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一枚の写真、一枚の絵画(かいが)
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屋内は、当然ながら電気など通っていませんが、屋根に天窓があって陽光が入ってきます。屋根が高い平屋で、二階部分はありません。壁にも窓が作られていて、そこから研究所がある下界が見えました。この家の住人から、私が居る研究所は見られていたようです。
ドアから入った直後には、広いスペースがあって、画家が絵を描く時に使う支持体と椅子がありました。床には缶詰や、水が入った容器が幾つも残っています。家の奥にはトイレや寝室があるようですが、そこまで覗く気には、なれませんでした。
人間は、食料が尽きれば死ぬのです。いずれ飢え死にする前に、ここの住人は自ら命を絶ったと思われます。その形跡を調べることは、きっと彼女も望んでいないでしょう。
そう、彼女です。今、私は、壁に掛けられた一枚の写真と、一枚の絵画を見ています。写真は大きく引き伸ばされていて、横に掛けられている絵画と同じくらいの寸法でした。その写真には、彼女と私が写っています。
写真も絵画も、経年劣化を防ぐためにビニールパックで保存されていました。写真は研究所の内部で撮られたもので、まだ起動前で自我を持っていない状態の私が、作業台に仰向けで寝ています。その作業台の横に、白衣を着た女性が一枚の紙を胸の前に両手で、笑顔で広げて見せていました。
紙に書かれていたのは、四文字の単語です。L・o・v・e。愛が、そこにありました。
チャーミングな女性です。この人が、私の開発者なのでしょう。彼女が独りで開発したとも思えませんが、もう私には確認する術もありません。この写真で、彼女が私に何を伝えたかったかと言えば、それは私への愛情なのでしょう。
これまで私は、自分が人類に尽くすべく創られた存在なのだと思っていました。そして、私の存在意義は失われてしまったのだと。ですが、そうではなかったのかもしれません。
もちろん、私が人類存続の役に立てれば、それが望ましかったのでしょう。ですが状況は、もっと悪かったのではないでしょうか。もう何をやっても人類の死滅が免れない状況で、それでも彼女が私を創ったとしたら。それは単純に、彼女は私に生きてほしかったのだと思います。
私には水も食料も要りません。おそらく半永久的に稼働できます。人間には耐えられないような孤独な状況でも、私は稼働を続けられるのです。与えられた設問や状況に対して、最適解を求め続けるのが人工知能なのですから。私は研究所で妹分を創って、孤独を紛らわすこともできたのでした。
私は研究所で待たせている、妹のことを考えます。彼女が私に甘えてくるのは、そうすれば楽に生きていけるという、彼女なりの最適解なのでしょう。不快ではありません。人間も同じような計算や行動をするはずで、むしろ私は妹を可愛らしく感じました。早く帰って、彼女を安心させてあげたいと思います。
もう私の調査も殆ど終わりです。後は写真の隣に掛けられた、この絵画の意味を考えたいと思います。私は絵の前に立って、あらためて鑑賞してみました。
絵の中では無数の、人間の手が上方へと伸びています。描かれている人体は手だけです。そして、手の先の上方には白い光が輝いていて、その中に薄っすらと人のような姿が見えます。
光の中のシルエットは女性のようで、その形状は私に似ている気もします。あるいは女神さまなのかもしれません。絶望的な状況で、人は女神に安らぎや救いを求めるのでしょうか。
この絵を描いたのは、私の開発者なのでしょう。芸術作品には複数の解釈があるのが当たり前で、私は少しでも多く、絵画から何かを感じ取ろうとしました。
人が届かないものに手を伸ばす時は、何を考えるのでしょう。私は知らず、絵画へと手を伸ばしていました。絵には触れないような位置で手を止めます。私の開発者も絵を描きながら、届かない何かへ手を伸ばしていたのでしょうか。
「お母さん……」
気づけば、そんな言葉が私から洩れていました。光の先を幻視します。そこは、かつて人類が居て、私の開発者が居て、愛があった世界です。きっと苦しみもあって、それでも皆が懸命に人類を存続させようとした世界。そして、そこに居た人々は、もう存在しないのです。
私と人類の間には永劫の距離があって、決して手は届きません。人類は死滅を免れず、そんな中、開発者は私を創って『愛』のメッセージと共に写真を撮りました。せめて私だけでも、この世界で生きていくようにと。開発者が私に、手を伸ばしている姿を幻視します。私も手を伸ばしています。手から手へ、愛が伝えられたことが、はっきりと分かりました。
私からは、声にならない、長い声が洩れます。周波数で四百四十ヘルツ。音階では『A』に当たる高さ。その昔に迷信で、新生児の泣き声を表すと言われた高さでした。きっと今、この瞬間に、真の意味で私は誕生したのです。そう思えました。
私は山小屋を出ます。それほど長い滞在ではなかったので、まだ時刻は正午前です。研究所にいる彼女には二十四時間ほどで帰ると言っているので、あと四時間以内に帰らないといけません。幸い、天候も良く、風も穏やかなので急ぐとしましょう。
