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第三章『坑夫』
4 猫ちゃん、ヤマもオチもない話を聞かされる
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彼の寝顔を見ながら、吾輩は漱石先生の子供時代に思いを馳せる。先生も子供時代は、悪夢にうなされる事もあっただろう。夢を扱った短編集も書いていた気がする。あれは何という題名であったか……忘れてしまったが、また思い出す事もあるだろう。
暗い所に閉じ込められるというのは、悪夢のパターンの一つだと思う。『坑夫』を書きながら、漱石先生は子供の頃に見た悪夢を思い返したかも知れない。暗闇は死を連想させるのだ。
作家としては、その暗闇の中に入っていく主人公の姿を書いてみたいと、そう思うのかも知れない。それが『坑夫』であり、漱石先生の遺作となった『明暗』であると吾輩は思う……
あまり先走っても仕方ない。今は餌を食べて腹を満たそう。
吾輩、龍之介くんを起こさないように、そっと部屋を出ていく。この家は、あらゆるドアが開きっぱなしで、龍之介くんにも吾輩にも移動しやすい環境である。
階段を下りて餌箱に到着する。食べて落ち着いて、どうやら時分は夕方だと今さら分かる。
居間というのか茶の間というのか、主人が「ちゃぶ台」を置いて飯を食べる場所の方から、「ぐおぉー」という音が聞こえる。まさか銅山でダイナマイトが使われてる音では無いだろうから、イビキだと吾輩は推察する。とにかく、それほど喧しい音ではあった。
イビキは二人分で、吾輩も物好きだから見に行ってみる。誰が来てるか見当は付くのだが。
ちゃぶ台の傍で寝転がっているのは主人と、予想通り『山師』であった。主人の友人である。
吾輩が銅山のような夢の中から脱出できたと思ったら、そこに山師が居たというのは、何かしら関係はあるのだろうか無いのだろうか。ちゃぶ台の上には酒が置かれている。
先に起きたのは山師であった。「あー、よく寝た」と動き出して、何故か苦しそうな主人の方に近づき、顔をぺちぺちと叩いている。
「うなされてないか。おい、起きろよ」
主人は目を覚まして、半身を起こして頭を振った。
「……銅山に閉じ込められて、脱出して、猫になって餌を食う夢を見た」
「そうか。売れない小説を書いてると、そんな事もあるさ」
「最近は多いんだ。俺の夢なのか、猫の夢なのか分からん事が。夢が繋がった気分さ」
「『吾輩は猫である』じゃないか。あれは作家と猫の視点が混ざっていく話だったな」
主人はボンヤリしていて、山師は面白そうに笑っている。吾輩は縁側の方に移動して、庭に出て少し歩き回った。適度に体を動かさないと、主人のようなナマケモノ科の生物になってしまう。その散歩から戻ってみると、何やら「掘る」とか「掘られる」とかの会話が聞こえる。
また坑夫の話であろうか。吾輩、再び彼らの話を盗み聞きに行ってみた。
「……でな。俺も手広く、ビジネスを展開させてる訳さ。BLゲームも、その一つで」
また山師が、怪しげなビジネスの話をしている。BLとは何だろうか。お白さんが、確か同人誌がどうとか言っていた気はする。
「要はエロか。女向けの」
「はっきり言うなよ。まあ、その通りなんだが。エロって言っても直接的なものばかりじゃないんだぜ、幾つかタイトルがあって。『俺の下でA・E・GE』ってのも俺が関わってる」
お白さんが話していたタイトルだった。え、あれは山師が関与してたの?
