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第一章『吾輩は猫である』
7 猫ちゃん、過去を回想する
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吾輩は野良であった。親も同様で、生まれたての吾輩を含めた、複数の子を抱えていた。
安住の地を求めて、吾輩たちは歩き回り。ある日、最も虚弱だった末っ子の吾輩が、腹を空かせて動けなくなった。吾輩たち一行には余裕が無く、親は吾輩を置き去りにしていった。
その事を吾輩、恨んではいない。動けない者を捨てて、動ける者を救うべく立ち振る舞うのが非常時のリーダーなのであろう。吾輩は兄や姉たちが、幸せになっている事を祈るばかりだ。
水たまりで喉を潤し、動かない体を動かして吾輩は当てもなく進んだ。何処かの家の庭に入り込めたとも、自分では分からないほどに消耗していた。目は開かず、闇だけが見えていた。
生の意味も分からず、死が間近まで迫っていた。吾輩は最後の力を振り絞って、天に向かって啼いた。言葉にすれば、それは「生きたい」であり、「光あれ!」だったかもしれない。
次の瞬間、頭上から、暖かな光が降り注いだ。そうとしか捉えられない何かが吾輩の身に起こっている事だけが分かった。人間の女性が両の掌で、吾輩の小さな体を持ち上げていたと理解できたのは後の話だ。愛が吾輩に注がれていた。
「生きているわね。大丈夫よ、助けてあげる」
あの瞬間から、吾輩は人の言葉を理解した。言葉どおり、彼女は吾輩に住まいや餌を提供し、子猫だった吾輩の体は大きくなっていった。
彼女は小説家の妻であり、吾輩の今の主人である夫は当時、原稿用紙で文章を書いていた。床に置いてあった、書きかけの原稿の文章も、吾輩はすぐに読めるようになった。漢字は少し難しかったが、前後の文脈から理解できた。
主人は後にノートパソコンを購入し、それで文章を書くようになった。小説家の家で飼われた吾輩は、機械の操作方法も見て、同じように文章が書けるようになっていった……
「思い当たるのは、それくらいですかね」
吾輩、お白さんに、出来事を語り終えた。『吾輩は……』の猫も、ワープロソフトさえあれば、吾輩と同様に文章を書いていたと思う。吾輩は文明の利器に恵まれたに過ぎない。
「いい話じゃなーい。感動的じゃなーい」
大したエピソードでもないと思っていた吾輩と違って、お白さんは何と、涙ぐんでいた。
「泣かないでください、お白さん。ああ、ハンカチを持ってない猫の身で済みません」
お白さんは、落ち着いてから、吾輩に話し始めた。
「そりゃ私はね、ニュースも見てるし、世の中で起きてる問題も知ってるわよ。海外で言えば、ブラック・ライブズ・マター問題、ロヒンギャ問題。日本も含めて言えばLGBT問題。どれも重要だとは思うわ」
「は、はぁ」
「でも、吾輩さんの、さっきの話はね。もっと身近な日常の話でしょう? 小説家なら、そういう話を、自分の言葉で書くべきなのよ。私は、そう思うわ」
「主人の生活の話とかですか。パチンコに行って、書けない書けないと言ってるだけですよ?」
「この際、吾輩さんの飼い主の話は措いておきましょう。吾輩さんが、話を書いてみない?」
お白さんの言葉は、吾輩に取って衝撃であった。
「ぼ、僕がですか? 只の無名猫ですよ?」
「『吾輩は猫である』だって、そういう話でしょ? 大丈夫よ」
そう言われても吾輩、困ってしまう。第一、猫の身では限界があるのだ。キーボードで文章を打てるとは言っても、何千字・何万字という単位で書くのは不可能である。
「買いかぶりですよ。僕にそんな事ができるとは思えません」
「私はできると思うわ。さっき吾輩さん、私を感動させたじゃない。凄い事よ」
お白さんは、熱を込めた視線で吾輩を見つめてくる。
「愛を知らなかったまま死ぬはずだった吾輩さんが、愛を知って、言葉を知ったんでしょう?
聖書に『初めに言葉があった』ってあるけど、あれは同時に愛もあったはずなのよ。全ては愛から生まれるの。だって私たちは、神様から愛されて生まれてきたんですもの」
「お白さんは、キリスト教徒だったんですか」
「いいえ、キリスト教徒なのは、私の飼い主の娘さん。飼い主のお婆ちゃんは神道ね。キリスト教って素敵な話が多いけど、猫は神様から愛されてない気がするのがねぇ。その点、神道は良いわよぉ。猫の神社だってあるんだから」
お白さんは話が弾んでくると、とにかく長くなってくる。今は「女性は話が長い」と言うと怒られる時代らしいので、吾輩も迂闊な事は言えないのだが。
「つまり私が言いたいのはね。人も猫も愛されるべきって事なのよ。細かい宗教の話なんか、それに比べれば些細な事だわ。ああ、私の飼い主のお婆ちゃん、その話をしていいかしら?」
「僕は相談に乗ってもらっている身ですから。どうぞ、どうぞ」
「じゃあ話すわね。お婆ちゃん、この前、少し熱が出たのよ。それで病院に行ったのね」
安住の地を求めて、吾輩たちは歩き回り。ある日、最も虚弱だった末っ子の吾輩が、腹を空かせて動けなくなった。吾輩たち一行には余裕が無く、親は吾輩を置き去りにしていった。
その事を吾輩、恨んではいない。動けない者を捨てて、動ける者を救うべく立ち振る舞うのが非常時のリーダーなのであろう。吾輩は兄や姉たちが、幸せになっている事を祈るばかりだ。
水たまりで喉を潤し、動かない体を動かして吾輩は当てもなく進んだ。何処かの家の庭に入り込めたとも、自分では分からないほどに消耗していた。目は開かず、闇だけが見えていた。
生の意味も分からず、死が間近まで迫っていた。吾輩は最後の力を振り絞って、天に向かって啼いた。言葉にすれば、それは「生きたい」であり、「光あれ!」だったかもしれない。
次の瞬間、頭上から、暖かな光が降り注いだ。そうとしか捉えられない何かが吾輩の身に起こっている事だけが分かった。人間の女性が両の掌で、吾輩の小さな体を持ち上げていたと理解できたのは後の話だ。愛が吾輩に注がれていた。
「生きているわね。大丈夫よ、助けてあげる」
あの瞬間から、吾輩は人の言葉を理解した。言葉どおり、彼女は吾輩に住まいや餌を提供し、子猫だった吾輩の体は大きくなっていった。
彼女は小説家の妻であり、吾輩の今の主人である夫は当時、原稿用紙で文章を書いていた。床に置いてあった、書きかけの原稿の文章も、吾輩はすぐに読めるようになった。漢字は少し難しかったが、前後の文脈から理解できた。
主人は後にノートパソコンを購入し、それで文章を書くようになった。小説家の家で飼われた吾輩は、機械の操作方法も見て、同じように文章が書けるようになっていった……
「思い当たるのは、それくらいですかね」
吾輩、お白さんに、出来事を語り終えた。『吾輩は……』の猫も、ワープロソフトさえあれば、吾輩と同様に文章を書いていたと思う。吾輩は文明の利器に恵まれたに過ぎない。
「いい話じゃなーい。感動的じゃなーい」
大したエピソードでもないと思っていた吾輩と違って、お白さんは何と、涙ぐんでいた。
「泣かないでください、お白さん。ああ、ハンカチを持ってない猫の身で済みません」
お白さんは、落ち着いてから、吾輩に話し始めた。
「そりゃ私はね、ニュースも見てるし、世の中で起きてる問題も知ってるわよ。海外で言えば、ブラック・ライブズ・マター問題、ロヒンギャ問題。日本も含めて言えばLGBT問題。どれも重要だとは思うわ」
「は、はぁ」
「でも、吾輩さんの、さっきの話はね。もっと身近な日常の話でしょう? 小説家なら、そういう話を、自分の言葉で書くべきなのよ。私は、そう思うわ」
「主人の生活の話とかですか。パチンコに行って、書けない書けないと言ってるだけですよ?」
「この際、吾輩さんの飼い主の話は措いておきましょう。吾輩さんが、話を書いてみない?」
お白さんの言葉は、吾輩に取って衝撃であった。
「ぼ、僕がですか? 只の無名猫ですよ?」
「『吾輩は猫である』だって、そういう話でしょ? 大丈夫よ」
そう言われても吾輩、困ってしまう。第一、猫の身では限界があるのだ。キーボードで文章を打てるとは言っても、何千字・何万字という単位で書くのは不可能である。
「買いかぶりですよ。僕にそんな事ができるとは思えません」
「私はできると思うわ。さっき吾輩さん、私を感動させたじゃない。凄い事よ」
お白さんは、熱を込めた視線で吾輩を見つめてくる。
「愛を知らなかったまま死ぬはずだった吾輩さんが、愛を知って、言葉を知ったんでしょう?
聖書に『初めに言葉があった』ってあるけど、あれは同時に愛もあったはずなのよ。全ては愛から生まれるの。だって私たちは、神様から愛されて生まれてきたんですもの」
「お白さんは、キリスト教徒だったんですか」
「いいえ、キリスト教徒なのは、私の飼い主の娘さん。飼い主のお婆ちゃんは神道ね。キリスト教って素敵な話が多いけど、猫は神様から愛されてない気がするのがねぇ。その点、神道は良いわよぉ。猫の神社だってあるんだから」
お白さんは話が弾んでくると、とにかく長くなってくる。今は「女性は話が長い」と言うと怒られる時代らしいので、吾輩も迂闊な事は言えないのだが。
「つまり私が言いたいのはね。人も猫も愛されるべきって事なのよ。細かい宗教の話なんか、それに比べれば些細な事だわ。ああ、私の飼い主のお婆ちゃん、その話をしていいかしら?」
「僕は相談に乗ってもらっている身ですから。どうぞ、どうぞ」
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