21 / 64
第三章『坑夫』
4 猫ちゃん、ヤマもオチもない話を聞かされる
しおりを挟む
彼の寝顔を見ながら、吾輩は漱石先生の子供時代に思いを馳せる。先生も子供時代は、悪夢にうなされる事もあっただろう。夢を扱った短編集も書いていた気がする。あれは何という題名であったか……忘れてしまったが、また思い出す事もあるだろう。
暗い所に閉じ込められるというのは、悪夢のパターンの一つだと思う。『坑夫』を書きながら、漱石先生は子供の頃に見た悪夢を思い返したかも知れない。暗闇は死を連想させるのだ。
作家としては、その暗闇の中に入っていく主人公の姿を書いてみたいと、そう思うのかも知れない。それが『坑夫』であり、漱石先生の遺作となった『明暗』であると吾輩は思う……
あまり先走っても仕方ない。今は餌を食べて腹を満たそう。
吾輩、龍之介くんを起こさないように、そっと部屋を出ていく。この家は、あらゆるドアが開きっぱなしで、龍之介くんにも吾輩にも移動しやすい環境である。
階段を下りて餌箱に到着する。食べて落ち着いて、どうやら時分は夕方だと今さら分かる。
居間というのか茶の間というのか、主人が「ちゃぶ台」を置いて飯を食べる場所の方から、「ぐおぉー」という音が聞こえる。まさか銅山でダイナマイトが使われてる音では無いだろうから、イビキだと吾輩は推察する。とにかく、それほど喧しい音ではあった。
イビキは二人分で、吾輩も物好きだから見に行ってみる。誰が来てるか見当は付くのだが。
ちゃぶ台の傍で寝転がっているのは主人と、予想通り『山師』であった。主人の友人である。
吾輩が銅山のような夢の中から脱出できたと思ったら、そこに山師が居たというのは、何かしら関係はあるのだろうか無いのだろうか。ちゃぶ台の上には酒が置かれている。
先に起きたのは山師であった。「あー、よく寝た」と動き出して、何故か苦しそうな主人の方に近づき、顔をぺちぺちと叩いている。
「うなされてないか。おい、起きろよ」
主人は目を覚まして、半身を起こして頭を振った。
「……銅山に閉じ込められて、脱出して、猫になって餌を食う夢を見た」
「そうか。売れない小説を書いてると、そんな事もあるさ」
「最近は多いんだ。俺の夢なのか、猫の夢なのか分からん事が。夢が繋がった気分さ」
「『吾輩は猫である』じゃないか。あれは作家と猫の視点が混ざっていく話だったな」
主人はボンヤリしていて、山師は面白そうに笑っている。吾輩は縁側の方に移動して、庭に出て少し歩き回った。適度に体を動かさないと、主人のようなナマケモノ科の生物になってしまう。その散歩から戻ってみると、何やら「掘る」とか「掘られる」とかの会話が聞こえる。
また坑夫の話であろうか。吾輩、再び彼らの話を盗み聞きに行ってみた。
「……でな。俺も手広く、ビジネスを展開させてる訳さ。BLゲームも、その一つで」
また山師が、怪しげなビジネスの話をしている。BLとは何だろうか。お白さんが、確か同人誌がどうとか言っていた気はする。
「要はエロか。女向けの」
「はっきり言うなよ。まあ、その通りなんだが。エロって言っても直接的なものばかりじゃないんだぜ、幾つかタイトルがあって。『俺の下でA・E・GE』ってのも俺が関わってる」
お白さんが話していたタイトルだった。え、あれは山師が関与してたの?
