帰ってきた猫ちゃん

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第九章『明暗』

7 帰ってきた猫ちゃん、悪と対峙する

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 ところで先に、『門』の公案に付いて回答をしてみよう。あらためて紹介すると、「父母ぶも未生みしょう以前いぜん本来ほんらい面目めんぼく」である。父と母が生まれる前の自分とは、どのような存在であるかといういだ。

 答えは簡単である。吾輩は猫であった。そして百年以上前に、猫は漱石先生に寄って語られた。今も昔も、ものかたる猫の話があった。これは別に、吾輩が、漱石先生が書いた猫の生まれ変わりという訳ではない。しかし、似たようなものとは言えるかも知れない。

 こう考えてほしい。今も昔も、そして未来にも人が居る。人が生まれれば、それぞれのストーリーが発生する。人生とは物語なのである。連綿れんめんとした、川の流れのような、それぞれの物語が続いていく。あまがわのように、光るたましいの流れが今の吾輩には見える。

 命は愛と共に誕生する。「違う」と言う者も居るかも知れぬ。命は偶然の産物さんぶつでしか無いという主張はあるのだろう。

 しかし漱石先生が書いた、猫の話はどうであろうか。あの猫は何処から生まれたというのか。答えは、「創作者の愛から」である。仮に人類がの愛から生まれたとすれば、その後に何があろうが、創造主の愛は否定できまい。人も物語も、愛から生まれてきたのである。

 つまり公案の回答は、「吾輩は物語ものがたる猫である」となる。もっと単純に「物語」でもいいし、「命」でも「魂」でも良いかも知れぬ。正解でも不正解でも、それはどうでもいい。

 今、吾輩が見ている光景は、過去と現在と未来が一体いったいの世界だ。吾輩は過去であり現在であり未来である。百年以上前に漱石先生は猫の物語をしるした。その猫は亡くなったが、その後によみがえった。何故か? 追随者フォロワーの愛にって、あらたな物語が作成されたからだ。

 愛がある所に、復活がある。漱石先生が書いた猫も、吾輩も無名であった。つまり少数派マイノリティーに過ぎなかった。吾輩はねこ時代じだいに死にかけ、水たまりでのどかわきをうるおしていた。

 過去も現在も未来も、爆撃で家を失った者が居る。死にかけた子供が居る。彼らを救うものは愛である。彼らの渇きが潤される事を吾輩は願う。愛に寄る復活を願っている。どうか少数派マイノリティーに愛を与えてほしい。

 何が善で、何が悪かは分からないと良く言われる。だが今の吾輩は寝ぼけている。言ってしまおう、侵略戦争をおこなう独裁者は悪であると。未来からはイーロン・マスク氏が何処かの大統領に決闘を挑んだというニュースが聞こえる。漱石先生の遺志いしいで、猫の吾輩は帰ってきた。吾輩は吾輩の言葉で、未来の悪と対峙たいじする。

 それほど時間は掛からない。この世界は時間の流れが特殊である。これから色々と述べるが、それが終わるまでには一秒も掛からない。そう思って欲しい。

 吾輩の前には未来に存在する悪が見える。は言うであろう、「これは帝国の領土を取り戻す戦いである」と。かつてナチスをひきいたアドルフ・ヒトラーもそう主張した。

 には彼の正義があるのだろう。その正義とやらが社会的、国際的に認められるかは別である。ドストエフスキーが書いた『罪と罰』の主人公にも、彼なりの正義はあったのだろう。その正義は認められず、彼は殺人者としてさばかれた。彼は失敗した革命家である。

 はまた、言うのであろう。「くにだけが責められるのは不当である。あの国は侵略戦争をおこなったではないか、あの国はナチスと手を組んだではないか。そんな奴らに我が国を批判する資格は無い」と。なるほど、なるほど。

 何処の国にも血塗ちぬられた歴史はあるのだろう。この理論では、何処の国もを責める資格は無いらしい。ならば吾輩が、彼を批判できる存在を示そう。それはである。

 創造主は言うであろう、「だまれ、小童こわっぱ」と。更に続けるであろう、「われ十戒じっかい石板せきばんきざませた。なんじ、殺すなかれ。姦淫かんいんするなかれ。ぬすむなかれ。われロゴス物語ものがたる者である。たかだか百年も生きていない若造わかぞうくちごたえなど、われは認めぬ」。

 漱石先生は『草枕』で、「あわれは神の知らぬじょう」と書いていた。神とは怒れる存在かもだ。

 吾輩、夢の中で赤子と青子に『草枕』を語っていた時の事を思い出す。あの時、吾輩の脳裏のうりにはひらめきが起こった。「神様……小説の神様……われ物語ものがたる者……愛……復活……憐れを知る者……吾輩は猫である……」と、これだけの断片的だんぺんてきな言葉が浮かんでいたのだ。

