帰ってきた猫ちゃん

転生新語

文字の大きさ
上 下
61 / 64
第十章『?(シークレット)』、エピローグ

3 猫ちゃん、菫(すみれ)の話などを主人から聞く

しおりを挟む
「『権力の犬』って言うよな。漱石は、そうではなかったという事か」

「そう言うと犬派いぬはの人間が気を悪くしそうだが、分かりやすく説明すれば、まあそうだ。漱石は文部省もんぶしょうから博士号はくしごうを送られて、それを辞退しただろ。理由は色々とあるんだろうが、権力から首輪を付けられるのを嫌がったんじゃないかね」

「なるほどな。政府は政府で、漱石の影響力を恐れたかも知れんし。国民作家とまで言われた漱石に、『戦争反対!』とか言われたら厄介やっかいわけだ」

 漱石先生は権力の犬ではなく、誇り高い猫であったと。そういう事だろうか。

「当時は国号が、大日本帝国と言われてた時代だろ。漱石に取って……いや物書きに取っては窮屈きゅうくつな時代になってきてたんだろう。それは漱石の基本姿勢には合わなかったと思うね」

「漱石の基本姿勢ってのは何だい、物書き先生」

「俺が勝手に思ってるだけだがね。漱石は正岡まさおか子規しきの影響で、俳句はいくも作ってるんだよ。その中に、印象的ながあるんだ」

「正岡子規……ああ、俳人はいじんの」

 主人が言った、漱石先生の俳句というのは、次のものであった。



 すみれほどな 小さき人に まれたし



 漱石先生が三十才の時にんだ句である。先生が生涯に残した俳句は、二千と六百ほどであるという。

「目立たなくても、たくましく咲く、この菫のような人間になりたいと。そういう意味だな。何でもかんでも大きくあれという、大日本帝国とは主義からして違うよ。漱石が書こうとしてきたのは、いつだって個人だ。時代の流れの中で、苦悩をかかえ続ける人間に目を向け続けた」

「なるほど、なるほど。博士号を断った人だもんな、出世しゅっせよくとも無縁だっただろうよ。俺は社長しか経験が無いから、その辺りの感覚は分からんが」

「嫌な奴だなぁ、お前。逆に感心する」

 主人はあきれつつ、漱石先生に付いて、もう少し述べた。

「俺から見た漱石は、『さびしさをかかえ続けた人』だったな。子供時代の寂しそうな写真を見た事があるんだが、大人になってからの写真も、その面影おもかげが残ってるように見えた。そして生涯、その寂しさは消えなかったんじゃないか。両親から養子に出された体験のせいかもな」

 やがて主人と山師は、漱石先生の作品に付いても話し出した。

「『彼岸過迄ひがんすぎまで』に出てくる須永すながは、実の母親が別に居ると知るんだよな。あれは漱石も、似た体験をしてる訳だ。一才の時、養子に出されて、大きくなってから『お前の両親は別に居る』と知らされるんだよ。それはトラウマというか、後の結婚にも影響を与えたと思うね」

「漱石夫人は悪妻あくさいとも言われてるよな。その辺りは、どう思うよ」

「悪妻とまでは言わないが、漱石より十才、年下だろ。もっと大人の女性の方が、漱石の精神は安定したとは思う。包み込むような母性を漱石は求めていたんじゃないかね」

「お前のよめは、あねさん女房にょうぼうだったか? 経験者は語るのかい」

 山師のいを、主人は完全に無視した。

「『明暗』の展開は、主人公夫婦が仲良くなって終わる確率が五十パーセント、離婚して清子と再婚する確率が二十五パーセント、主人公が独身で終わる確率が二十五パーセントと見るね俺は」

「独身に終わった主人公の津田は、帰ってきた小林とんで一仕事ひとしごとをするんじゃないか。あやしげな本を出版するか、あるいは爆弾を作って何処かに投げ込むか」

「実際に発表できるかは別にして、爆発オチってのは劇的げきてきだな。遺作のラストになったら、それはそれで伝説だ」

 馬鹿話が続いていく。少しは真面目な話もしようという事になった。

「『門』で伊藤博文が暗殺される新聞記事が出てくるだろ。外国で殺されるんだが、それで何かが変わるかと言ったら、何も変わらないんだな。『テロで歴史は変わらない』とは、よく言われる事さ」

