帰ってきた猫ちゃん

転生新語

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第十章『?(シークレット)』、エピローグ

1 山師、あれからの顛末(てんまつ)を語る

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 季節は七月となった。そろそろ龍之介くんも一歳になろうかという、そんな時期だ。

 外は暑くて、なのにマスク着用が求められる世の中である。熱中症の被害は、どれほどの数になる事か。お年寄りの方々に取っては、特に生きにくい環境である。どうか、ご自愛じあいください。

 生きにくい環境の中では、かよわい者、繊細せんさいな者がダメージをっていく。漱石先生は五十才まで生きられなかった。その先生は、常に弱き者へと視線を向けて、作品を書いた人であった。

 もちろん人間だから、欠点もあっただろう。それでも吾輩から見れば、やはり素晴らしい先生であった。漱石先生が猫の物語を書いていなければ、今の吾輩は存在しない。あの猫の物語から、いわゆる日本のライトノベルも始まった。小説の投稿サイトは今や大人気だ。

 漱石先生の時代から第二次大戦での敗戦までは、どんどん日本の小説家が表現の自由を奪われていく時代であった。平和とはとうといものだ。ネットで小説をあらわせる今の状況が、末永すえながく続くよう吾輩は願っている。

 小説と言えば。先日、ついに主人は小説を書き上げた。すでに原稿は出版社に手渡てわたしている。担当の編集者は、この家の中で主人を押し倒してからというもの、一度も来ていない。テレワーク時代であるから、編集者が出向でむかなくとも作家と出版社のりは可能であった。

 以来、主人は寝てばかりの日々である。繊細せんさいさとは無縁むえんの顔で、昼寝をかえしている。これも平和だから出来る昼寝で、隣の家から軍艦ぐんかんが庭を横切よこぎってきても主人は目覚めざめまい。こんなに無防備な状態で大丈夫であろうか。泥棒どろぼうが来ても、盗む物は無いかも知れないが。

「おい、起きろよ」

 庭から遠慮なく家へと上がってきた山師が、一階の床で寝ている主人の頭を、靴下をいた足でさぶる。ギャング映画のような場面で、ちょっと吾輩、見てて面白かった。

 主人が目を覚ます。特に怒る事も無く、頭を振りながら上体を起こしていく。最近の山師は、酒や手土産てみやげを持っては主人をたずねてくる事が多くなった。機嫌きげんも良さそうだ。

「どうせ昼飯ひるめしも、朝飯あさめしも食べてないだろ。うなどんを持ってきたから一緒におうぜ」

「おぉ、ウナギか。いいな、食べよう食べよう」

 ちゃぶ台の方に二人とも移動していく。吾輩もウナギというものが気になって、ちょっと近づいてみた。聞くところに寄れば、ウナギとは電気をあやつってうしをも失神させる能力を持つという。だからウナギを食べるのはうしと呼ばれるそうだ。ちょっと違ったかも知れない。

「食べておいて何だが、うしの日には早いだろ。何でウナギを持ってきたんだよ」

「俺の元妻の、母親が居るだろ。確か今は八十代だったか。その元夫が誕生日だったんだよ、今年で百と三才でな。今日、うな丼を渡してきたんだ。まとめ買いしたから、お前も食え」

 山師もウナギを食べながら、そう説明している。

「お前の義理の、父親って事になるのか? だって離婚したんなら他人だろうに」

「俺、あの人とは話がうんだな。離婚の話で、いつもがるんだよ。歯が無くてもウナギは食べられるから、ケーキなんかより喜んでくれるんだ。骨がかれてるから食べやすいだろ?」

すげぇな。ウナギを食べてるから長生きしてるのかね」

「百二十才まで生きるんじゃないかって言われてるな。ああいう年寄りになりたいね俺は」

 何だか話が盛り上がっている。山師も主人も、百二十才まで生きるのだろうか。そのくらいは生きそうな、太々ふてぶてしさの持ち主ではあった。

「それで、どうよ。雪子ちゃんの方は相変あいかわらずなのかい」

 主人が尋ねてくる。最近の山師は、何かというと雪子の話を嬉しそうにしてくるのであった。

「ああ。初めての恋人が出来て、幸せ一杯いっぱいって所さ。まさか雪子が、通り魔と付き合う事になるとは俺も思わなかったけどよ」

「あの雨の日、俺とお前が雪子ちゃんを探しに出掛でかけてたら、お前の携帯に彼女が電話を掛けてきたんだよな。助けを求めてきたんだろ? それも自分じゃなくて、通り魔の事を『助けてあげて!』とさ」

