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第五章『それから』
5 猫ちゃん、三たび編集者と遭遇して大いに慌てる
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考えが終わった所で腹が減った。吾輩、餌を求めて部屋の外に出る。時刻は昼過ぎのようで、家には客が来ているのが庭の方からの声で分かった。
「原稿の進捗はどうですか、先生。執筆のペースが落ちているようですが」
「そんな事より新聞を見給えよ。笹生優花選手が全米オープンで優勝だ、大したものさ」
「だから私は、ゴルフに興味はありませんから」
また女編集者が来ているらしい。主人は閉口しているようだ。何で、こんな頻繁に彼女が訪れてくるのかが理解できないのだろう。吾輩、少し彼女を気の毒に思いながら餌箱に向かった。
どうせ適当に主人が応対し、女編集者は無表情を貫き通して帰るのだろう。吾輩には、あの女が笑わないのは、表情を硬くしておかないと主人に内心の好意を悟られてしまうと。そういう恐れを抱いているのだと感じられた。
餌を食べながら、ふと吾輩は、庭の方の空気が変わった事を知覚する。何かがおかしい。常ならざる事態が起きていると感じて吾輩、様子を見に行った。
「私が一体、どんな気持ちで居ると……」
「どうしたんだ! 何なんだ、落ち着きなさい!」
吾輩が目撃したのは、庭から縁側に上がってきた女編集者が、床で主人を組み伏せている場面であった。何が起きたのかは分からない。案外、女編集者が転びかけて、主人にもたれかかったのかも知れぬ。体に触れた事で、内側に押し隠していた気持ちが爆発したのだろうか。
まさか、この家で痴情沙汰が起ころうとは思わなかった。女編集者の顔は今や泣きそうに歪んでいる。主人はマウントを取られる形で押し倒されて、何も出来ない。吾輩、焦る焦る。
考えたのは、この現場を龍之介くんに見せてはいけないという事だった。まさか吾輩が女編集者の顔を引っ掻いて追い出す訳にも行くまい。第一、現実的に不可能である。戦闘力が違いすぎる。吾輩も慌てていて、女編集者の揺れる胸など凝視していた。ああ動く、両の胸が動く。
焦りで頭の中が赤くなる。視界まで赤く見えて、早く二階に行って龍之介くんが下りてこないようにしなければと、吾輩は階段に向かった。そこに赤ん坊の彼が居たから驚いた。
「慌ててますね、吾輩さん。どうしたんですかー」
龍之介くんは階段から、既に一階へと下りてきていた。物音がしたので見に来たのか。
「ははは、何を言うのやら。まだ慌てる時間じゃないさ、あわわわわ」
「大変みたいですね。ここは僕に任せてください」
そう言うと龍之介くん、さっさと縁側の方に移動していく。吾輩、息を呑んで事態を見守る事しか出来なかった。女編集者の視界に彼の姿が入る。主人の子供が無垢な瞳で、彼女を見上げる。
「…………!」
息を呑んだのは彼女も同様であった。子供の姿というものが、女編集者の理性を呼び覚ましたようで、立ち上がって主人から離れる。真っ赤な顔で縁側を飛び出し、庭に置いていた靴を履いて彼女は立ち去って行った。
「ね。僕に任せて良かったでしょう、吾輩さん」
何が起きたか分かっているのか、いないのか。龍之介くんが無邪気に笑う。主人は死んだかのように、仰向けで引っくり返ったままだ。
「何というか……君は凄いね、龍之介くん」
吾輩としては、そう言う他なかった。
その夜、吾輩は夢を見た。女編集者が巨大化して、炎を吐いて森を大火事にしていた。これは吾輩の夢なのか、あるいは女編集者の夢の中に吾輩が入ったのか、その辺りは分からない。
どうあれ、この火は消した方が良いであろう。吾輩、消防士となって消火活動に勤しんだ。
「原稿の進捗はどうですか、先生。執筆のペースが落ちているようですが」
「そんな事より新聞を見給えよ。笹生優花選手が全米オープンで優勝だ、大したものさ」
「だから私は、ゴルフに興味はありませんから」
また女編集者が来ているらしい。主人は閉口しているようだ。何で、こんな頻繁に彼女が訪れてくるのかが理解できないのだろう。吾輩、少し彼女を気の毒に思いながら餌箱に向かった。
どうせ適当に主人が応対し、女編集者は無表情を貫き通して帰るのだろう。吾輩には、あの女が笑わないのは、表情を硬くしておかないと主人に内心の好意を悟られてしまうと。そういう恐れを抱いているのだと感じられた。
餌を食べながら、ふと吾輩は、庭の方の空気が変わった事を知覚する。何かがおかしい。常ならざる事態が起きていると感じて吾輩、様子を見に行った。
「私が一体、どんな気持ちで居ると……」
「どうしたんだ! 何なんだ、落ち着きなさい!」
吾輩が目撃したのは、庭から縁側に上がってきた女編集者が、床で主人を組み伏せている場面であった。何が起きたのかは分からない。案外、女編集者が転びかけて、主人にもたれかかったのかも知れぬ。体に触れた事で、内側に押し隠していた気持ちが爆発したのだろうか。
まさか、この家で痴情沙汰が起ころうとは思わなかった。女編集者の顔は今や泣きそうに歪んでいる。主人はマウントを取られる形で押し倒されて、何も出来ない。吾輩、焦る焦る。
考えたのは、この現場を龍之介くんに見せてはいけないという事だった。まさか吾輩が女編集者の顔を引っ掻いて追い出す訳にも行くまい。第一、現実的に不可能である。戦闘力が違いすぎる。吾輩も慌てていて、女編集者の揺れる胸など凝視していた。ああ動く、両の胸が動く。
焦りで頭の中が赤くなる。視界まで赤く見えて、早く二階に行って龍之介くんが下りてこないようにしなければと、吾輩は階段に向かった。そこに赤ん坊の彼が居たから驚いた。
「慌ててますね、吾輩さん。どうしたんですかー」
龍之介くんは階段から、既に一階へと下りてきていた。物音がしたので見に来たのか。
「ははは、何を言うのやら。まだ慌てる時間じゃないさ、あわわわわ」
「大変みたいですね。ここは僕に任せてください」
そう言うと龍之介くん、さっさと縁側の方に移動していく。吾輩、息を呑んで事態を見守る事しか出来なかった。女編集者の視界に彼の姿が入る。主人の子供が無垢な瞳で、彼女を見上げる。
「…………!」
息を呑んだのは彼女も同様であった。子供の姿というものが、女編集者の理性を呼び覚ましたようで、立ち上がって主人から離れる。真っ赤な顔で縁側を飛び出し、庭に置いていた靴を履いて彼女は立ち去って行った。
「ね。僕に任せて良かったでしょう、吾輩さん」
何が起きたか分かっているのか、いないのか。龍之介くんが無邪気に笑う。主人は死んだかのように、仰向けで引っくり返ったままだ。
「何というか……君は凄いね、龍之介くん」
吾輩としては、そう言う他なかった。
その夜、吾輩は夢を見た。女編集者が巨大化して、炎を吐いて森を大火事にしていた。これは吾輩の夢なのか、あるいは女編集者の夢の中に吾輩が入ったのか、その辺りは分からない。
どうあれ、この火は消した方が良いであろう。吾輩、消防士となって消火活動に勤しんだ。
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