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第八章『行人』
1 猫ちゃん、ガウンを羽織(はお)ってホテルで龍之介くんと過ごす
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吾輩、熱いシャワーを浴びて、ガウンを身に纏った。今回の吾輩はホテル住まいという設定である。偉い小説家は高級ホテルに泊まりこんで優雅に原稿を書くという。
吾輩、特に原稿は書きたくないが、小説家っぽいポーズは取ってみたかった。なので高級ホテルである。原稿書きなどという労働は主人などに任せれば良いのだ。
普段なら途中で目が覚めてキャットフードを食べに行く展開だが、この章は最初から最後まで、吾輩はホテルで時を過ごす。章とは何か? 気にしてはいけない。せっかく高級ホテルに居るのだから贅沢な時間は味わい尽くさなければなるまい。
吾輩、部屋にある冷蔵庫に向かう。ホテルの冷蔵庫というのは妙に小さいのが実際のところだが、そこは豪華な気分を味わいたいので大きなサイズを置いてみました。その辺りの設定は自由自在なのである。吾輩も自分の身長を一八〇センチに設定している。
吾輩、二本足で立って冷蔵庫を開ける。前足では無く人間の手である。やはり、この方が色々と便利なのを実感する。中から良く冷えたチューブ状のゼリーを取り出し、口に入れる。中身は猫の餌である。味の好みは結局、この辺りに落ち着くのであった。
冷蔵庫には人間が喜びそうな高級メロンも用意している。これは客人用であった。吾輩、この部屋で優雅に、漱石先生の作品に付いて客人と話をして時を過ごす。部屋の窓からは夜景が見える。月が輝いている。可能なら、ここで漱石先生と話をしてみたかったと吾輩、思う。
そろそろ彼が来る頃だ。果たして部屋のベルが鳴る。ドアが開いて、二十代の紳士が入室する。夜の礼服であるタキシード姿が凛々しい。吾輩、ソファーで寛いで彼を見つめる。
「かしこまった服装だね。もっとリラックスしたまえよ、ガウン姿の吾輩が馬鹿みたいだ」
「いいんですよ、僕は吾輩さんを尊敬してるんですから。敬意を表させてください」
目の前に居るのは龍之介くんである。二十代の彼は、まるで主人には似ていないハンサムに成長している。きっと母親の方に似たのだろう。喜ばしい限りであった。
「冷蔵庫から、好きな物を取って適当に遣りたまえ。猫の吾輩より、君が食べた方が良い物ばかりだ」
「では遠慮なく頂きます、吾輩さん」
ここでの龍之介くんは成人しているから、大人の飲み物だって飲める。しかし最近は何かと規制が入る。「赤ん坊に何を飲ませるんだ!」という、お叱りは避けなければなるまい。だから具体的な描写は避けて、とにかく龍之介くんはメロンを食べて、適当に飲んでリラックスしていた。
「今日は君と、漱石先生の作品である『行人』に付いて語り合いたい。そして疲れたらベッドで、君が赤ん坊だった時のように、共に眠ろうじゃないか」
「いいですね。あの頃の僕は、母親よりも多く吾輩さんと眠ってましたっけ」
猫と人間が寝る事には何の問題もあるまい。これは、お叱りを受けるだろうか。むしろ歓迎されそうな気がした。
「『行人』は、後期三部作の中にある作品ですね。この作品を選んだ理由は?」
龍之介くんが尋ねてくる。彼が言う通りで、漱石先生の後期三部作と言われる作品があり、時代順に並べると『彼岸過迄』、『行人』、『こころ』である。
「君も知っての通り、後期三部作の頃の漱石先生は、大変に病んでいた。心身、共にね」
龍之介くんに、ゆっくりと説明する。焦る事は無い。夜は長いのである。