「ああ。雪子と同年代の男子が、雪子の前で、カッターナイフを出して。それで、。そのまま倒れ込んだのを雪子がこしたらしい」

 吾輩も、話を聞いた時は驚いたものだ。何故、助けようとするのかと。警察を呼べば良いではないか。

「雪子ちゃんは、他人に知られたくなかったみたいだから、俺は家に帰ったけどさ。どうなったんだよ、あのあとは」

「とにかく雪子が、警察に男を引き渡す気は無いってのが分かったんで、『人目に付かない所へ移動して待ってなさい』って電話で指示してさ。それからタクシーに乗って、雪子と通り魔の二人と合流だよ。二人は雨の中、物陰に隠れるように待っててな。雪子がハンカチで、男の腕をしばって止血しけつしてて。二人とも雨でれて、ひどい状況さ」

 山師が当時の状況を思い起こして、しみじみと語っている。更に話は続いた。

「この状況で雪子も、俺の元妻の家には帰れないからさ。俺が住んでる家の方まで行って、近くのかくに入ったんだよ。俺が不倫ふりんしてた時に使ってた部屋でな」

「良かったな、再利用が出来できて」

 どうでもいいが、浮気では無くて不倫なのか。ダブル不倫という奴であろうか。

「パジャマは複数、そこに用意してたから雪子を着替えさせて。男の方も、適当に濡れた服を脱がせてな。元妻には俺から、『今日は雪子を俺の所に泊める』とだけメッセージを送った」

「大丈夫かよ。元妻が、お前の家に押しかけてくるんじゃないか」

「来てもいいさ。俺も雪子も通り魔も、隠れ家の方に居るんだから。さいわい、元妻は来なかったよ。後で雪子は、ずいぶん怒られたみたいだが」

 悪い顔で笑って、山師は更に続けた。

「で、やみ医者いしゃを隠れ家に呼んで、男の傷口をわせた。獣医じゅういなんだが、傷の手当てあてくらいは出来る奴を知ってるんだ。処置しょちが終わって、医者は帰らせて。男、というか男子の家に自分で連絡をさせてさ。『今日は友達の家に泊まる』とか何とか言わせて誤魔化ごまかした。そして三人で川の字になって寝たよ」

「いや、寝ないだろ普通。警察に引き渡すべきじゃないのか、雪子ちゃんが反対したとしても」

「それは嫌だったんだとよ、雪子は。俺が昔、逮捕された時、娘達は学校でいじめられたんだってさ。『もし彼が逮捕されたら、彼の家族が中傷ちゅうしょうされるかも知れない。自殺者だって出るかも知れない。それに彼だって、まだ十代だから、逮捕されたら将来が台無だいなしになる』。そう言ってた」

 何とも言えない目をして、山師が言葉を切る。少しして続けた。

「雪子には、男子が『苦しんでいる人』にしか見えなかったんだとさ。『彼は、自分で自分を傷つけてる。そんな人をばっしなきゃいけないの?』。そう言われるとなぁ、前科者ぜんかものの俺としては何も言えんよ。男子は雪子の言葉を聞いて泣いている。俺は、この男子をさばけるほどえらくはない」

 一夜いちや明けて、雪子と男子の服は血で汚れていたので、山師が適当に服を買って与えたそうだ。ちなみに二人とも、汚れたのは私服であった。「学生服に血が付かなくて良かったな」と山師が笑う。

「後は男子も雪子も家に帰らせた。二人は連絡先を交換してて、そのまま交際さ。元妻の家で心配してた姉二人は、『何だ、結局はユッキーに男が出来できてたっすか!』とみょうに喜んでた。何があったかは話してないから、そうなるよな。男子と遊んでて帰りが遅くなったと思ってるよ」

 雪子が襲われた時に、彼女のたましいの色を吾輩は見た。雪子の魂は、彼女の名前通りに純白じゅんぱくで美しかった。雪子は襲撃者の魂を救ったのだ。吾輩には出来ない事である。

「あの騒がしい、雪子ちゃんの姉二人は今、どうなんだ。相変わらず奇行きこうを続けてるのか」

 そう主人が尋ねてみる。

「良く分からんが、最近は歌を作って動画サイトで流してるよ。『戦争はいやっす!』とかいう歌詞を連呼れんこしてる。おかしな夢でも見たんじゃないか」
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