58 / 64
第九章『明暗』
7 帰ってきた猫ちゃん、悪と対峙する
しおりを挟む
ところで先に、『門』の公案に付いて回答をしてみよう。あらためて紹介すると、「父母未生以前の本来の面目」である。父と母が生まれる前の自分とは、どのような存在であるかという問いだ。
答えは簡単である。吾輩は猫であった。そして百年以上前に、猫は漱石先生に寄って語られた。今も昔も、物を語る猫の話があった。これは別に、吾輩が、漱石先生が書いた猫の生まれ変わりという訳ではない。しかし、似たようなものとは言えるかも知れない。
こう考えてほしい。今も昔も、そして未来にも人が居る。人が生まれれば、それぞれのストーリーが発生する。人生とは物語なのである。連綿とした、川の流れのような、それぞれの物語が続いていく。天の川のように、光る魂の流れが今の吾輩には見える。
命は愛と共に誕生する。「違う」と言う者も居るかも知れぬ。命は偶然の産物でしか無いという主張はあるのだろう。
しかし漱石先生が書いた、猫の話はどうであろうか。あの猫は何処から生まれたというのか。答えは、「創作者の愛から」である。仮に人類が創造主の愛から生まれたとすれば、その後に何があろうが、創造主の愛は否定できまい。人も物語も、愛から生まれてきたのである。
つまり公案の回答は、「吾輩は物語る猫である」となる。もっと単純に「物語」でもいいし、「命」でも「魂」でも良いかも知れぬ。正解でも不正解でも、それはどうでもいい。
今、吾輩が見ている光景は、過去と現在と未来が一体の世界だ。吾輩は過去であり現在であり未来である。百年以上前に漱石先生は猫の物語を記した。その猫は亡くなったが、その後に蘇った。何故か? 追随者の愛に寄って、新たな物語が作成されたからだ。
愛がある所に、復活がある。漱石先生が書いた猫も、吾輩も無名であった。つまり少数派に過ぎなかった。吾輩は仔猫時代に死にかけ、水たまりで喉の渇きを潤していた。
過去も現在も未来も、爆撃で家を失った者が居る。死にかけた子供が居る。彼らを救うものは愛である。彼らの渇きが潤される事を吾輩は願う。愛に寄る復活を願っている。どうか少数派に愛を与えてほしい。
何が善で、何が悪かは分からないと良く言われる。だが今の吾輩は寝ぼけている。言ってしまおう、侵略戦争を行う独裁者は悪であると。未来からはイーロン・マスク氏が何処かの大統領に決闘を挑んだというニュースが聞こえる。漱石先生の遺志を継いで、猫の吾輩は帰ってきた。吾輩は吾輩の言葉で、未来の悪と対峙する。
それほど時間は掛からない。この世界は時間の流れが特殊である。これから色々と述べるが、それが終わるまでには一秒も掛からない。そう思って欲しい。
吾輩の前には未来に存在する悪が見える。彼は言うであろう、「これは帝国の領土を取り戻す戦いである」と。かつてナチスを率いたアドルフ・ヒトラーもそう主張した。
彼には彼の正義があるのだろう。その正義とやらが社会的、国際的に認められるかは別である。ドストエフスキーが書いた『罪と罰』の主人公にも、彼なりの正義はあったのだろう。その正義は認められず、彼は殺人者として裁かれた。彼は失敗した革命家である。
彼はまた、言うのであろう。「我が国だけが責められるのは不当である。あの国は侵略戦争を行ったではないか、あの国はナチスと手を組んだではないか。そんな奴らに我が国を批判する資格は無い」と。なるほど、なるほど。
何処の国にも血塗られた歴史はあるのだろう。この理論では、何処の国も彼を責める資格は無いらしい。ならば吾輩が、彼を批判できる存在を示そう。それは人類の創造主である。
創造主は言うであろう、「黙れ、小童」と。更に続けるであろう、「吾は十戒を石板に刻ませた。汝、殺すなかれ。姦淫するなかれ。盗むなかれ。吾は言を物語る者である。たかだか百年も生きていない若造の口答えなど、吾は認めぬ」。
漱石先生は『草枕』で、「憐れは神の知らぬ情」と書いていた。神とは怒れる存在かもだ。
吾輩、夢の中で赤子と青子に『草枕』を語っていた時の事を思い出す。あの時、吾輩の脳裏には閃きが起こった。「神様……小説の神様……吾は物語る者……愛……復活……憐れを知る者……吾輩は猫である……」と、これだけの断片的な言葉が浮かんでいたのだ。