「体調が悪いから、どうしても小説を書き上げるのに苦労する。なのにキャリア前半と違って、書きたい事は増えてきたから一冊当たりの原稿量は増える。しかも当時は手書きの時代だ」
ノートパソコンで書いていた主人とは違うのである。執筆とは、命を削る作業であったろう。
「ドストエフスキーと同じだよ。最後に書いていた作品が一番長くて、しかも未完だ。命の長さと仕事量が釣り合っていない。背負いきれない重荷と苦悩の中で、後期の作品は書かれていたと言っていい」
吾輩、十字架を背負わされて処刑場まで歩かされた、イエス・キリストを想起する。彼の命は短かった。しかし、彼が伝えた愛は不滅の輝きを放った。彼の人生と愛が無意味であったと、誰が言えるであろうか。
「後期三部作は、ストーリー上に欠点があると言われる事もある。小説として歪な面は、確かにあるかも知れない。だからと言って、それを駄作だ何だと言われるのは、吾輩としては心外だね。後期の作品は、漱石先生の人生などを合わせて解釈していく必要があると思う」
「熱いですねぇ、吾輩さん」
嬉しそうに龍之介くんが言う。
「で、『行人』を選んだ理由だけど。作品の出来は、三部作の中では『こころ』が一番、良いんだ。だけども、ちょっと話が暗すぎる。それに有名すぎる。だから、ここでは取り上げない」
吾輩、良く冷えたチューブ状の餌で、喉の渇きを潤す。
「今夜は『行人』を取り上げる事で、漱石先生の人生なども振り返りたい。作品は長いから、細かい所は省いて語るだろう。この作品が一番、漱石先生の姿と重なるんだよ」
「今の僕は大人ですからね。深い話にも、付き合いますよ」
吾輩に取って、龍之介くんは実の子供のような存在である。親は子供が成人して、その成人した子供と酒でも飲みながら話すのが幸せなのだろう。吾輩は酒を飲まないが、その幸せを今、実感していた。
夢のような時間であった。まあ夢なのだが。夢は時空を越える。吾輩は時空を越えて漱石先生と繋がりたく思う。
「別に真面目な話ばかりじゃない。いつもユーモアを忘れなかったのが漱石先生だ。真面目も不真面目も織り交ぜて、話しながら君と夜を過ごそうじゃないか」
吾輩、特に原稿は書きたくないが、小説家っぽいポーズは取ってみたかった。なので高級ホテルである。原稿書きなどという労働は主人などに任せれば良いのだ。
普段なら途中で目が覚めてキャットフードを食べに行く展開だが、この章は最初から最後まで、吾輩はホテルで時を過ごす。章とは何か? 気にしてはいけない。せっかく高級ホテルに居るのだから贅沢な時間は味わい尽くさなければなるまい。
吾輩、部屋にある冷蔵庫に向かう。ホテルの冷蔵庫というのは妙に小さいのが実際のところだが、そこは豪華な気分を味わいたいので大きなサイズを置いてみました。その辺りの設定は自由自在なのである。吾輩も自分の身長を一八〇センチに設定している。
吾輩、二本足で立って冷蔵庫を開ける。前足では無く人間の手である。やはり、この方が色々と便利なのを実感する。中から良く冷えたチューブ状のゼリーを取り出し、口に入れる。中身は猫の餌である。味の好みは結局、この辺りに落ち着くのであった。
冷蔵庫には人間が喜びそうな高級メロンも用意している。これは客人用であった。吾輩、この部屋で優雅に、漱石先生の作品に付いて客人と話をして時を過ごす。部屋の窓からは夜景が見える。月が輝いている。可能なら、ここで漱石先生と話をしてみたかったと吾輩、思う。
そろそろ彼が来る頃だ。果たして部屋のベルが鳴る。ドアが開いて、二十代の紳士が入室する。夜の礼服であるタキシード姿が凛々しい。吾輩、ソファーで寛いで彼を見つめる。
「かしこまった服装だね。もっとリラックスしたまえよ、ガウン姿の吾輩が馬鹿みたいだ」
「いいんですよ、僕は吾輩さんを尊敬してるんですから。敬意を表させてください」