「内容は興味が無いが、聞いておこうか。儲かってるの?」
「そこそこな。ただ、ゲームタイトルの件で他社と揉めてるんだよ。ああいうのは似てくるんだ、『俺の下で』と『俺の舌で』というように」
「弁当屋が店の名前で揉めてるようなもんか。『ホカホカ』と『ポカポカ』とかで」
「そんな感じだ。事前にタイトル被りが無いか、調査はしてたんだが。タイトル後半をローマ字表記にしてみたんだが、それで争いが回避できるかどうか」
「いかがわしい商売ばかりをやってるからだろ。また逮捕されるぞ、お前」
「俺はシロだよ、過去に逮捕されたのは裁判制度の方が悪い」
シロと言われると、お白さんのようであるので止めてほしい。
「タイトルの『あえげ』を『アガペー』にしようかと思ったら、他の奴も同じ事をやってるんだよな。なら『おあげ』にしようかとしたんだが、それも意味が分からねぇし」
「おあげはカップ麺の上に乗ってる奴だろうよ」
「とんでもない沼に、はまり込んだ気分さ。まさかタイトルで苦労するとは」
「馬鹿じゃねぇの、お前。そもそも何でBLに手を出したんだ」
「そりゃ娘が喜ぶからよ。離婚してからは相手にされないんだが、俺が商品のグッズを持って行ってやると嬉しがってくれるんだ」
そう言えば山師には娘が三人いると、お白さんが話していたのを吾輩、思い出した。
「お前も人並みに、娘が恋しいのか。金にしか興味が無いのかと思ってたが」
「分かってないな。金ってのは使わないと意味が無いんだよ。娘に使うのは楽しいさ」
「池の鯉に餌をやるような気分かい」
「鯉でも実の娘でも同じだよ。生き物に小遣いや餌を与えるのは娯楽さ。お前だって猫を飼ってるじゃないか」
「あれは妻が拾っただけだ。死なせるのも妻に悪いから餌は与えてる」
「少なくとも鯉に餌をやるよりは楽しいぜ。小遣いを与えれば『パパー、パパー』と、文字通り現金に喜んでくれる。これが、いわゆるパパ活だな」
「そんな意味だったか、パパ活って?」
「実の娘に小遣いを与えて、パパと呼ばせる遊びさ。合法だから何の問題も無い」
「ろくでもないよ、お前」
意味は分からないながら、汚れた大人の会話を聞かされた気分である。吾輩、癒しを求めて、その場を離れて龍之介くんの寝顔を見に二階へと移動した。
暗い所に閉じ込められるというのは、悪夢のパターンの一つだと思う。『坑夫』を書きながら、漱石先生は子供の頃に見た悪夢を思い返したかも知れない。暗闇は死を連想させるのだ。
作家としては、その暗闇の中に入っていく主人公の姿を書いてみたいと、そう思うのかも知れない。それが『坑夫』であり、漱石先生の遺作となった『明暗』であると吾輩は思う……
あまり先走っても仕方ない。今は餌を食べて腹を満たそう。
吾輩、龍之介くんを起こさないように、そっと部屋を出ていく。この家は、あらゆるドアが開きっぱなしで、龍之介くんにも吾輩にも移動しやすい環境である。
階段を下りて餌箱に到着する。食べて落ち着いて、どうやら時分は夕方だと今さら分かる。
居間というのか茶の間というのか、主人が「ちゃぶ台」を置いて飯を食べる場所の方から、「ぐおぉー」という音が聞こえる。まさか銅山でダイナマイトが使われてる音では無いだろうから、イビキだと吾輩は推察する。とにかく、それほど喧しい音ではあった。
イビキは二人分で、吾輩も物好きだから見に行ってみる。誰が来てるか見当は付くのだが。
ちゃぶ台の傍で寝転がっているのは主人と、予想通り『山師』であった。主人の友人である。
吾輩が銅山のような夢の中から脱出できたと思ったら、そこに山師が居たというのは、何かしら関係はあるのだろうか無いのだろうか。ちゃぶ台の上には酒が置かれている。
先に起きたのは山師であった。「あー、よく寝た」と動き出して、何故か苦しそうな主人の方に近づき、顔をぺちぺちと叩いている。
「うなされてないか。おい、起きろよ」
主人は目を覚まして、半身を起こして頭を振った。
「……銅山に閉じ込められて、脱出して、猫になって餌を食う夢を見た」
「そうか。売れない小説を書いてると、そんな事もあるさ」
「最近は多いんだ。俺の夢なのか、猫の夢なのか分からん事が。夢が繋がった気分さ」
「『吾輩は猫である』じゃないか。あれは作家と猫の視点が混ざっていく話だったな」
主人はボンヤリしていて、山師は面白そうに笑っている。吾輩は縁側の方に移動して、庭に出て少し歩き回った。適度に体を動かさないと、主人のようなナマケモノ科の生物になってしまう。その散歩から戻ってみると、何やら「掘る」とか「掘られる」とかの会話が聞こえる。
また坑夫の話であろうか。吾輩、再び彼らの話を盗み聞きに行ってみた。
「……でな。俺も手広く、ビジネスを展開させてる訳さ。BLゲームも、その一つで」
また山師が、怪しげなビジネスの話をしている。BLとは何だろうか。お白さんが、確か同人誌がどうとか言っていた気はする。
「要はエロか。女向けの」
「はっきり言うなよ。まあ、その通りなんだが。エロって言っても直接的なものばかりじゃないんだぜ、幾つかタイトルがあって。『俺の下でA・E・GE』ってのも俺が関わってる」
お白さんが話していたタイトルだった。え、あれは山師が関与してたの?
「内容は興味が無いが、聞いておこうか。儲かってるの?」
「そこそこな。ただ、ゲームタイトルの件で他社と揉めてるんだよ。ああいうのは似てくるんだ、『俺の下で』と『俺の舌で』というように」
「弁当屋が店の名前で揉めてるようなもんか。『ホカホカ』と『ポカポカ』とかで」
「そんな感じだ。事前にタイトル被りが無いか、調査はしてたんだが。タイトル後半をローマ字表記にしてみたんだが、それで争いが回避できるかどうか」
「いかがわしい商売ばかりをやってるからだろ。また逮捕されるぞ、お前」
「俺はシロだよ、過去に逮捕されたのは裁判制度の方が悪い」
シロと言われると、お白さんのようであるので止めてほしい。
「タイトルの『あえげ』を『アガペー』にしようかと思ったら、他の奴も同じ事をやってるんだよな。なら『おあげ』にしようかとしたんだが、それも意味が分からねぇし」
「おあげはカップ麺の上に乗ってる奴だろうよ」
「とんでもない沼に、はまり込んだ気分さ。まさかタイトルで苦労するとは」
「馬鹿じゃねぇの、お前。そもそも何でBLに手を出したんだ」
「そりゃ娘が喜ぶからよ。離婚してからは相手にされないんだが、俺が商品のグッズを持って行ってやると嬉しがってくれるんだ」
そう言えば山師には娘が三人いると、お白さんが話していたのを吾輩、思い出した。
「お前も人並みに、娘が恋しいのか。金にしか興味が無いのかと思ってたが」
「分かってないな。金ってのは使わないと意味が無いんだよ。娘に使うのは楽しいさ」
「池の鯉に餌をやるような気分かい」
「鯉でも実の娘でも同じだよ。生き物に小遣いや餌を与えるのは娯楽さ。お前だって猫を飼ってるじゃないか」
「あれは妻が拾っただけだ。死なせるのも妻に悪いから餌は与えてる」
「少なくとも鯉に餌をやるよりは楽しいぜ。小遣いを与えれば『パパー、パパー』と、文字通り現金に喜んでくれる。これが、いわゆるパパ活だな」
「そんな意味だったか、パパ活って?」
「実の娘に小遣いを与えて、パパと呼ばせる遊びさ。合法だから何の問題も無い」
「ろくでもないよ、お前」
意味は分からないながら、汚れた大人の会話を聞かされた気分である。吾輩、癒しを求めて、その場を離れて龍之介くんの寝顔を見に二階へと移動した。
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