聖書は最大のベストセラーである。なるほど、創造主とは、吾輩が出会った「小説の神様」の上位存在であるのかも知れぬ。
創造主の言葉には容赦が無い。もう少し穏やかなアプローチも、独裁者に対して必要かも知れない。十字架の上で息絶えた聖人なら、独裁者が抱える苦悩やストレスを憐れんだかもだ。
聖人も独裁者の侵略戦争は悪と見なすだろう。しかし彼の訴えには耳を傾けるかも知れない。「盗人にも三分の理」と言われる。侵略戦争を正当化する言説はあるのだろう。
吾輩なら、こう言う。「かつて日本も、大日本帝国として軍国主義を進めていた。当時の日本も、自国の正義を信じていた。その後、敗戦となって、日本は悪として裁かれたのだ」と。
自国の正義とやらも、どれほど正当なものであったか。言論統制に寄って行われる正義というのは信用できない。物書きの作家が処刑されるような国の正義は、漱石先生だって信じられなかったであろう。
吾輩は彼に言う、「敗戦とは惨めなものだ」と。敗戦までの過程は、国際的に孤立して経済制裁を受けて、国は貧しくなって追い詰められていく。何も良い事が無くなって、最後に原子爆弾を落とされる。日本は二発の原爆を落とされた。彼の国は最悪の場合、それ以上の数を落とされる。
周囲の国も無事では済まないだろう。彼の国は消滅するかも知れぬ。それが本当に望みなのか。
吾輩は彼に提案する、「撤退せよ」と。大国であれば、早期に停戦すれば敗戦のダメージも抑えられるであろう。吾輩は彼の国の兵隊に言う、「続ければ続ける程、君達の命と名誉は失われていく」と。蛮行の記録は百年後も残るであろう。略奪者、殺人者、戦争犯罪者として記録される事を本当に君達は望んでいるのか。
吾輩、言うべき事は言った。所詮、猫の説教である。言論は時に無力だ。未来に向けて、吾輩が出来る事は、ここまでである。
ふと吾輩、百年後に龍之介くんと『行人』に付いて話している光景が見えた。そこで最後に述べた言葉を繰り返そう。
「未来は決して、暗い話ばかりではない。だから希望を持って、今の時代を生きてほしい」である。今という時代を、何とか明るい未来に繋げてほしい。それには明るい夢を持って生きる事だ。当たり前の話だが、我々は今という時代を懸命に生きるしか無いのである。
そろそろ吾輩、本来の目的に戻る。これから行う事は、龍之介くんには見せたくない。
言論で緊急の暴力は止められないのだ。吾輩は雪子を見つけ、助け出さなければならない。
吾輩、意識を現在に向ける。雪子の居場所をテレパシーで探す。彼女が出かけたのは東京の範囲内であろう、ならば見つけられると吾輩は確信する。
人の意識だけが今の吾輩には見える。暗闇の中に、白い影が大勢、動いている。ややあって、主人の家の庭で会った意識を見つけ出す。雪子の意識というか魂は、名前の通りに白かった。
その雪子を付け狙う者が居る。性別は男で、意識に変調が見える。ストレスに寄る病的な状態なので、吾輩から見れば目立ちやすかった。
まだ外は雨が降っている。雪子は家に帰る途中であろう。おそらく傘を差していて、だから背後から尾けてくる男の存在に気づいていない。
吾輩、雪子を尾けている男から苦悩を感じる。彼は何かを失ったのだろうか。領土を失った独裁者も同様に苦悩しているのか。だからと言って、この男や独裁者の行為を容認する訳には行かぬ。
男は手に刃物を持っているのが吾輩には分かる。大きさは分からない。女子の肌を切り裂くには充分であろう。吾輩、右の前足から刀のように爪を伸ばす。爪は一本で、それが二メートル程の長さとなる。吾輩が今居る空間は夢であり現である。想念で爪を伸ばすくらい、大した事では無い。
男の憎しみが見える。負の感情が見える。吾輩、右足の一本爪に、その感情を集める。雷に対する避雷針に似ていて、爪にエネルギーが溜まっていく。男の憎しみを爪で取り去る事は出来ない。吾輩、そのつもりも無い。聖人の真似事は吾輩の能力を越えている。
男が駆け出す。雪子が気配を感じて、立ち止まって振り返る。男の刃物が雪子を襲うまでに一秒も掛かるまい。吾輩、右前足の爪を振り下ろした!
