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第六章『門』
6 猫ちゃん、お白さんと門をくぐる
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「……あの……軽口を叩きたいんですけど、いいでしょうか」
雪子が許可を求めてくる。主人は何とも答えない。困ったように雪子は吾輩の方を見つめてくる。許可が欲しいようなので『どうぞ』と吾輩、頷いてみせた。
「先生が……貴方が、私の母と結婚してくれれば良かったのに」
そう言われて、主人が驚いて雪子に目を向けた。
「……すると、私が、君の父親になっていたという事かな」
「ええ。私の母はお金を持ってますし。私の実の父親と違って、貴方は母も私も大事にしてくださるでしょう?」
にこにこ笑いながら雪子が言う。
「……いやぁ、どうかな。私だって、妻を裏切りかねない瞬間はあったよ」
女編集者との一件であろうか。雪子に釣られて、主人も少し笑った。
「もし離婚したら、私に教えてください。私が貴方を、母と引き合わせますから」
「それは頼もしいね。私と別れる、今の妻は、どうしようか」
「そちらは私の父と引き合わせます。父もお金だけは持ってますから、上手く行くかも」
「いいアイデア、と私が言ってはいけないな。面白い発想があるね、君は」
「ふふふ。小説家みたいでしょう?」
雪子も主人も、朗らかに笑い合う。曇っていた空は、気づけば、また晴れていた。
「という事があったんですよ、お白さん」
「へーえ、雪ちゃんは小説家になりたかったのね。知らなかったわー」
吾輩、楽しく話している主人と雪子を放置して、お白さんに会いに来た。お白さんの屋敷は、いつ見ても立派な建物で、当然のように門も立派である。
お白さんには、雪子の悩み事を中心に伝えた。主人の悩み事など、どうでもいい話であろう。
「小説家ねぇ、雪ちゃんには合ってる職業かもね」
「そう思いますか、お白さん。それはまた、どうして」
「だって雪ちゃん、父親にも母親にも似ているもの。不真面目さは父親譲りで、真面目さは母親譲りで。小説家に必要な要素って、その両方じゃない?」
そういうものだろうか。お白さんが言うのなら、きっとそうなのだろう。
屋敷の門を見て、吾輩、漱石作品の『門』を思い出した。あらすじをお白さんに伝えて、作品に付いて語り合ってみる。
「それは宗教小説なんじゃないかしら。西洋の小説に多いのよ、キリスト教小説っていうのが」
お白さんの飼い主は雪子の母親で、その母親はキリスト教の信者であると、吾輩は以前から聞いている。お白さんが知識を持っているのは、それが理由だろう。
「お寺での修業というのは良く分からないけど、舞台を西洋にして、主人公をキリスト教徒にすれば分かりやすいんじゃない? 『神様、お助けください』って言って、主人公が教会で祈って、そして救われる。いいハッピーエンドだと思うわ」
「ハッピーエンドですかね? だって恋敵の安井は、また主人公の元に来るかも知れないんですよ?」
「そうだけど、でも安井は物騒な外国に戻ったんでしょう? なら言い方は悪いけど、そのまま野垂れ死ぬ可能性の方が高いんじゃないかしら。主人公は静かに暮らしてて、信仰心があって、お給料も上がって奥さんと幸せに暮らすのよ。それは理想の結婚生活だと思うわ」
そう言われると、そうかも知れないと思うのだから吾輩も単純なものである。『門』では主人公夫婦と、大家の坂井さん夫婦の描写があって、その二つはどちらも漱石先生が描く理想の結婚生活であったかも知れない。
主人公夫婦には子供が居なかった。坂井さん夫婦は子供達に囲まれていた。主人公夫婦は坂井さん夫婦よりも物質的に貧しかったが、しかし夫婦仲は良かった。精神の充足があった。
結局、精神の充足こそが人の幸せに繋がるのかも知れない。その辺りが作品のテーマかもだ。
「ところで吾輩さんが話してた、その『門』っていうタイトルで思い出したけど。西洋にもあるのよ、天国の門や、地獄の門の話が。私は『門』って聞くとBLを連想するけどね」
「肛門、という事ですか。お白さん」
「やーねー、はっきり言わないでよ吾輩さんったら、もー」
吾輩が思い出したのは、漱石先生の遺作であった。遺作の冒頭で、主人公は痔の治療をする。そして肛門は、曲がりくねったトンネルのように描写されるのだ。あれは地獄への入り口を表していたように思える。あの作品は近く、読み返したいものだ。
「それで門の話よ。西洋の地獄の門には、『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』って書かれてるんですって。私、この文章を思い浮かべながらBLアニメを三つ子ちゃん達と見てるんだけど」
「何が言いたいんですか、お白さん」
「つまりね。吾輩さんも屋敷の門をくぐって、ちょっと私と仲良くしていかない? 家の人に見つかったら追い出されるけど、覚悟はあるわよね?」
有無を言わさぬ、眼であった。もちろん吾輩、覚悟はある。お白さんと共に、前進して門をくぐっていった。
