帰ってきた猫ちゃん

転生新語

文字の大きさ
上 下
20 / 64
第三章『坑夫』

3 猫ちゃん、夢から覚めて龍之介くんの寝顔を見つめる

しおりを挟む
「主人公は終盤、真っ暗な坑道の中で一人、取り残されてね。出口が分からなくて困ってると、やすさんという大人の男が来て、助けてくれるんだ」

 龍之介くんには話さないが、このやすさんは過去に罪を犯して、世間から逃れて銅山に住み込んでいる。地上に戻れない彼は主人公に、「俺のようには、なるな」と説得する。

 真心まごころが主人公に伝わる。自殺も考えていた主人公は、「帰れ」という安さんの言葉に従う事となる。主人公が「奇蹟きせき」と表現した出会いであり、別れであった。



「主人公は気管支炎になって、坑夫としては働けなくなって。事務の仕事に回って給料も上がって、五か月働いてから東京へ戻りましたと。そういうラストだよ」

「安さんの言葉が、主人公に取って、吾輩さんの言う『光』になったんですかね」

「多分ね。世間から見捨てられたような立場の人が、主人公と出会って人生を救うんだ。人の一生を決めてしまうような出会いって、あると思うんだよ。漱石先生にも、あったかも知れないね。人生を良い方向に変えた『光』との出会いが」

『坑夫』の主人公は、確か十九歳であった。漱石先生は自身が十代、二十代であった頃の、様々な出会いを思い起こしながら執筆していたかも知れない。

 十代、二十代という若い頃に、人生を良い方向に変える出会いがあったならば、それは幸せな事である。吾輩は猫であるので、実体験としては何も言えない。

「龍之介くんも、今後の人生で良い出会いがあるといいね。それが早ければ、もっといい」

「もう出会ってますよー。吾輩さんというユニークな方に」

「はっはっは。吾輩に取っては、龍之介くんが『光』だよ」

 吾輩、自分の猫生じんせいを振り返ってみる。仔猫だった頃、死にかけて主人の家の庭に転がり込み、主人の妻から救われた時に『光』を感じた事を思い出す。あの『光』が無ければ、吾輩は絶望という暗闇の中で息えていただろう。絶望は人も猫も殺し、希望こそが人も猫も救うのだ。

「そろそろ出口が近そうだ。そっちからナビゲートしてくれるかい」

「了解です、吾輩さん」

 夢の中にはワープゾーンがあって、そこに正確に辿たどり着かないと脱出できないのが感覚で分かる。適当に掘り進んでも駄目なのだ。落語やマンガがオチという目的地を求めて進んでいくようなものであろう。ひとまずは、この夢展開にオチを付けたいと吾輩は思った。

「上に二、下に五。右に七、左に一、右に七と進んでください。そこが出口です」

「本当かね。それは宝箱の出現条件じゃなくて?」

 ともあれ吾輩、ドッカドッカと岩盤を掘り進んでいく。単位がメートルなのかも分からないが、夢の中で細かい事を気にしても意味はあるまい。上へ下へ、右へ左へと曲がりくねって吾輩は前へと進む。さながら小説家の執筆活動のようで、平坦な道など無い。

 吾輩は、猫のおしろさんから言われた事をふと思い出す。「吾輩さんには、神様から与えられた、書く才能がある。だったらかさなきゃ」。そう彼女は言ってくれた。

 正直、過大な評価だとは思うが、最近は「小説の神様」とやらも夢の中に出てくる始末だ。

 飼い主が小説家であるからか、その主人と無意識的にテレパシーで脳が繋がっているのか、最近は吾輩の夢も自分でコントロールするのが難しくなっている。もはや主人の夢の中に居るのか、これが吾輩の夢なのかも良く分からない。

 この奇妙な夢も、主人の小説執筆に役立っているのだろうか。ならば吾輩が主人に、インスピレーションを与えていると言えなくもない。お白さんが言う「書く才能」が生かされているのなら、それで吾輩は満足である。

「出口ですよ、吾輩さん」

 気が付くと岩盤の向こうから、光が漏れ出てきている。暗所で扉が開き、外界から光が洪水となって吾輩を包むような、そんな感覚が訪れる。光、光、光……

 吾輩は改めて、自分が暗い所に居たのだと痛感する。そして世の中には『光』があるのだと実感する。吾輩が出会った「小説の神様」が、希望という光で夢を照らした事を思い出しながら目が覚めた。



 現実世界に戻って、そこが二階の寝室であると確認する。吾輩をナビゲートしてくれた龍之介くんは布団で寝ている。「ご苦労さま」と礼を言うと、「あー」と彼は寝言で返した。

 吾輩、さっきの夢を思い起こす。客観的に見れば、なかなか恐ろしい体験だったかも知れない。龍之介くんが居なければ夢の中から出られずに死んでいたかもだ。銅山の中で、事故で命を落とす坑夫のように。

 それでも吾輩が落ち着いていられたのは、暗闇の外には光があると知っていたからであった。

 小説が書けない、伝染病の収束時期が見えない。そういった、暗闇にも似た鬱々うつうつとした状況は絶望を招く。そして絶望は容易たやすく、人も猫も殺すのだ。

 漱石先生は病気が多い人であった。人生の後半は体調不良に苦しんでいただろう。しかし絶望する事なく、決して長いとは言えない人生を見事に生き抜いた。そうありたいと吾輩も思う。

 猫の生涯は人より短いのである。……まあ小説の神様からは、「百二十歳まで生きる」などと言われたが。今は医学も発達しているから、人の寿命も延びるかも知れない。

 難所を乗り越えれば、そこには希望があるかもだ。生きてこそ喜びもある、そう信じよう。

 吾輩、龍之介くんの横に転がって、しばらく彼の寝顔を見つめる。うーん、愛らしい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

シャ・ベ クル

うてな
キャラ文芸
これは昭和後期を舞台にしたフィクション。  異端な五人が織り成す、依頼サークルの物語…  夢を追う若者達が集う学園『夢の島学園』。その学園に通う学園主席のロディオン。彼は人々の幸福の為に、悩みや依頼を承るサークル『シャ・ベ クル』を結成する。受ける依頼はボランティアから、大事件まで…!?  主席、神様、お坊ちゃん、シスター、893? 部員の成長を描いたコメディタッチの物語。 シャ・ベ クルは、あなたの幸せを応援します。  ※※※ この作品は、毎週月~金の17時に投稿されます。 2023年05月01日   一章『人間ドール開放編』  ~2023年06月27日            二章 … 未定

異世界でぼっち生活をしてたら幼女×2を拾ったので養うことにした

せんせい
ファンタジー
自身のクラスが勇者召喚として呼ばれたのに乗り遅れてお亡くなりになってしまった主人公。 その瞬間を偶然にも神が見ていたことでほぼ不老不死に近い能力を貰い異世界へ! 約2万年の時を、ぼっちで過ごしていたある日、いつも通り森を闊歩していると2人の子供(幼女)に遭遇し、そこから主人公の物語が始まって行く……。 ―――

月宮殿の王弟殿下は怪奇話がお好き

星来香文子
キャラ文芸
【あらすじ】 煌神国(こうじんこく)の貧しい少年・慧臣(えじん)は借金返済のために女と間違えられて売られてしまう。 宦官にされそうになっていたところを、女と見間違うほど美しい少年がいると噂を聞きつけた超絶美形の王弟・令月(れいげつ)に拾われ、慧臣は男として大事な部分を失わずに済む。 令月の従者として働くことになったものの、令月は怪奇話や呪具、謎の物体を集める変人だった。 見えない王弟殿下と見えちゃう従者の中華風×和風×ファンタジー×ライトホラー ※カクヨム等にも掲載しています

毒小町、宮中にめぐり逢ふ

鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。 生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。 しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました

かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中! そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……? 可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです! そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!? イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!! 毎日17時と19時に更新します。 全12話完結+番外編 「小説家になろう」でも掲載しています。

仔狐さくら、九尾を目指す

真弓りの
キャラ文芸
あたし、死んだの? 好奇心で山から降りて、車に跳ねられて生命を落とした仔狐が、助けようとしてくれた優しい人を守ろうと頑張ったり、空回りで怖がらせてしまったり……。 大切な人を守るため、あたし、強くなりたい。 え? しっぽが増えると強くなれるの? それなら、あたし、凄く頑張る……! ★他サイト(小説家になろう、エブリスタ)にも掲載しております。

処理中です...