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第四章『三四郎』
1 猫ちゃん、講義する(その1)
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夢の中で遭難した経験から、吾輩、少し慎重に動く事にした。今回、夢には龍之介くんも登場している。舞台は原っぱで、木の切り株のような椅子に座った十八歳の少年が彼であった。
「青空授業ですねー。学生服って、初めて着ましたよー」
中身はそのままの龍之介くんが、学ランを着た自身の姿を嬉しそうに見ている。吾輩は下に車輪が付いた、移動式の黒板の前に二本足で立っていた。サイズも人間と同様に設定している。
「はい、授業を始めます。教科書とかは無いから、そこで話を聞いててね」
「了解でーす」
生徒は龍之介くん一人である。明治時代の学校も、こんな小規模のものがあったとも聞く。漱石先生の少年時代は明治の初期で、つまりは江戸時代の延長みたいなものだ。寺子屋と変わらない小さな学校で学び始めて、そこから世界的な文学者になっていった漱石先生は、やはり凄い人なのだなぁと吾輩は思う。
「吾輩も漱石先生に付いて、色々と考えたいから、こういう授業形式をやりたいんだよ。人に教えるというのは、自分の考えを整理する事に繋がるからね」
あと、夢の中に他者を入れるというのは、この間のような遭難を防ぐのに役立つのである。人も猫も、独りで考え込んでいるとノイローゼになりやすい。頭の中で暗闇に閉じ込められて出られないとか、そんな精神の病気を防ぐには他者との会話が必要なのだ。
吾輩、黒板に『三四郎』と、チョークでタイトルを書いた。
「今日、扱うのは、この作品だね。吾輩、これは姿三四郎の話かと誤解してた時期があったなぁ」
「姿三四郎って誰ですか、吾輩さん」
龍之介くんが元気に手を挙げて質問してくる。
「フィクションの主人公でね。柔術の達人で、つまりは強い人さ。設定では明治時代の人だから、漱石先生と同世代だね」
吾輩も男子なので、バトルの話は大好きである。猫は受け身が得意で、柔術の話になると熱く語りがちな所があるのだった。
「昔からバトル小説というのはあってね。柔術と空手の戦いというのは人気テーマの一つなんだよ。吾輩からすると空手というのは粗暴なイメージがあって、どうしても柔術の方に肩入れしてしまうね。柔よく剛を制すといって、柔らかいものが粗暴さを制するというというのは、文学的に見ても美しいテーマだと思うんだよ」
「雑談になってますよ、吾輩さん」
龍之介くんに指摘されてしまった。独りよがりは良くない。執筆においても他者からの指摘は有益なのであろう。主人にも教えてやりたいものである。
ちなみに姿三四郎のモデルは、嘉納治五郎という柔術家の弟子なのだが。この嘉納氏は、漱石先生が教師をやっていた学校の校長先生であった。漱石先生も柔術の影響を受けたかも知れない、と思うと面白いのだが、雑談が過ぎるので先へと進もう。
さて授業だが、どう話そうかと吾輩、考える。『三四郎』の舞台は日露戦争の数年後で、この時代設定は物語とも関わってくるのだ。だが子供相手に、深刻な話をするのも良くない気はする。なのでコミカルな面を強調してみようと吾輩、決断した。
「お話はね。ボンヤリした二十三歳の三四郎くんが、東京に来て失恋するまでが書かれてるんだ」と、そこまで言った所で「はい!」と龍之介くん、元気に手を挙げた。
「失恋って何ですか、吾輩さん」
「うーん、そこからかー」
思わぬ事態であった。子供の質問というのは恐ろしい。例えば「愛って何ですか」と聞かれたら、どう説明したら良いか分かる大人は居るのだろうか。
「失恋を説明するには恋を語る必要があるし、恋と愛の違いを語る必要があるかも知れないし。人に寄っては同性との恋や愛もあるのだと説明する必要もあるのかね。まあ、とにかく」
吾輩、まずは恋に関するストーリーを話す事にした。
「三四郎くんがね、女の人を好きになって、『結婚したいなー』と思うんだよ。女の人の名前は美禰子っていうんだ。で、その美禰子は他の男性と結婚しちゃう。これが失恋という状態だね」
「僕のお父さんと、お母さんのようには、なれなかったって事ですね」