くぐる際に、そう言えば夢の中でも寺の門を見たと思い出し、和尚さんに何かを言われたと思い出した。夢の最後で言われた事を少しずつ思い出し、あれはどういう意味だったのだろうと気になった。
雪子が許可を求めてくる。主人は何とも答えない。困ったように雪子は吾輩の方を見つめてくる。許可が欲しいようなので『どうぞ』と吾輩、頷いてみせた。
「先生が……貴方が、私の母と結婚してくれれば良かったのに」
そう言われて、主人が驚いて雪子に目を向けた。
「……すると、私が、君の父親になっていたという事かな」
「ええ。私の母はお金を持ってますし。私の実の父親と違って、貴方は母も私も大事にしてくださるでしょう?」
にこにこ笑いながら雪子が言う。
「……いやぁ、どうかな。私だって、妻を裏切りかねない瞬間はあったよ」
女編集者との一件であろうか。雪子に釣られて、主人も少し笑った。
「もし離婚したら、私に教えてください。私が貴方を、母と引き合わせますから」
「それは頼もしいね。私と別れる、今の妻は、どうしようか」
「そちらは私の父と引き合わせます。父もお金だけは持ってますから、上手く行くかも」
「いいアイデア、と私が言ってはいけないな。面白い発想があるね、君は」
「ふふふ。小説家みたいでしょう?」
雪子も主人も、朗らかに笑い合う。曇っていた空は、気づけば、また晴れていた。
「という事があったんですよ、お白さん」
「へーえ、雪ちゃんは小説家になりたかったのね。知らなかったわー」
吾輩、楽しく話している主人と雪子を放置して、お白さんに会いに来た。お白さんの屋敷は、いつ見ても立派な建物で、当然のように門も立派である。
お白さんには、雪子の悩み事を中心に伝えた。主人の悩み事など、どうでもいい話であろう。
「小説家ねぇ、雪ちゃんには合ってる職業かもね」
「そう思いますか、お白さん。それはまた、どうして」
「だって雪ちゃん、父親にも母親にも似ているもの。不真面目さは父親譲りで、真面目さは母親譲りで。小説家に必要な要素って、その両方じゃない?」
そういうものだろうか。お白さんが言うのなら、きっとそうなのだろう。
屋敷の門を見て、吾輩、漱石作品の『門』を思い出した。あらすじをお白さんに伝えて、作品に付いて語り合ってみる。
「それは宗教小説なんじゃないかしら。西洋の小説に多いのよ、キリスト教小説っていうのが」
お白さんの飼い主は雪子の母親で、その母親はキリスト教の信者であると、吾輩は以前から聞いている。お白さんが知識を持っているのは、それが理由だろう。
「お寺での修業というのは良く分からないけど、舞台を西洋にして、主人公をキリスト教徒にすれば分かりやすいんじゃない? 『神様、お助けください』って言って、主人公が教会で祈って、そして救われる。いいハッピーエンドだと思うわ」
「ハッピーエンドですかね? だって恋敵の安井は、また主人公の元に来るかも知れないんですよ?」
「そうだけど、でも安井は物騒な外国に戻ったんでしょう? なら言い方は悪いけど、そのまま野垂れ死ぬ可能性の方が高いんじゃないかしら。主人公は静かに暮らしてて、信仰心があって、お給料も上がって奥さんと幸せに暮らすのよ。それは理想の結婚生活だと思うわ」
そう言われると、そうかも知れないと思うのだから吾輩も単純なものである。『門』では主人公夫婦と、大家の坂井さん夫婦の描写があって、その二つはどちらも漱石先生が描く理想の結婚生活であったかも知れない。
主人公夫婦には子供が居なかった。坂井さん夫婦は子供達に囲まれていた。主人公夫婦は坂井さん夫婦よりも物質的に貧しかったが、しかし夫婦仲は良かった。精神の充足があった。
結局、精神の充足こそが人の幸せに繋がるのかも知れない。その辺りが作品のテーマかもだ。
「ところで吾輩さんが話してた、その『門』っていうタイトルで思い出したけど。西洋にもあるのよ、天国の門や、地獄の門の話が。私は『門』って聞くとBLを連想するけどね」
「肛門、という事ですか。お白さん」
「やーねー、はっきり言わないでよ吾輩さんったら、もー」
吾輩が思い出したのは、漱石先生の遺作であった。遺作の冒頭で、主人公は痔の治療をする。そして肛門は、曲がりくねったトンネルのように描写されるのだ。あれは地獄への入り口を表していたように思える。あの作品は近く、読み返したいものだ。
「それで門の話よ。西洋の地獄の門には、『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』って書かれてるんですって。私、この文章を思い浮かべながらBLアニメを三つ子ちゃん達と見てるんだけど」
「何が言いたいんですか、お白さん」
「つまりね。吾輩さんも屋敷の門をくぐって、ちょっと私と仲良くしていかない? 家の人に見つかったら追い出されるけど、覚悟はあるわよね?」
有無を言わさぬ、眼であった。もちろん吾輩、覚悟はある。お白さんと共に、前進して門をくぐっていった。
くぐる際に、そう言えば夢の中でも寺の門を見たと思い出し、和尚さんに何かを言われたと思い出した。夢の最後で言われた事を少しずつ思い出し、あれはどういう意味だったのだろうと気になった。
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