男が倒れ込む。自らの刃物が、彼を襲ったのだ。吾輩が行ったのは、彼の憎しみに寄る攻撃を、彼自身に向けさせる術である。彼の憎しみが大きければ大きいほど、彼自身へのダメージも大きい。助かるか助からないかは、彼次第だ。
吾輩は猫である。だから人の法には捉われない。
いつか独裁者も、猫を恐れるであろう。猫は天性の暗殺者だ。
猫は足音も立てずに忍び寄る。そして爪を振り下ろす。か弱い猫に非道を行わせないよう願いたい。
答えは簡単である。吾輩は猫であった。そして百年以上前に、猫は漱石先生に寄って語られた。今も昔も、物を語る猫の話があった。これは別に、吾輩が、漱石先生が書いた猫の生まれ変わりという訳ではない。しかし、似たようなものとは言えるかも知れない。
こう考えてほしい。今も昔も、そして未来にも人が居る。人が生まれれば、それぞれのストーリーが発生する。人生とは物語なのである。連綿とした、川の流れのような、それぞれの物語が続いていく。天の川のように、光る魂の流れが今の吾輩には見える。
命は愛と共に誕生する。「違う」と言う者も居るかも知れぬ。命は偶然の産物でしか無いという主張はあるのだろう。
しかし漱石先生が書いた、猫の話はどうであろうか。あの猫は何処から生まれたというのか。答えは、「創作者の愛から」である。仮に人類が創造主の愛から生まれたとすれば、その後に何があろうが、創造主の愛は否定できまい。人も物語も、愛から生まれてきたのである。
つまり公案の回答は、「吾輩は物語る猫である」となる。もっと単純に「物語」でもいいし、「命」でも「魂」でも良いかも知れぬ。正解でも不正解でも、それはどうでもいい。
今、吾輩が見ている光景は、過去と現在と未来が一体の世界だ。吾輩は過去であり現在であり未来である。百年以上前に漱石先生は猫の物語を記した。その猫は亡くなったが、その後に蘇った。何故か? 追随者の愛に寄って、新たな物語が作成されたからだ。
愛がある所に、復活がある。漱石先生が書いた猫も、吾輩も無名であった。つまり少数派に過ぎなかった。吾輩は仔猫時代に死にかけ、水たまりで喉の渇きを潤していた。
過去も現在も未来も、爆撃で家を失った者が居る。死にかけた子供が居る。彼らを救うものは愛である。彼らの渇きが潤される事を吾輩は願う。愛に寄る復活を願っている。どうか少数派に愛を与えてほしい。
何が善で、何が悪かは分からないと良く言われる。だが今の吾輩は寝ぼけている。言ってしまおう、侵略戦争を行う独裁者は悪であると。未来からはイーロン・マスク氏が何処かの大統領に決闘を挑んだというニュースが聞こえる。漱石先生の遺志を継いで、猫の吾輩は帰ってきた。吾輩は吾輩の言葉で、未来の悪と対峙する。
それほど時間は掛からない。この世界は時間の流れが特殊である。これから色々と述べるが、それが終わるまでには一秒も掛からない。そう思って欲しい。
吾輩の前には未来に存在する悪が見える。彼は言うであろう、「これは帝国の領土を取り戻す戦いである」と。かつてナチスを率いたアドルフ・ヒトラーもそう主張した。
彼には彼の正義があるのだろう。その正義とやらが社会的、国際的に認められるかは別である。ドストエフスキーが書いた『罪と罰』の主人公にも、彼なりの正義はあったのだろう。その正義は認められず、彼は殺人者として裁かれた。彼は失敗した革命家である。
彼はまた、言うのであろう。「我が国だけが責められるのは不当である。あの国は侵略戦争を行ったではないか、あの国はナチスと手を組んだではないか。そんな奴らに我が国を批判する資格は無い」と。なるほど、なるほど。
何処の国にも血塗られた歴史はあるのだろう。この理論では、何処の国も彼を責める資格は無いらしい。ならば吾輩が、彼を批判できる存在を示そう。それは人類の創造主である。
創造主は言うであろう、「黙れ、小童」と。更に続けるであろう、「吾は十戒を石板に刻ませた。汝、殺すなかれ。姦淫するなかれ。盗むなかれ。吾は言を物語る者である。たかだか百年も生きていない若造の口答えなど、吾は認めぬ」。
漱石先生は『草枕』で、「憐れは神の知らぬ情」と書いていた。神とは怒れる存在かもだ。
