも、気分的に違うんだよね」と言われ、皆一様に「分かる~」とうなずいた。
部屋で自分だけで使うだけで、人様に見せるものではないが、気に入って買ったものと、妥協で買ったものやもらいものでは、モノとの向き合い方自体が違うだろう。
その後、2010年代になると、やたらに持ち物、食べ物などのパーソナルな画像情報を不特定多数のものに発信するのが一般的になるのは、至極当然の流れだったのかもしれない。
それはともあれ。
さよりは、「せっかくだから、俊也さんを誘ってみようかな」と漠然と考えていたら、向こうから「行かないか?」と電話があった。
「はい。私も行きたいと思っていたところです」
『よかった。そうだ、せっかくの祭りだからさ、浴衣着てこいよ』
「え?それは…」
『さよりの浴衣姿、見たいんだけど』
「あの…持ってきてないんです…」
『え、そうなの?』
電話を通してなのに落胆がありありと分かる声が聞こえ、さよりはまた不要な謝罪モードに入ってしまった。
「ごめんなさい。あの…」
『いいよ、残念だけど』
持っていたとしても、自分で着つける自信がない。
そもそも実家にいたときから、ある程度の年齢になると、浴衣を着て祭りに行く習慣はなかったので、「その発想がなかった」と言った方がいいかもしれない。
晴海の家に泊まったとき、「俊也に予定を報告しなかった」ことを軽く責められた記憶もよみがえり、自分が着たいというよりも、俊也の歓心を買いたいという気持ちが強くなり、何とか着る手だてはないものだろうかと思ったが、それこそ、晴海の母・栄子伯母なら力を貸してくれそうだが、晴海に盛大に詮索されそうだし、伯母の手を煩わせるのもしのびない。
せめて涼し気でかわいい夏服を新調しようかとも思ったが、まだバイトのめどもついていないため、お小遣いが足り苦しい。できるだけ俊也の好きそうなものを、手持ちの服からと吟味した結果、実は自分はその服をあまり気に入っていないことに気づいて、少し不安になった。
所詮はご近所の祭りだ。本当ならラフなTシャツとジーンズみたいな格好で行ってみたい気もする。そういえば、意外とそういう姿は見せたことがない。
そこで、少し前に読んだ雑誌の記事がよみがえってきた。
「デートにそういう格好で来る女って、やる気あんのかって思っちゃう。場合によったらその場で帰るかも(笑)」
その発言をしたのは俊也ではないが、俊也と同じような年格好で「都内M大在学中のY.O.君」という人らしい。俊也がこのY.O.君と同じ意見とは限らないが、「俺はそういうラフなのも嫌いじゃないよ」と言ってくれるとは限らない上に、そもそもが最初は「浴衣着て来い」と言った人だ。
さよりは「冒険」をやめ、「無難でかわいらしいがそれだけ」の服を手にとって、靴やバッグをどれにしようかと考えた。
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