 聖書は最大のベストセラーである。なるほど、創造主とは、吾輩が出会った「小説の神様」のじょう存在そんざいであるのかも知れぬ。

 創造主の言葉には容赦ようしゃが無い。もう少しおだやかなアプローチも、独裁者に対して必要かも知れない。十字架じゅうじかの上でいきえた聖人なら、独裁者がかかえる苦悩やストレスをあわれんだかもだ。

 聖人も独裁者の侵略戦争は悪となすだろう。しかしうったえには耳をかたむけるかも知れない。「盗人ぬすびとにも三分さんぶ」と言われる。侵略戦争を正当化する言説げんせつはあるのだろう。

 吾輩なら、こう言う。「かつて日本も、大日本帝国として軍国主義を進めていた。当時の日本も、自国の正義を信じていた。その後、敗戦となって、日本は悪として裁かれたのだ」と。

 自国の正義とやらも、どれほど正当なものであったか。言論統制に寄って行われる正義というのは信用できない。物書きの作家が処刑されるような国の正義は、漱石先生だって信じられなかったであろう。

 吾輩はに言う、「敗戦とはみじめなものだ」と。敗戦までの過程は、国際的に孤立して経済制裁を受けて、国はまずしくなって追い詰められていく。何も良い事が無くなって、最後に原子爆弾を落とされる。日本は二発の原爆を落とされた。の国は最悪の場合、それ以上の数を落とされる。

 周囲の国も無事では済まないだろう。の国は消滅するかも知れぬ。それが本当に望みなのか。

 吾輩はに提案する、「撤退てったいせよ」と。大国であれば、早期に停戦すれば敗戦のダメージもおさえられるであろう。吾輩はの国の兵隊に言う、「続ければ続ける程、君達の命と名誉は失われていく」と。蛮行ばんこうの記録は百年後も残るであろう。略奪者、殺人者、戦争犯罪者として記録される事を本当に君達は望んでいるのか。

 吾輩、言うべき事は言った。所詮しょせん、猫の説教である。言論は時に無力だ。未来に向けて、吾輩が出来る事は、ここまでである。

 ふと吾輩、百年後に龍之介くんと『行人』に付いて話している光景が見えた。そこで最後に述べた言葉を繰り返そう。

「未来は決して、暗い話ばかりではない。だから希望を持って、今の時代を生きてほしい」である。今という時代を、何とか明るい未来につなげてほしい。それには明るい夢を持って生きる事だ。当たり前の話だが、我々は今という時代を懸命に生きるしか無いのである。

 そろそろ吾輩、本来の目的に戻る。これからおこなう事は、龍之介くんには見せたくない。

 言論で緊急の暴力は止められないのだ。吾輩は雪子を見つけ、助け出さなければならない。



 吾輩、意識を現在に向ける。雪子の居場所をテレパシーで探す。彼女が出かけたのは東京の範囲内であろう、ならば見つけられると吾輩は確信する。

 人の意識だけが今の吾輩には見える。暗闇の中に、白い影が大勢、動いている。ややあって、主人の家の庭で会った意識を見つけ出す。雪子の意識というかたましいは、名前の通りに白かった。

 その雪子をねらう者が居る。性別は男で、意識に変調が見える。ストレスに寄る病的な状態なので、吾輩から見れば目立めだちやすかった。

 まだ外は雨が降っている。雪子は家に帰る途中であろう。おそらくかさしていて、だから背後からけてくる男の存在に気づいていない。

 吾輩、雪子を尾けている男から苦悩を感じる。彼は何かを失ったのだろうか。領土を失った独裁者も同様に苦悩しているのか。だからと言って、この男や独裁者の行為を容認する訳には行かぬ。

 男は手に刃物を持っているのが吾輩には分かる。大きさは分からない。女子の肌をくには充分であろう。吾輩、右の前足からかたなのように爪を伸ばす。爪は一本で、それが二メートル程の長さとなる。吾輩が今居る空間は夢でありうつつである。想念そうねんで爪を伸ばすくらい、大した事では無い。

 男の憎しみが見える。の感情が見える。吾輩、右足の一本いっぽんづめに、その感情を集める。雷に対する避雷針ひらいしんに似ていて、爪にエネルギーがまっていく。男の憎しみを爪で取り去る事は出来ない。吾輩、そのつもりも無い。聖人の真似事まねごとは吾輩の能力を越えている。

 男がす。雪子が気配を感じて、立ち止まって振り返る。男の刃物が雪子をおそうまでに一秒も掛かるまい。吾輩、右前足の爪を振り下ろした!

 男が倒れ込む。みずからの刃物が、彼をおそったのだ。吾輩がおこなったのは、彼の憎しみに寄る攻撃を、彼自身に向けさせる術である。彼の憎しみが大きければ大きいほど、彼自身へのダメージも大きい。助かるか助からないかは、彼次第しだいだ。



 吾輩は猫である。だから人の法にはとらわれない。

 いつか独裁者も、猫を恐れるであろう。猫は天性の暗殺者だ。

 猫は足音も立てずにしのる。そして爪を振り下ろす。か弱い猫に非道ひどうおこなわせないようねがいたい。
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