「正義の猫が現れて、独裁者を暗殺してハッピーエンドと。現実は、そんな単純ではないって事かい」

「まあ、何事も例外はあるんだ。例えばヒトラーが暗殺されていれば、もっと早くに戦争は終わっていただろうさ。やむを得ない手段を取るべき時もあるかもだ」

「これから先、『暗殺も、やむを得ない』って独裁者が出てくるとしたら、それは余程よほどの悪党だな。そんな奴は出てきてほしくないね」

 あー、嫌だ嫌だと、そう山師が首を振る。

「物書きの俺が言うとだな。必要なのは、権力におもねらない猫派の人間なんだよ。権力の犬が選挙権を持ってても、どうせ選ばれるのは独裁者だ。猫派は連帯して活動する事で、犬派を猫派に変えていかなければならないのさ。独裁者ってのは選ばない事の方が重要なんだよ、出てきてからでは遅いんじゃないかね」

「そうか。猫派と犬派の対立ってのは根深ねぶかいんだな」

「だからネットを通して、例えば猫の動画を流す。皆がいやされて平和になる。めでたし、めでたしさ。ネット掲示板の猫チャンネルで、くだらない書き込みがあるのも、実は猫派に寄る工作活動だったというね。俺が掲示板に書き込んでいるのも、そういう深慮しんりょ遠謀えんぼうがあるんだ」

 主人の、たわごとは放置するとして。猫の小説で有名になった漱石先生の門人は、やはり猫が好きだったのだろうかと吾輩は思った。芥川先生は犬が大嫌いだったそうだ。

 犬派でも猫派でも良いが、権力の犬になる事は吾輩、おすすめしない。そう言っておきたい。

「するとアレか。お前が掲示板で、文末にwを付けてるのも工作活動かよ物書き先生」

「wを付けてるのは単芝だろ。あれは他人か猫であって俺じゃない」

「それはどうでもいいとして、漱石の晩年の心境に付いては、どう思うよ。物書き先生」

そく天去てんきょとか言われても、俺には分からんからな。それよりは、もっと分かりやすいエピソードがあるんだよ。この話の方が俺には理解しやすいね」

 そう言って主人はエピソードを紹介した。これは良い話だったので、吾輩、お白さんに話してあげようと思う。わりと有名な話らしいので、すでに知っていてガッカリされたら申し訳ないが。

 あれこれ述べてきた、吾輩の話も終わりが近づいてきた。締めくくりはすみれのように、目立たなくとも、たくましく、小さく静かにおこないたい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

我らおっさん・サークル「異世界召喚予備軍」

虚仮橋陣屋(こけばしじんや)
青春
おっさんの、おっさんによる、おっさんのためのほろ苦い青春ストーリー サラリーマン・寺崎正・四〇歳。彼は何処にでもいるごく普通のおっさんだ。家族のために黙々と働き、家に帰って夕食を食べ、風呂に入って寝る。そんな真面目一辺倒の毎日を過ごす、無趣味な『つまらない人間』がある時見かけた奇妙なポスターにはこう書かれていた――サークル「異世界召喚予備軍」、メンバー募集!と。そこから始まるちょっと笑えて、ちょっと勇気を貰えて、ちょっと泣ける、おっさんたちのほろ苦い青春ストーリー。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

青い祈り

速水静香
キャラ文芸
 私は、真っ白な部屋で目覚めた。  自分が誰なのか、なぜここにいるのか、まるで何も思い出せない。  ただ、鏡に映る青い髪の少女――。  それが私だということだけは確かな事実だった。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

あやかし坂のお届けものやさん

石河 翠
キャラ文芸
会社の人事異動により、実家のある地元へ転勤が決まった主人公。 実家から通えば家賃補助は必要ないだろうと言われたが、今さら実家暮らしは無理。仕方なく、かつて祖母が住んでいた空き家に住むことに。 ところがその空き家に住むには、「お届けものやさん」をすることに同意しなくてはならないらしい。 坂の町だからこその助け合いかと思った主人公は、何も考えずに承諾するが、お願いされるお届けものとやらはどうにも変わったものばかり。 時々道ですれ違う、宅配便のお兄さんもちょっと変わっていて……。 坂の上の町で繰り広げられる少し不思議な恋物語。 表紙画像は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID28425604)をお借りしています。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

俺の部屋はニャンDK 

白い黒猫
キャラ文芸
大学進学とともに東京で下宿生活をすることになった俺。 住んでいるのは家賃四万五千円の壽樂荘というアパート。安さの理由は事故物件とかではなく単にボロだから。そんなアパートには幽霊とかいったモノはついてないけれど、可愛くないヤクザのような顔の猫と個性的な住民が暮らしていた。 俺と猫と住民とのどこか恍けたまったりライフ。  以前公開していた作品とは人物の名前が変わっているだけではなく、設定や展開が変わっています。主人公乕尾くんがハッキリと自分の夢を持ち未来へと歩いていく内容となっています。 よりパワーアップした物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。 小説家になろうの方でも公開させていただいております。

処理中です...