吾輩、夢の中で赤子と青子に『草枕』を語っていた時の事を思い出す。あの時、吾輩の脳裏には閃きが起こった。「神様……小説の神様……吾は物語る者……愛……復活……憐れを知る者……吾輩は猫である……」と、これだけの断片的な言葉が浮かんでいたのだ。
聖書は最大のベストセラーである。なるほど、創造主とは、吾輩が出会った「小説の神様」の上位存在であるのかも知れぬ。
創造主の言葉には容赦が無い。もう少し穏やかなアプローチも、独裁者に対して必要かも知れない。十字架の上で息絶えた聖人なら、独裁者が抱える苦悩やストレスを憐れんだかもだ。
聖人も独裁者の侵略戦争は悪と見なすだろう。しかし彼の訴えには耳を傾けるかも知れない。「盗人にも三分の理」と言われる。侵略戦争を正当化する言説はあるのだろう。
吾輩なら、こう言う。「かつて日本も、大日本帝国として軍国主義を進めていた。当時の日本も、自国の正義を信じていた。その後、敗戦となって、日本は悪として裁かれたのだ」と。
自国の正義とやらも、どれほど正当なものであったか。言論統制に寄って行われる正義というのは信用できない。物書きの作家が処刑されるような国の正義は、漱石先生だって信じられなかったであろう。
吾輩は彼に言う、「敗戦とは惨めなものだ」と。敗戦までの過程は、国際的に孤立して経済制裁を受けて、国は貧しくなって追い詰められていく。何も良い事が無くなって、最後に原子爆弾を落とされる。日本は二発の原爆を落とされた。彼の国は最悪の場合、それ以上の数を落とされる。
周囲の国も無事では済まないだろう。彼の国は消滅するかも知れぬ。それが本当に望みなのか。
吾輩は彼に提案する、「撤退せよ」と。大国であれば、早期に停戦すれば敗戦のダメージも抑えられるであろう。吾輩は彼の国の兵隊に言う、「続ければ続ける程、君達の命と名誉は失われていく」と。蛮行の記録は百年後も残るであろう。略奪者、殺人者、戦争犯罪者として記録される事を本当に君達は望んでいるのか。
吾輩、言うべき事は言った。所詮、猫の説教である。言論は時に無力だ。未来に向けて、吾輩が出来る事は、ここまでである。
ふと吾輩、百年後に龍之介くんと『行人』に付いて話している光景が見えた。そこで最後に述べた言葉を繰り返そう。
「未来は決して、暗い話ばかりではない。だから希望を持って、今の時代を生きてほしい」である。今という時代を、何とか明るい未来に繋げてほしい。それには明るい夢を持って生きる事だ。当たり前の話だが、我々は今という時代を懸命に生きるしか無いのである。
そろそろ吾輩、本来の目的に戻る。これから行う事は、龍之介くんには見せたくない。
言論で緊急の暴力は止められないのだ。吾輩は雪子を見つけ、助け出さなければならない。
吾輩、意識を現在に向ける。雪子の居場所をテレパシーで探す。彼女が出かけたのは東京の範囲内であろう、ならば見つけられると吾輩は確信する。
人の意識だけが今の吾輩には見える。暗闇の中に、白い影が大勢、動いている。ややあって、主人の家の庭で会った意識を見つけ出す。雪子の意識というか魂は、名前の通りに白かった。
その雪子を付け狙う者が居る。性別は男で、意識に変調が見える。ストレスに寄る病的な状態なので、吾輩から見れば目立ちやすかった。
まだ外は雨が降っている。雪子は家に帰る途中であろう。おそらく傘を差していて、だから背後から尾けてくる男の存在に気づいていない。
吾輩、雪子を尾けている男から苦悩を感じる。彼は何かを失ったのだろうか。領土を失った独裁者も同様に苦悩しているのか。だからと言って、この男や独裁者の行為を容認する訳には行かぬ。
男は手に刃物を持っているのが吾輩には分かる。大きさは分からない。女子の肌を切り裂くには充分であろう。吾輩、右の前足から刀のように爪を伸ばす。爪は一本で、それが二メートル程の長さとなる。吾輩が今居る空間は夢であり現である。想念で爪を伸ばすくらい、大した事では無い。
男の憎しみが見える。負の感情が見える。吾輩、右足の一本爪に、その感情を集める。雷に対する避雷針に似ていて、爪にエネルギーが溜まっていく。男の憎しみを爪で取り去る事は出来ない。吾輩、そのつもりも無い。聖人の真似事は吾輩の能力を越えている。
男が駆け出す。雪子が気配を感じて、立ち止まって振り返る。男の刃物が雪子を襲うまでに一秒も掛かるまい。吾輩、右前足の爪を振り下ろした!
