伝播（でんぱ）していく熱（ねつ）

プロローグ

　私は三さん十才じゅっさいで、十才じゅっさい年上としうえの姉あねがいる。私は独身どくしんで、姉は既婚者きこんしゃだった。

　だった、と過去形かこけいなのは、姉が夫おっとと死別しべつしたからだ。大学生だいがくせいだった姉が結婚けっこんして出産しゅっさんしたのは二に十じゅっ才さいのときで、学生がくせい出産しゅっさんというのは大変たいへんだったろう。そして姉の一人ひとり娘むすめが五才ごさいになる前まえに、姉の夫おっとは病死びょうししてしまった。彼がどんな男性だったかも、もはや私は思おもい出だせない。



　姉あねは、き・ち・ん・と就職しゅうしょくして娘むすめを育そだてている。私は真ま逆ぎゃくで、結婚けっこんも就職しゅうしょくもすることなく、大だい学がく卒そつ業ぎょう後ごもフラフラして現在げんざいは売うれない物もの書かきをやっていた。両親は数すう年ねん前まえに亡なくなって、その遺産いさんで何なんとかやっているのが私なのである。私は実家じっかで独ひとり暮ぐらしなのだった。

『娘むすめが大学の春はる休やすみ中ちゅうなんだけどね。今いま、ちょっと精神的せいしんてきに不安定ふあんていなのよ。貴女あなた、ちょっと来きてくれない？』

　そんな電話が姉からあったのは、四し月初がつはじめのことで。どう応答おうとうしたものか、私は大おおいに困惑こんわくさせられた。精神的せいしんてきに不安定ふあんていって。それは私が、ちょっと行いくことで解決かいけつできるのだろうか？

「マジメに答こたえていい？　それは私じゃなくて、ちゃんとした医療いりょう機関きかんを利用りようするべきよ」

『ああ、そんな大袈裟おおげさな話はなしじゃないの。ほら、よくあるじゃない。春先はるさきになったら花か粉ふん症しょうになったり、気温きおんの変化へんかで体調たいちょうを崩くずしたりすることがさ。私の娘むすめは、そういうコンディションの落おち込こみが精せい神しん面めんで起おこるだけなのよ。母娘おやこで二人ふたり暮ぐらしっていう環境かんきょうのせ・い・かもね、貴あな女たが来きてくれたら良よくなるから』

「そうなの？　……私、もう何年なんねんも、姉ねえさんの子こどもに会あってないわよ。それで役やくに立たてる？」

　最後さいごに姉の娘むすめに会あったのは、両親の葬儀そうぎだった。私に取とって姪めいに当あたる彼女は当時とうじ、高こう校こう生せいだったと思おもい出だす。姉の背中せなかに隠かくれるように、ちらちらと私を見みていたような子こで、幼おさない頃ころから恥はずかしがり屋やなのは今いまも変かわらないのだろう。

『立たてる、立たてる。私、会社かいしゃの出張しゅっちょうに行いかないといけないの。数日すうじつ、家いえを空あける必要ひつようがあって、不安定ふあんていな娘むすめを一人ひとりにしたくないのよ。過保護かほごで申もうし訳わけないけどね』

「過保護かほごとは思おもわないわよ、大事だいじな一人娘ひとりむすめだもの。わかった、私で良いいのなら行いくから」

　きっと私は生涯しょうがい、結婚けっこんすることも、子こを持もつこともないだろう。唯一ゆいいつの身寄みよりである姉と、その娘むすめの役やくに立たてるのなら、いくらでも協力きょうりょくしようと私は思おもった。