帰ってきた猫ちゃん

転生新語

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第九章『明暗』

6 猫ちゃん、覚悟を固めて三たび寝ぼける

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 目が覚めた。龍之介くんは良く寝ている。吾輩、彼を起こさないように部屋を出た。

 階段を下りて、再び一階の部屋へと入る。タブレットで電子書籍をめくる。読み直すのは漱石先生が書いた『門』と『草枕』である。ページ数も『明暗』と比べれば随分ずいぶんうすい。

 この二作品では、宗教や神の話が出てくる。漱石先生は神様が嫌いだったようだ。しかし宗教的な境地は目指めざしていたようで、「そく天去てんきょ」というのが理想だったそうだが、吾輩の頭では理解が出来ない。なので吾輩、この用語にはこだわらない。

 吾輩、漱石先生と違って、神様や仏様の事を嫌いではない。作品を読みながら、宗教や神に付いて少し考えてみたかった。

『門』を読み返す。この小説では主人公が禅寺ぜんでらに行き、和尚おしょうさんから公案こうあんというものを出される。クイズみたいなもので、「父母ぶも未生みしょう以前いぜん本来ほんらい面目めんぼく」とは何かと尋ねられる。

 父と母が生まれる前の自分とは、どのような存在であるか。そういういだ。

 これは漱石先生が二十代の時に、実際に出された公案だそうで、漱石先生は答えられなかった。『門』の主人公も同様で、何の収穫しゅうかくも無く、寺を去る事となる。

 吾輩、この公案に回答してみたいと思う。正解かは分からない。おそらく不正解であろう。

 しかし自分なりの回答というものは、それなりに価値があると吾輩は思う。例えば第三次大戦がせまっているとして、絶対的に正しい回答を用意して対処できる者が居るであろうか。

 正解を待っている時間が無ければ、自分なりに対処して生きていくしかあるまい。漱石先生はすでに居ない。しかし先生の言葉や愛は残っている。それをどころとして吾輩は生きる。

『門』の公案への回答は、もう少し後で述べる。その前に『草枕』だ。この中で主人公はトリストラム・シャンデーという小説に付いてコメントしている。

 これは未完の小説らしくて吾輩は読んでいないのだが、『草枕』の主人公が述べるのは、この小説の書かれ方だ。「最初の一句はともかくも自力じりきつづる。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる」とある。書く内容は神に寄るものだから、作者には何の責任も無いという理論である。主人公は、これを作者の責任のがれだと指摘してきする。まあ実際、その通りなのだが。

 しかし吾輩、これは中々、便利な手法しゅほうであると感心していた。猫が寝言で、神を持ち出して何かを語っても、馬鹿が何かをわめいているとしか思われまい。いわゆる一つのノーマークである。

 他国の独裁者が世界を騒がせたあかつきには、吾輩、この無責任理論を使おうかと思う。まあ、まだ第三次大戦は起こらないだろう。来年の事は分からないから、その時にでも使ってみよう。

 ここまで考えた時に、主人と山師が居る部屋の気配が変わった。まだ山師は、主人の家にすわっていたらしい。何かしら騒いでいる。

「どうしたんだ、携帯なんか見て」

 呑気に主人が、山師の様子を見ている。山師の携帯にはメッセージが入ったようだ。

「娘からだ……『ユッキーが帰ってきてない!』、『パパ上! 探して!』だとよ……」

「ユッキー……ああ、雪子ちゃんか……」

 時刻は、いつしか午後八時近くである。今は行動制限がされていて、遊び場が閉まるギリギリの時間であろうか。誰もがストレスをめている時期である、ちょっとした夜遊びを子供が楽しもうとしても責める事は出来まい。

「お前の娘は三つ子だろ。三人で一緒に居るように言ってたんじゃなかったのか」

「言ってたさ。言っては居たが、雪子は最近、難しい時期みたいでな。姉と一緒に居るのをいやがっていたんだと。今日も一人で出かけてるらしい」

 山師の表情がくもっている。主人に話していた「通り魔」の事を考えているのだろう。

「……お前の娘は、かんがいいんじゃなかったのか。大丈夫じゃないのかよ」

「三つ子の勘っていうのは、三人一緒いっしょの時にはたらくんだよ。雪子だけだと……危ないな」

「あと二人の、お前の娘は? 姉に探させれば雪子ちゃんは見つかるんじゃないか」

「二人は家に戻ってる。元妻が門限に、うるさくてな。今から外に出かける許可は与えないだろうよ。雪子の携帯に掛けても、電源を切ってるんだと」

「……探しに行こう。心当たりはあるんだろ、俺も行く」

「心当たり、なぁ。そんなものが分かる良い父親なら、俺は離婚してないよ」

 とにかく行こう、という事で、主人と山師は出ていった。まだ外は雨が降っている。

 悪の気配を吾輩は感じる。おそらく主人達は雪子を見つけられまい。吾輩、しばし考える。

「……何かあったんですか、吾輩さん?」

 二階から、龍之介くんがりてきた。ただならぬ雰囲気というのは分かるのだろう。

「大丈夫だよ、一階でテレビでも見てるといい。吾輩は、ちょっと部屋の中に行くから」

 彼は無邪気むじゃきな子供である。まだまだ、世界の悪意からは遠ざけておきたかった。龍之介くんが見るのは娯楽番組で、いつも午後九時頃には寝てしまう。

「ああ、それとね。吾輩、ちょっと集中したいんだ。吾輩が良いと言うまで、絶対に部屋の中には来ないようにね」

「……はい、吾輩さん」

 龍之介くんは大人しく、テレビがある方へと向かう。じつに良い子だ。吾輩は一階の部屋に入る。

 吾輩、横になって目を閉じる。たび、吾輩は寝ぼける。夢はうつつとなり、現は夢となる。こんぜん一体いったいとした世界が吾輩の前に広がった。
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