「内容は興味が無いが、聞いておこうか。儲かってるの?」
「そこそこな。ただ、ゲームタイトルの件で他社と揉めてるんだよ。ああいうのは似てくるんだ、『俺の下で』と『俺の舌で』というように」
「弁当屋が店の名前で揉めてるようなもんか。『ホカホカ』と『ポカポカ』とかで」
「そんな感じだ。事前にタイトル被りが無いか、調査はしてたんだが。タイトル後半をローマ字表記にしてみたんだが、それで争いが回避できるかどうか」
「いかがわしい商売ばかりをやってるからだろ。また逮捕されるぞ、お前」
「俺はシロだよ、過去に逮捕されたのは裁判制度の方が悪い」
シロと言われると、お白さんのようであるので止めてほしい。
「タイトルの『あえげ』を『アガペー』にしようかと思ったら、他の奴も同じ事をやってるんだよな。なら『おあげ』にしようかとしたんだが、それも意味が分からねぇし」
「おあげはカップ麺の上に乗ってる奴だろうよ」
「とんでもない沼に、はまり込んだ気分さ。まさかタイトルで苦労するとは」
「馬鹿じゃねぇの、お前。そもそも何でBLに手を出したんだ」
「そりゃ娘が喜ぶからよ。離婚してからは相手にされないんだが、俺が商品のグッズを持って行ってやると嬉しがってくれるんだ」
そう言えば山師には娘が三人いると、お白さんが話していたのを吾輩、思い出した。
「お前も人並みに、娘が恋しいのか。金にしか興味が無いのかと思ってたが」
「分かってないな。金ってのは使わないと意味が無いんだよ。娘に使うのは楽しいさ」
「池の鯉に餌をやるような気分かい」
「鯉でも実の娘でも同じだよ。生き物に小遣いや餌を与えるのは娯楽さ。お前だって猫を飼ってるじゃないか」
「あれは妻が拾っただけだ。死なせるのも妻に悪いから餌は与えてる」
「少なくとも鯉に餌をやるよりは楽しいぜ。小遣いを与えれば『パパー、パパー』と、文字通り現金に喜んでくれる。これが、いわゆるパパ活だな」
「そんな意味だったか、パパ活って?」
「実の娘に小遣いを与えて、パパと呼ばせる遊びさ。合法だから何の問題も無い」
「ろくでもないよ、お前」
意味は分からないながら、汚れた大人の会話を聞かされた気分である。吾輩、癒しを求めて、その場を離れて龍之介くんの寝顔を見に二階へと移動した。
暗い所に閉じ込められるというのは、悪夢のパターンの一つだと思う。『坑夫』を書きながら、漱石先生は子供の頃に見た悪夢を思い返したかも知れない。暗闇は死を連想させるのだ。
作家としては、その暗闇の中に入っていく主人公の姿を書いてみたいと、そう思うのかも知れない。それが『坑夫』であり、漱石先生の遺作となった『明暗』であると吾輩は思う……
あまり先走っても仕方ない。今は餌を食べて腹を満たそう。
吾輩、龍之介くんを起こさないように、そっと部屋を出ていく。この家は、あらゆるドアが開きっぱなしで、龍之介くんにも吾輩にも移動しやすい環境である。
階段を下りて餌箱に到着する。食べて落ち着いて、どうやら時分は夕方だと今さら分かる。
居間というのか茶の間というのか、主人が「ちゃぶ台」を置いて飯を食べる場所の方から、「ぐおぉー」という音が聞こえる。まさか銅山でダイナマイトが使われてる音では無いだろうから、イビキだと吾輩は推察する。とにかく、それほど喧しい音ではあった。
イビキは二人分で、吾輩も物好きだから見に行ってみる。誰が来てるか見当は付くのだが。
ちゃぶ台の傍で寝転がっているのは主人と、予想通り『山師』であった。主人の友人である。
吾輩が銅山のような夢の中から脱出できたと思ったら、そこに山師が居たというのは、何かしら関係はあるのだろうか無いのだろうか。ちゃぶ台の上には酒が置かれている。
先に起きたのは山師であった。「あー、よく寝た」と動き出して、何故か苦しそうな主人の方に近づき、顔をぺちぺちと叩いている。
「うなされてないか。おい、起きろよ」
主人は目を覚まして、半身を起こして頭を振った。
「……銅山に閉じ込められて、脱出して、猫になって餌を食う夢を見た」
「そうか。売れない小説を書いてると、そんな事もあるさ」
「最近は多いんだ。俺の夢なのか、猫の夢なのか分からん事が。夢が繋がった気分さ」
「『吾輩は猫である』じゃないか。あれは作家と猫の視点が混ざっていく話だったな」
主人はボンヤリしていて、山師は面白そうに笑っている。吾輩は縁側の方に移動して、庭に出て少し歩き回った。適度に体を動かさないと、主人のようなナマケモノ科の生物になってしまう。その散歩から戻ってみると、何やら「掘る」とか「掘られる」とかの会話が聞こえる。
また坑夫の話であろうか。吾輩、再び彼らの話を盗み聞きに行ってみた。
「……でな。俺も手広く、ビジネスを展開させてる訳さ。BLゲームも、その一つで」
また山師が、怪しげなビジネスの話をしている。BLとは何だろうか。お白さんが、確か同人誌がどうとか言っていた気はする。
「要はエロか。女向けの」
「はっきり言うなよ。まあ、その通りなんだが。エロって言っても直接的なものばかりじゃないんだぜ、幾つかタイトルがあって。『俺の下でA・E・GE』ってのも俺が関わってる」
お白さんが話していたタイトルだった。え、あれは山師が関与してたの?