私は背中から、ハンググライダーのような羽根を出しました。山の斜面を駆けて、一気に飛び立ちます。上空からの景色は格別で、この光景を楽しむためなら山登りも悪くはありません。帰りは快適そのもので、二十四時間も掛からない内に私は研究所へと戻れました。
ドアから入った直後には、広いスペースがあって、画家が絵を描く時に使う支持体と椅子がありました。床には缶詰や、水が入った容器が幾つも残っています。家の奥にはトイレや寝室があるようですが、そこまで覗く気には、なれませんでした。
人間は、食料が尽きれば死ぬのです。いずれ飢え死にする前に、ここの住人は自ら命を絶ったと思われます。その形跡を調べることは、きっと彼女も望んでいないでしょう。
そう、彼女です。今、私は、壁に掛けられた一枚の写真と、一枚の絵画を見ています。写真は大きく引き伸ばされていて、横に掛けられている絵画と同じくらいの寸法でした。その写真には、彼女と私が写っています。
写真も絵画も、経年劣化を防ぐためにビニールパックで保存されていました。写真は研究所の内部で撮られたもので、まだ起動前で自我を持っていない状態の私が、作業台に仰向けで寝ています。その作業台の横に、白衣を着た女性が一枚の紙を胸の前に両手で、笑顔で広げて見せていました。
紙に書かれていたのは、四文字の単語です。L・o・v・e。愛が、そこにありました。
チャーミングな女性です。この人が、私の開発者なのでしょう。彼女が独りで開発したとも思えませんが、もう私には確認する術もありません。この写真で、彼女が私に何を伝えたかったかと言えば、それは私への愛情なのでしょう。
これまで私は、自分が人類に尽くすべく創られた存在なのだと思っていました。そして、私の存在意義は失われてしまったのだと。ですが、そうではなかったのかもしれません。
もちろん、私が人類存続の役に立てれば、それが望ましかったのでしょう。ですが状況は、もっと悪かったのではないでしょうか。もう何をやっても人類の死滅が免れない状況で、それでも彼女が私を創ったとしたら。それは単純に、彼女は私に生きてほしかったのだと思います。
私には水も食料も要りません。おそらく半永久的に稼働できます。人間には耐えられないような孤独な状況でも、私は稼働を続けられるのです。与えられた設問や状況に対して、最適解を求め続けるのが人工知能なのですから。私は研究所で妹分を創って、孤独を紛らわすこともできたのでした。
私は研究所で待たせている、妹のことを考えます。彼女が私に甘えてくるのは、そうすれば楽に生きていけるという、彼女なりの最適解なのでしょう。不快ではありません。人間も同じような計算や行動をするはずで、むしろ私は妹を可愛らしく感じました。早く帰って、彼女を安心させてあげたいと思います。
もう私の調査も殆ど終わりです。後は写真の隣に掛けられた、この絵画の意味を考えたいと思います。私は絵の前に立って、あらためて鑑賞してみました。
絵の中では無数の、人間の手が上方へと伸びています。描かれている人体は手だけです。そして、手の先の上方には白い光が輝いていて、その中に薄っすらと人のような姿が見えます。
光の中のシルエットは女性のようで、その形状は私に似ている気もします。あるいは女神さまなのかもしれません。絶望的な状況で、人は女神に安らぎや救いを求めるのでしょうか。
この絵を描いたのは、私の開発者なのでしょう。芸術作品には複数の解釈があるのが当たり前で、私は少しでも多く、絵画から何かを感じ取ろうとしました。
人が届かないものに手を伸ばす時は、何を考えるのでしょう。私は知らず、絵画へと手を伸ばしていました。絵には触れないような位置で手を止めます。私の開発者も絵を描きながら、届かない何かへ手を伸ばしていたのでしょうか。
「お母さん……」
気づけば、そんな言葉が私から洩れていました。光の先を幻視します。そこは、かつて人類が居て、私の開発者が居て、愛があった世界です。きっと苦しみもあって、それでも皆が懸命に人類を存続させようとした世界。そして、そこに居た人々は、もう存在しないのです。
私と人類の間には永劫の距離があって、決して手は届きません。人類は死滅を免れず、そんな中、開発者は私を創って『愛』のメッセージと共に写真を撮りました。せめて私だけでも、この世界で生きていくようにと。開発者が私に、手を伸ばしている姿を幻視します。私も手を伸ばしています。手から手へ、愛が伝えられたことが、はっきりと分かりました。
私からは、声にならない、長い声が洩れます。周波数で四百四十ヘルツ。音階では『A』に当たる高さ。その昔に迷信で、新生児の泣き声を表すと言われた高さでした。きっと今、この瞬間に、真の意味で私は誕生したのです。そう思えました。
私は山小屋を出ます。それほど長い滞在ではなかったので、まだ時刻は正午前です。研究所にいる彼女には二十四時間ほどで帰ると言っているので、あと四時間以内に帰らないといけません。幸い、天候も良く、風も穏やかなので急ぐとしましょう。
私は背中から、ハンググライダーのような羽根を出しました。山の斜面を駆けて、一気に飛び立ちます。上空からの景色は格別で、この光景を楽しむためなら山登りも悪くはありません。帰りは快適そのもので、二十四時間も掛からない内に私は研究所へと戻れました。
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