目の前に居るのは龍之介くんである。二十代の彼は、まるで主人には似ていないハンサムに成長している。きっと母親の方に似たのだろう。喜ばしい限りであった。
「冷蔵庫から、好きな物を取って適当に遣りたまえ。猫の吾輩より、君が食べた方が良い物ばかりだ」
「では遠慮なく頂きます、吾輩さん」
ここでの龍之介くんは成人しているから、大人の飲み物だって飲める。しかし最近は何かと規制が入る。「赤ん坊に何を飲ませるんだ!」という、お叱りは避けなければなるまい。だから具体的な描写は避けて、とにかく龍之介くんはメロンを食べて、適当に飲んでリラックスしていた。
「今日は君と、漱石先生の作品である『行人』に付いて語り合いたい。そして疲れたらベッドで、君が赤ん坊だった時のように、共に眠ろうじゃないか」
「いいですね。あの頃の僕は、母親よりも多く吾輩さんと眠ってましたっけ」
猫と人間が寝る事には何の問題もあるまい。これは、お叱りを受けるだろうか。むしろ歓迎されそうな気がした。
「『行人』は、後期三部作の中にある作品ですね。この作品を選んだ理由は?」
龍之介くんが尋ねてくる。彼が言う通りで、漱石先生の後期三部作と言われる作品があり、時代順に並べると『彼岸過迄』、『行人』、『こころ』である。
「君も知っての通り、後期三部作の頃の漱石先生は、大変に病んでいた。心身、共にね」
龍之介くんに、ゆっくりと説明する。焦る事は無い。夜は長いのである。
「体調が悪いから、どうしても小説を書き上げるのに苦労する。なのにキャリア前半と違って、書きたい事は増えてきたから一冊当たりの原稿量は増える。しかも当時は手書きの時代だ」
ノートパソコンで書いていた主人とは違うのである。執筆とは、命を削る作業であったろう。
「ドストエフスキーと同じだよ。最後に書いていた作品が一番長くて、しかも未完だ。命の長さと仕事量が釣り合っていない。背負いきれない重荷と苦悩の中で、後期の作品は書かれていたと言っていい」
吾輩、十字架を背負わされて処刑場まで歩かされた、イエス・キリストを想起する。彼の命は短かった。しかし、彼が伝えた愛は不滅の輝きを放った。彼の人生と愛が無意味であったと、誰が言えるであろうか。
「後期三部作は、ストーリー上に欠点があると言われる事もある。小説として歪な面は、確かにあるかも知れない。だからと言って、それを駄作だ何だと言われるのは、吾輩としては心外だね。後期の作品は、漱石先生の人生などを合わせて解釈していく必要があると思う」
「熱いですねぇ、吾輩さん」
嬉しそうに龍之介くんが言う。
「で、『行人』を選んだ理由だけど。作品の出来は、三部作の中では『こころ』が一番、良いんだ。だけども、ちょっと話が暗すぎる。それに有名すぎる。だから、ここでは取り上げない」
吾輩、良く冷えたチューブ状の餌で、喉の渇きを潤す。
「今夜は『行人』を取り上げる事で、漱石先生の人生なども振り返りたい。作品は長いから、細かい所は省いて語るだろう。この作品が一番、漱石先生の姿と重なるんだよ」
「今の僕は大人ですからね。深い話にも、付き合いますよ」
吾輩に取って、龍之介くんは実の子供のような存在である。親は子供が成人して、その成人した子供と酒でも飲みながら話すのが幸せなのだろう。吾輩は酒を飲まないが、その幸せを今、実感していた。
夢のような時間であった。まあ夢なのだが。夢は時空を越える。吾輩は時空を越えて漱石先生と繋がりたく思う。
「別に真面目な話ばかりじゃない。いつもユーモアを忘れなかったのが漱石先生だ。真面目も不真面目も織り交ぜて、話しながら君と夜を過ごそうじゃないか」
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