「内容は興味が無いが、聞いておこうか。儲かってるの?」
「そこそこな。ただ、ゲームタイトルの件で他社と揉めてるんだよ。ああいうのは似てくるんだ、『俺の下で』と『俺の舌で』というように」
「弁当屋が店の名前で揉めてるようなもんか。『ホカホカ』と『ポカポカ』とかで」
「そんな感じだ。事前にタイトル被りが無いか、調査はしてたんだが。タイトル後半をローマ字表記にしてみたんだが、それで争いが回避できるかどうか」
「いかがわしい商売ばかりをやってるからだろ。また逮捕されるぞ、お前」
「俺はシロだよ、過去に逮捕されたのは裁判制度の方が悪い」
シロと言われると、お白さんのようであるので止めてほしい。
「タイトルの『あえげ』を『アガペー』にしようかと思ったら、他の奴も同じ事をやってるんだよな。なら『おあげ』にしようかとしたんだが、それも意味が分からねぇし」
「おあげはカップ麺の上に乗ってる奴だろうよ」
「とんでもない沼に、はまり込んだ気分さ。まさかタイトルで苦労するとは」
「馬鹿じゃねぇの、お前。そもそも何でBLに手を出したんだ」
「そりゃ娘が喜ぶからよ。離婚してからは相手にされないんだが、俺が商品のグッズを持って行ってやると嬉しがってくれるんだ」
そう言えば山師には娘が三人いると、お白さんが話していたのを吾輩、思い出した。
「お前も人並みに、娘が恋しいのか。金にしか興味が無いのかと思ってたが」
「分かってないな。金ってのは使わないと意味が無いんだよ。娘に使うのは楽しいさ」
「池の鯉に餌をやるような気分かい」
「鯉でも実の娘でも同じだよ。生き物に小遣いや餌を与えるのは娯楽さ。お前だって猫を飼ってるじゃないか」
「あれは妻が拾っただけだ。死なせるのも妻に悪いから餌は与えてる」
「少なくとも鯉に餌をやるよりは楽しいぜ。小遣いを与えれば『パパー、パパー』と、文字通り現金に喜んでくれる。これが、いわゆるパパ活だな」
「そんな意味だったか、パパ活って?」
「実の娘に小遣いを与えて、パパと呼ばせる遊びさ。合法だから何の問題も無い」
「ろくでもないよ、お前」
意味は分からないながら、汚れた大人の会話を聞かされた気分である。吾輩、癒しを求めて、その場を離れて龍之介くんの寝顔を見に二階へと移動した。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
あやかしお悩み相談所 〜付喪神少女は、宿主のおっさんとまったりしたい〜
藍墨兄貴
キャラ文芸
東京郊外の住宅街。
“文河岸お悩み相談所”の看板には、人間社会に馴染みたいあやかし達が集まってくる。
所長の文河岸玲(あやかしれい)はアラサーのおっさん。
助手の小梅(こうめ)は“種子鋏”のつくも神。
うっかり所長に仕立て上げられた玲は、あやかし達の悩みを、時には一緒に、時にはツッコミながら解決していく。
妖怪変化に付喪神、霊に鬼神に神隠し。
忘れちゃいけない都市伝説。
あやかしたちは、うまく人間社会に馴染めるのか。
さらに、ただの人間であるはずの怜は、なぜ相談所の所長ができるのか。
これは、現代社会に生きるあやかし達と、一人の人間の物語。
~千年屋あやかし見聞録~和菓子屋店主はお休み中
椿蛍
キャラ文芸
大正時代―――和菓子屋『千年屋(ちとせや)』
千年続くようにと祖父が願いをこめ、開業した和菓子屋だ。