「そうそう。龍之介くんという、素晴らしい子供の親になれたんだから、君の両親は勝者だよ」
失恋した者を敗者扱いするのも、どうかとは思うが説明としては分かりやすかろう。
「青空授業ですねー。学生服って、初めて着ましたよー」
中身はそのままの龍之介くんが、学ランを着た自身の姿を嬉しそうに見ている。吾輩は下に車輪が付いた、移動式の黒板の前に二本足で立っていた。サイズも人間と同様に設定している。
「はい、授業を始めます。教科書とかは無いから、そこで話を聞いててね」
「了解でーす」
生徒は龍之介くん一人である。明治時代の学校も、こんな小規模のものがあったとも聞く。漱石先生の少年時代は明治の初期で、つまりは江戸時代の延長みたいなものだ。寺子屋と変わらない小さな学校で学び始めて、そこから世界的な文学者になっていった漱石先生は、やはり凄い人なのだなぁと吾輩は思う。
「吾輩も漱石先生に付いて、色々と考えたいから、こういう授業形式をやりたいんだよ。人に教えるというのは、自分の考えを整理する事に繋がるからね」
あと、夢の中に他者を入れるというのは、この間のような遭難を防ぐのに役立つのである。人も猫も、独りで考え込んでいるとノイローゼになりやすい。頭の中で暗闇に閉じ込められて出られないとか、そんな精神の病気を防ぐには他者との会話が必要なのだ。
吾輩、黒板に『三四郎』と、チョークでタイトルを書いた。
「今日、扱うのは、この作品だね。吾輩、これは姿三四郎の話かと誤解してた時期があったなぁ」
「姿三四郎って誰ですか、吾輩さん」
龍之介くんが元気に手を挙げて質問してくる。
「フィクションの主人公でね。柔術の達人で、つまりは強い人さ。設定では明治時代の人だから、漱石先生と同世代だね」
吾輩も男子なので、バトルの話は大好きである。猫は受け身が得意で、柔術の話になると熱く語りがちな所があるのだった。
「昔からバトル小説というのはあってね。柔術と空手の戦いというのは人気テーマの一つなんだよ。吾輩からすると空手というのは粗暴なイメージがあって、どうしても柔術の方に肩入れしてしまうね。柔よく剛を制すといって、柔らかいものが粗暴さを制するというというのは、文学的に見ても美しいテーマだと思うんだよ」
「雑談になってますよ、吾輩さん」
龍之介くんに指摘されてしまった。独りよがりは良くない。執筆においても他者からの指摘は有益なのであろう。主人にも教えてやりたいものである。
ちなみに姿三四郎のモデルは、嘉納治五郎という柔術家の弟子なのだが。この嘉納氏は、漱石先生が教師をやっていた学校の校長先生であった。漱石先生も柔術の影響を受けたかも知れない、と思うと面白いのだが、雑談が過ぎるので先へと進もう。
さて授業だが、どう話そうかと吾輩、考える。『三四郎』の舞台は日露戦争の数年後で、この時代設定は物語とも関わってくるのだ。だが子供相手に、深刻な話をするのも良くない気はする。なのでコミカルな面を強調してみようと吾輩、決断した。
「お話はね。ボンヤリした二十三歳の三四郎くんが、東京に来て失恋するまでが書かれてるんだ」と、そこまで言った所で「はい!」と龍之介くん、元気に手を挙げた。
「失恋って何ですか、吾輩さん」
「うーん、そこからかー」
思わぬ事態であった。子供の質問というのは恐ろしい。例えば「愛って何ですか」と聞かれたら、どう説明したら良いか分かる大人は居るのだろうか。
「失恋を説明するには恋を語る必要があるし、恋と愛の違いを語る必要があるかも知れないし。人に寄っては同性との恋や愛もあるのだと説明する必要もあるのかね。まあ、とにかく」
吾輩、まずは恋に関するストーリーを話す事にした。
「三四郎くんがね、女の人を好きになって、『結婚したいなー』と思うんだよ。女の人の名前は美禰子っていうんだ。で、その美禰子は他の男性と結婚しちゃう。これが失恋という状態だね」
「僕のお父さんと、お母さんのようには、なれなかったって事ですね」
「そうそう。龍之介くんという、素晴らしい子供の親になれたんだから、君の両親は勝者だよ」
失恋した者を敗者扱いするのも、どうかとは思うが説明としては分かりやすかろう。
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