男が倒れ込む。自らの刃物が、彼を襲ったのだ。吾輩が行ったのは、彼の憎しみに寄る攻撃を、彼自身に向けさせる術である。彼の憎しみが大きければ大きいほど、彼自身へのダメージも大きい。助かるか助からないかは、彼次第だ。
吾輩は猫である。だから人の法には捉われない。
いつか独裁者も、猫を恐れるであろう。猫は天性の暗殺者だ。
猫は足音も立てずに忍び寄る。そして爪を振り下ろす。か弱い猫に非道を行わせないよう願いたい。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説

春から一緒に暮らすことになったいとこたちは露出癖があるせいで僕に色々と見せてくる
釧路太郎
キャラ文芸
僕には露出狂のいとこが三人いる。
他の人にはわからないように僕だけに下着をチラ見せしてくるのだが、他の人はその秘密を誰も知らない。
そんな三人のいとこたちとの共同生活が始まるのだが、僕は何事もなく生活していくことが出来るのか。
三姉妹の長女前田沙緒莉は大学一年生。次女の前田陽香は高校一年生。三女の前田真弓は中学一年生。
新生活に向けたスタートは始まったばかりなのだ。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」にも投稿しています。
毒小町、宮中にめぐり逢ふ
鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。
生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。
しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
仔狐さくら、九尾を目指す
真弓りの
キャラ文芸
あたし、死んだの?
好奇心で山から降りて、車に跳ねられて生命を落とした仔狐が、助けようとしてくれた優しい人を守ろうと頑張ったり、空回りで怖がらせてしまったり……。
大切な人を守るため、あたし、強くなりたい。
え? しっぽが増えると強くなれるの?
それなら、あたし、凄く頑張る……!
★他サイト(小説家になろう、エブリスタ)にも掲載しております。

【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました
かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中!
そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……?
可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです!
そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!?
イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!!
毎日17時と19時に更新します。
全12話完結+番外編
「小説家になろう」でも掲載しています。
常世の狭間
涼寺みすゞ
キャラ文芸
生を終える時に目にするのが
このような光景ならば夢見るように
二つの眼を永遠にとじても
いや、夢の中で息絶え、そのまま身が白骨と化しても後悔などありはしない――。
その場所は
辿り着ける者と、そうでない者がいるらしい。
畦道を進むと広がる光景は、人それぞれ。
山の洞窟、あばら家か?
それとも絢爛豪華な朱の御殿か?
中で待つのは、人か?幽鬼か?
はたまた神か?
ご覧候え、
ここは、現し世か?
それとも、常世か?

音のない世界に生きる私が、あやかしの妻になりました
四条葵
キャラ文芸
古来よりあやかしに苦しめられてきたこの国では、『陰陽師』と呼ばれる特殊な力を持つ人々がいた。
そんな陰陽師の有名な家系に生まれ、将来を期待されていた桜。
しかしある時突然、聴力を失い、あまつさえ陰陽師の力さえ失ってしまった。
優秀であったはずの桜は、家族の期待を裏切ってしまい、その期待は双子の妹である弥生に一身に注がれた。
17歳となり、妹の弥生には求婚が多くある中、
虐げられ、使用人同然の扱いを受ける桜は、己の人生を諦めかけていた。
そんな中、桜に求婚の手紙が届く。
それはかつて有名だった陰陽師の家系の者からであり、
現当主はあやかしに魂を売ったと噂される、あやかし屋敷の主人からだった。
家族は厄介者を追い出すかのように、桜はそのあやかし屋敷の主人へと嫁ぐことになる。
そこで出会った主人は、不思議な雰囲気を纏った、冷酷な男性だった。
しかし、冷酷そうに見えた主人にも、悲しい過去があって…。
心に傷を負った二人が、少しずつ歩み寄り、本当の夫婦になっていく和風ストーリー。
※明治時代をイメージしておりますが、架空の日本です。
陰陽師やあやかし等の設定もフィクションとなっております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる