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第一章『吾輩は猫である』
6 猫ちゃん、桜並木の下を通り、お白さんに会う
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吾輩、縁側から庭に出て、そこから外へとブラブラ歩き回る事にした。春は猫に取って恋の季節である。吾輩、既に手術は済ませているから、発情期に騒ぐ事など無いが。それでも春は、心が浮き立つような気分を感じるのである。この辺は猫も人間も変わるまい。
主人の家は郊外にあって、道は車の往来も少なく、猫が移動するには好都合であった。道には桜の木もあって、花びらが風に乗って踊っている。例年なら花見の客も、そこかしこに居たかも知れない。人気が無い桜並木の光景が贅沢に感じられて、吾輩、しばし足を止めた。
春の景色は素晴らしくても、今は大変な時代なのであろう。吾輩の主人は以前から大変であったが。何しろ小説が売れないのである。このまま売れなかったら路頭に迷う。
吾輩は、いざとなったら野良に戻るだけである。猫一匹、何処に居ようと生きていけよう。しかし龍之介くんは、そうもいくまい。彼が健やかに成長できる環境は与えられるのか。
何もできない、無名の猫に過ぎない我が身が疎ましかった。何か、状況を改善できるヒントが欲しい。こういう事を相談できそうな相手を求めて、吾輩、大きな屋敷の前に行く。
幸い吾輩が会いたかった、その相手は屋敷の外に居て簡単に見つける事ができた。
「あら、吾輩さんじゃない。どうしたの、お話しましょうよ」
「ああ、お白さん。これはこれは相変わらず、お美しくて、へへへ」
お相手は屋敷の飼い猫である、今年で二歳の女性猫、シロさんだった。吾輩、猫の血統には詳しくないが、屋敷の人間と同様に高貴な血筋が流れているのが彼女だと確信している。
体毛がフワッとしていて、まるで雪のように白く美しい。そう言えば『吾輩は猫である』でも女性猫が出てきたが、名前は三毛子であった。毛の色はどうだったのだろう。
「僕の主人が小説を書けなくてですね。それで、お白さんに何かしら、解決のヒントを貰えないかと思って来た次第です」
「嫌だわー、『僕』だなんて。ちゃんと『吾輩』で人称は統一しなさいよー」
「勘弁してくださいよ、お白さん。お白さんの前では恥ずかしいんです」
『吾輩は……』の無名猫は、三毛子の前でも自分の事を『吾輩』で通していたが、あれは子供だったからであろう。いい大人の猫が、魅力的な女性猫の前でキャラを通すのは難しいのだ。
「でもヒントと言われてもね。私、只の猫よ? あんまり役に立てないと思うけど」
「そんな事はありません。僕はお白さんが、良くテレビを見ていると知ってます」
「まあねー。ほら、私の飼い主、お婆ちゃんじゃない? あんまり外出できないから、家でテレビを見る事が多いのよ。ニュース番組が多くて、それを私も膝の上で見てるって訳」
「ええ。以前に、そう聞いた事があります。僕の主人なんか、ちっともニュースは見ないんで」
お白さんの声(正確にはテレパシーだが)は、心地よくて、いつまでも聴いていたくなる。吾輩、お白さんとは清く正しい交際をさせてもらっていた。今後も仲良くしたいものだ。
「結局、勉強不足じゃないかと思うんですよ、僕の主人は。結婚はしてますけど別居状態で、話す相手といったら山師みたいなロクデナシで。趣味がネットの匿名掲示板ですから」
「世界が狭いのねー。出会いは大切よ、私たちみたいにね」
ふふふ、と彼女が微笑む。吾輩、その笑顔だけで幸せになれそうだった。
「お白さんの話から、何か発想のヒントさえ頂ければ、それを僕が主人に伝える事もできると思うんです。吾輩、いや僕は人間の言葉は話せませんけど、ワープロソフトで書く事はできますから。具体的にどう伝えるかは、まだ思いつきませんけど何とかします」
吾輩、趣味がネットサーフィンなので、キーボード入力はそれなりにできるのである。自宅警備員として過ごした日々も、あながち無駄ではなかったかも知れない。
と、お白さんは、小首を傾げて吾輩の顔を見つめてきた。
「不思議よねー。どうして吾輩さん、そんな事ができるのかしら?」
「ど、どうしたんですか、お白さん。そんなに見つめられると気恥ずかしいです」
うーん、と、人間なら腕組みをして考え込んでいそうな様子である。
「そりゃあ私も、人間の言葉は分かるわ。あ、日本語だけだけどね。外国の人の言葉は無理」
「それは僕もそうですよ。テレパシーも、言語が違うと読み取りにくいですし」
普通の日本の人間も、外国の人間の言葉は話せないし聞き取れないであろう。
「でも吾輩さん、人間の言葉を書けるんでしょう? 吾輩さんが前に話してくれた、夏目漱石先生の小説だって確か、猫ちゃんが日本語を書く事はできなかったのよね?」
「ええ、その通りです」
「なのに吾輩さんは、書く事ができる。どうして? そんな猫、他に知らないわよ私」
そう言われても吾輩は困ってしまう。そう生まれついたとしか、言いようがない。
「僕は平凡な無名猫ですよ。自宅警備員が関の山です」
「違うわ。神様がなさる事には、きっと意味があるのよ。何か特別な、きっかけがあったのかも。良く思い出して、吾輩さんの猫生の中で、何か特別な事は無かった?」
言われて吾輩、過去の出来事を想い起こしてみる。
「あったとすれば……あれかもしれません」
吾輩、お白さんに、過去の出来事を話してみた。
主人の家は郊外にあって、道は車の往来も少なく、猫が移動するには好都合であった。道には桜の木もあって、花びらが風に乗って踊っている。例年なら花見の客も、そこかしこに居たかも知れない。人気が無い桜並木の光景が贅沢に感じられて、吾輩、しばし足を止めた。
春の景色は素晴らしくても、今は大変な時代なのであろう。吾輩の主人は以前から大変であったが。何しろ小説が売れないのである。このまま売れなかったら路頭に迷う。
吾輩は、いざとなったら野良に戻るだけである。猫一匹、何処に居ようと生きていけよう。しかし龍之介くんは、そうもいくまい。彼が健やかに成長できる環境は与えられるのか。
何もできない、無名の猫に過ぎない我が身が疎ましかった。何か、状況を改善できるヒントが欲しい。こういう事を相談できそうな相手を求めて、吾輩、大きな屋敷の前に行く。
幸い吾輩が会いたかった、その相手は屋敷の外に居て簡単に見つける事ができた。
「あら、吾輩さんじゃない。どうしたの、お話しましょうよ」
「ああ、お白さん。これはこれは相変わらず、お美しくて、へへへ」
お相手は屋敷の飼い猫である、今年で二歳の女性猫、シロさんだった。吾輩、猫の血統には詳しくないが、屋敷の人間と同様に高貴な血筋が流れているのが彼女だと確信している。
体毛がフワッとしていて、まるで雪のように白く美しい。そう言えば『吾輩は猫である』でも女性猫が出てきたが、名前は三毛子であった。毛の色はどうだったのだろう。
「僕の主人が小説を書けなくてですね。それで、お白さんに何かしら、解決のヒントを貰えないかと思って来た次第です」
「嫌だわー、『僕』だなんて。ちゃんと『吾輩』で人称は統一しなさいよー」
「勘弁してくださいよ、お白さん。お白さんの前では恥ずかしいんです」
『吾輩は……』の無名猫は、三毛子の前でも自分の事を『吾輩』で通していたが、あれは子供だったからであろう。いい大人の猫が、魅力的な女性猫の前でキャラを通すのは難しいのだ。
「でもヒントと言われてもね。私、只の猫よ? あんまり役に立てないと思うけど」
「そんな事はありません。僕はお白さんが、良くテレビを見ていると知ってます」
「まあねー。ほら、私の飼い主、お婆ちゃんじゃない? あんまり外出できないから、家でテレビを見る事が多いのよ。ニュース番組が多くて、それを私も膝の上で見てるって訳」
「ええ。以前に、そう聞いた事があります。僕の主人なんか、ちっともニュースは見ないんで」
お白さんの声(正確にはテレパシーだが)は、心地よくて、いつまでも聴いていたくなる。吾輩、お白さんとは清く正しい交際をさせてもらっていた。今後も仲良くしたいものだ。
「結局、勉強不足じゃないかと思うんですよ、僕の主人は。結婚はしてますけど別居状態で、話す相手といったら山師みたいなロクデナシで。趣味がネットの匿名掲示板ですから」
「世界が狭いのねー。出会いは大切よ、私たちみたいにね」
ふふふ、と彼女が微笑む。吾輩、その笑顔だけで幸せになれそうだった。
「お白さんの話から、何か発想のヒントさえ頂ければ、それを僕が主人に伝える事もできると思うんです。吾輩、いや僕は人間の言葉は話せませんけど、ワープロソフトで書く事はできますから。具体的にどう伝えるかは、まだ思いつきませんけど何とかします」
吾輩、趣味がネットサーフィンなので、キーボード入力はそれなりにできるのである。自宅警備員として過ごした日々も、あながち無駄ではなかったかも知れない。
と、お白さんは、小首を傾げて吾輩の顔を見つめてきた。
「不思議よねー。どうして吾輩さん、そんな事ができるのかしら?」
「ど、どうしたんですか、お白さん。そんなに見つめられると気恥ずかしいです」
うーん、と、人間なら腕組みをして考え込んでいそうな様子である。
「そりゃあ私も、人間の言葉は分かるわ。あ、日本語だけだけどね。外国の人の言葉は無理」
「それは僕もそうですよ。テレパシーも、言語が違うと読み取りにくいですし」
普通の日本の人間も、外国の人間の言葉は話せないし聞き取れないであろう。
「でも吾輩さん、人間の言葉を書けるんでしょう? 吾輩さんが前に話してくれた、夏目漱石先生の小説だって確か、猫ちゃんが日本語を書く事はできなかったのよね?」
「ええ、その通りです」
「なのに吾輩さんは、書く事ができる。どうして? そんな猫、他に知らないわよ私」
そう言われても吾輩は困ってしまう。そう生まれついたとしか、言いようがない。
「僕は平凡な無名猫ですよ。自宅警備員が関の山です」
「違うわ。神様がなさる事には、きっと意味があるのよ。何か特別な、きっかけがあったのかも。良く思い出して、吾輩さんの猫生の中で、何か特別な事は無かった?」
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「あったとすれば……あれかもしれません」
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