孫の俺は千年屋を継いで只今営業中(仮)
和菓子の腕は悪くない、美味しいと評判の店。
だが、『千年屋安海(ちとせや やすみ)』の名前が悪かったのか、気まぐれにしか働かない無気力店主。
あー……これは名前が悪かったな。
「いや、働けよ」
「そーだよー。潰れちゃうよー!」
そうやって俺を非難するのは幼馴染の有浄(ありきよ)と兎々子(ととこ)。
神社の神主で自称陰陽師、ちょっと鈍臭い洋食屋の娘の幼馴染み二人。
常連客より足しげく通ってくる。
だが、この二人がクセモノで。
こいつらが連れてくる客といえば―――人間ではなかった。
コメディ 時々 和風ファンタジー
※表紙絵はいただきものです。

古道具屋・伯天堂、千花の細腕繁盛記
月芝
キャラ文芸
明治は文明開化の頃より代を重ねている、由緒正しき古道具屋『伯天堂』
でも店を切り盛りしているのは、女子高生!?
九坂家の末っ子・千花であった。
なにせ家族がちっとも頼りにならない!
祖父、父、母、姉、兄、みんながみんな放浪癖の持ち主にて。
あっちをフラフラ、こっちをフラフラ、風の向くまま気の向くまま。
ようやく帰ってきたとおもったら、じきにまたいなくなっている。
そんな家族を見て育った千花は「こいつらダメだ。私がしっかりしなくちゃ」と
店と家を守る決意をした。
けれどもこの店が……、というか扱っている商材の中に、ときおり珍妙な品が混じっているのが困り物。
類が友を呼ぶのか、はたまた千花の運が悪いのか。
ちょいちょちトラブルに見舞われる伯天堂。
そのたびに奔走する千花だが、じつは彼女と九坂の家にも秘密があって……
祖先の因果が子孫に祟る? あるいは天恵か?
千花の細腕繁盛記。
いらっしゃいませ、珍品奇品、逸品から掘り出し物まで選り取りみどり。
伯天堂へようこそ。

異世界でぼっち生活をしてたら幼女×2を拾ったので養うことにした
せんせい
ファンタジー
自身のクラスが勇者召喚として呼ばれたのに乗り遅れてお亡くなりになってしまった主人公。
その瞬間を偶然にも神が見ていたことでほぼ不老不死に近い能力を貰い異世界へ!
約2万年の時を、ぼっちで過ごしていたある日、いつも通り森を闊歩していると2人の子供(幼女)に遭遇し、そこから主人公の物語が始まって行く……。
―――
月宮殿の王弟殿下は怪奇話がお好き
星来香文子
キャラ文芸
【あらすじ】
煌神国(こうじんこく)の貧しい少年・慧臣(えじん)は借金返済のために女と間違えられて売られてしまう。
宦官にされそうになっていたところを、女と見間違うほど美しい少年がいると噂を聞きつけた超絶美形の王弟・令月(れいげつ)に拾われ、慧臣は男として大事な部分を失わずに済む。
令月の従者として働くことになったものの、令月は怪奇話や呪具、謎の物体を集める変人だった。
見えない王弟殿下と見えちゃう従者の中華風×和風×ファンタジー×ライトホラー
※カクヨム等にも掲載しています
毒小町、宮中にめぐり逢ふ
鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。
生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。
しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる