3 / 4
暴力と星空(ほしぞら)
しおりを挟む
「ちょっと! 何するのよ!」
「見ての通りよ。これから、あんたの邪魔をするの」
抗議してくる彼女に振り返って、にっと笑って見せた。懸命に彼女も走って追ってくるが、私の方が速い。砂浜を速く走るにはコツが要るのだ。靴も服装も、私は走りやすいものを用意して着けていた。
標的である少女が、気配を感じて私たちの方へ振り返る。そこには猛スピードで走る私と、その後を鬼気迫る表情で追ってくる彼女が居る。「ひっ!?」と少女は立ち竦んだ。ビーチフラッグという競技を私は思い出す。二人で走って、前方にある旗を奪い合う競技。あの旗が女の子だったら、きっと今の少女みたいな顔で怯えるのだろう。
走るスピードを落とさず、私は片方の靴を脱いで右手に持った。走りながら靴を脱いで手に持つという、ちょっとした私の特技である。その靴を振りかぶって、上から靴底で、私は少女の肩を叩いた。乾いた音がして、大したダメージは与えてないけど、少女は怖がって蹲る。悲鳴を上げられると面倒なので、私は少女と同じ高さで、しゃがみ込んで左手で彼女の口を塞いだ。
右手で私は、首に掛けていた三日月型のアクセサリーを外す。アクセサリーには仕掛けがあって、折り畳み式の小型ナイフとなっている。月明かりでもあれば見せつけやすいのだが、今日は月齢が新月辺りのようで、月が出ていない。空も曇っていて、仕方なく私は、少女の顔へナイフを近づけて見せた。
「ね、見える? おもちゃみたいなナイフだけど、あんたの喉を切り裂くくらいは簡単。そうは、なりたくないよね? だったら声を出さないようにね。分かった?」
こくこくと、少女が頷いてくれる。従順な子は大好きだ。ぺちぺちと、私は小型ナイフの腹を少女の頬に当てて、軽く脅しておいた。私の後ろでは、抜き去られて出し抜かれた彼女が、息を切らした様子で呆然と立っている。私は息切れ一つしていない。幼い頃からの訓練が役に立っていた。
「あんたはね、後ろに居る、私の相棒を怒らせたの。相棒の大切な人が、誹謗中傷されて亡くなってね。その責任が全部、あんたにあるとは言わない。でも責任の一端はあるよね」
私は再び、小型ナイフを少女の眼前に持っていく。懇願するような少女の視線と目が合う。どうか殺さないで、どうか殺さないで。そういう意思が伝わってきた。
「相棒はさ、あんたを殺したくて殺したくて仕方ないんだって。でも私は、あんたがそこまでの悪人だとも思わない。だから、この場は見逃してあげる。でも次は無いと思って。世の中には取り返しのつかないことがあるのよ。同じことが起きたら、あんたは只じゃ済まない。この世の摂理が、あんたを必ず罰するわ」
少女に声を出さないよう念を押してから、私は口を塞いでいた手を離した。立つように促して、少女は恐る恐る腰を上げる。今にも飛び掛かりそうな、後ろの相棒を私は背中で制した。今日は私の前で誰も死なせない。そろそろ少女には、ここから立ち去ってもらおう。
「もう帰って。今後、街や学校で私たちを見かけても、今まで通り声は掛けないでね。だからと言ってバカにするのも止めなよ? 言うまでもないけど、今日のことは誰にも話さないようにね。密告ったら私が殺すから」
最後にナイフを見せつけてから、刃の部分を折り畳んでアクセサリーに戻す。再び首に掛けてから、私は少女の横に回り込んで、「おら、消えな!」と足の甲でお尻を蹴った。靴を脱いでいる右足で蹴ったから、そこまでのダメージは無いはずだ。少女は小さく悲鳴を上げて、懸命に早歩きで去っていった。お尻が痛くて走れないのかな。
「……何で、邪魔したのよ! 殺してやりたかったのに!」
標的の少女が去って、脱ぎ捨てていた靴を私が履き直していたら、彼女が私に突っかかってくる。私は逆に、彼女の胸元を平手で突いた。尻餅をついて背中から砂浜に彼女が倒れる。
「だって殺したら死んじゃうじゃない。あんたも言ってた通りよ、死んだ人間は帰ってこないの。殺人は罪深い行為よ。そんなことをあんたにさせる訳には行かないわ」
「うるさい! それだけのことをあいつは、したのよ! あんな優しい子が死んで、もう帰ってこない! だから私が報復してやりたかったのに!」
起き上がって、猛然と私に向かってくる。私は軽く、あしらってあげた。伸ばしてくる手を払って、相撲や柔道の稽古のように、彼女を背中から砂浜に叩きつける。下に石でもあって、それで頭を打っては大変だから、その辺りは気を遣った。何度も何度も倒されて、やっと彼女は仰向けの態勢で大人しくなる。息を切らしている彼女の横に、私は同じく仰向けで並んで寝転がった。砂浜の感触が心地いい。
「マンガでさ、良くあるよね。男同士が殴り合って、こうやって並んで仰向けに寝て、友情が芽生える展開。あれって本当にあり得ると思う?」
「……うるさい、死んで」
酷いなぁ、と私は笑う。私たちは砂浜で空を見上げて、曇っていた天候が晴れてきたことに気づく。雲の切れ間からは星が見えてきていた。
「死んじゃった子は、あんたが復讐することを望んでると思う? 正直に答えて」
「……そんな訳ないじゃない。本当に優しい子だったのよ。あの子は暴力なんか望まないわ」
「これは答えなくてもいいけどさ。その子のことが好きだったの? 恋愛感情って意味で」
「……分かんない。私が持っていたのは、もっと淡い感情だった。時間があれば、その気持ちもハッキリしてきたんだろうけど」
「ハッキリさせない方が良いこともあるよ。特に殺意はね。それがハッキリしたら人を殺しちゃうから」
「……こっちからも聞いていい? 貴女、何者? 何で、そんなに強いの?」
「具体的なことは秘密。知らない方がいいことって、世の中にはあるよ」
私の家系は、昔から暗殺者が多かった。さすがに現代では、そういう存在はそう多くはない。私の家の男は血なま臭い世界で生きていて、それに嫌気が差した私は現在、一人暮らしをしている。生活費は出してもらえているので苦労はない。
「……学校で私に付きまとってたのも、結局、私を止めたかったから。そうよね?」
「うん。私、殺意を持っている子は、すぐに分かるのよ。で、分かってたら、やっぱり止めたいじゃない。私たちは若いんだもの、殺人で将来を台無しにしたら勿体ないよ」
「止められちゃった私は、これから、どうすればいいの? アドバイスはある?」
「とりあえず、泣いてみたらどうかな。亡くなった子を想ってさ。それで少しは、気持ちが落ち着くよ」
「今、ここで?……笑わない?」
「笑わないよ。傍に居てあげるから、私のことは気にせずに泣いて」
私と彼女は、仰向けで星空を見上げている。しばらくして、「……ちゃん」と、隣の彼女が名前を呼び出した。その声は少しずつ大きくなっていく。
「ゆらちゃん……ゆらちゃん! ゆらちゃーん!」
声を上げて彼女が泣きだす。ゆら、というのが、その子の名前なのかな。性別は分からないが、きっと優しくて繊細な子だったのだろうと私は思った。
「ねぇ、今日が何の日か知ってる?」
彼女が落ち着くのを待ってから、そう聞いてみた。思い付かないようで、彼女からは返答がない。なので私は教えてあげた。
「八月十五日よ、今日は終戦記念日。私たちの暴力や戦争は、今日はお終い」
空は晴れて、星が良く見える。ものを言わない優しい人々が、昔も今も暴力や戦争で命を落としているのだろう。そういう横暴が、いつまでも許されるとは思わないことだ。この世の摂理は、いつか牙を剥く。私も寛容を心がけてはいるが、殺る時は殺るかもだ。
ともかく今日は、私の暴力は閉店である。私と彼女は、長いこと星空を砂浜で見上げ続けていた。
「見ての通りよ。これから、あんたの邪魔をするの」
抗議してくる彼女に振り返って、にっと笑って見せた。懸命に彼女も走って追ってくるが、私の方が速い。砂浜を速く走るにはコツが要るのだ。靴も服装も、私は走りやすいものを用意して着けていた。
標的である少女が、気配を感じて私たちの方へ振り返る。そこには猛スピードで走る私と、その後を鬼気迫る表情で追ってくる彼女が居る。「ひっ!?」と少女は立ち竦んだ。ビーチフラッグという競技を私は思い出す。二人で走って、前方にある旗を奪い合う競技。あの旗が女の子だったら、きっと今の少女みたいな顔で怯えるのだろう。
走るスピードを落とさず、私は片方の靴を脱いで右手に持った。走りながら靴を脱いで手に持つという、ちょっとした私の特技である。その靴を振りかぶって、上から靴底で、私は少女の肩を叩いた。乾いた音がして、大したダメージは与えてないけど、少女は怖がって蹲る。悲鳴を上げられると面倒なので、私は少女と同じ高さで、しゃがみ込んで左手で彼女の口を塞いだ。
右手で私は、首に掛けていた三日月型のアクセサリーを外す。アクセサリーには仕掛けがあって、折り畳み式の小型ナイフとなっている。月明かりでもあれば見せつけやすいのだが、今日は月齢が新月辺りのようで、月が出ていない。空も曇っていて、仕方なく私は、少女の顔へナイフを近づけて見せた。
「ね、見える? おもちゃみたいなナイフだけど、あんたの喉を切り裂くくらいは簡単。そうは、なりたくないよね? だったら声を出さないようにね。分かった?」
こくこくと、少女が頷いてくれる。従順な子は大好きだ。ぺちぺちと、私は小型ナイフの腹を少女の頬に当てて、軽く脅しておいた。私の後ろでは、抜き去られて出し抜かれた彼女が、息を切らした様子で呆然と立っている。私は息切れ一つしていない。幼い頃からの訓練が役に立っていた。
「あんたはね、後ろに居る、私の相棒を怒らせたの。相棒の大切な人が、誹謗中傷されて亡くなってね。その責任が全部、あんたにあるとは言わない。でも責任の一端はあるよね」
私は再び、小型ナイフを少女の眼前に持っていく。懇願するような少女の視線と目が合う。どうか殺さないで、どうか殺さないで。そういう意思が伝わってきた。
「相棒はさ、あんたを殺したくて殺したくて仕方ないんだって。でも私は、あんたがそこまでの悪人だとも思わない。だから、この場は見逃してあげる。でも次は無いと思って。世の中には取り返しのつかないことがあるのよ。同じことが起きたら、あんたは只じゃ済まない。この世の摂理が、あんたを必ず罰するわ」
少女に声を出さないよう念を押してから、私は口を塞いでいた手を離した。立つように促して、少女は恐る恐る腰を上げる。今にも飛び掛かりそうな、後ろの相棒を私は背中で制した。今日は私の前で誰も死なせない。そろそろ少女には、ここから立ち去ってもらおう。
「もう帰って。今後、街や学校で私たちを見かけても、今まで通り声は掛けないでね。だからと言ってバカにするのも止めなよ? 言うまでもないけど、今日のことは誰にも話さないようにね。密告ったら私が殺すから」
最後にナイフを見せつけてから、刃の部分を折り畳んでアクセサリーに戻す。再び首に掛けてから、私は少女の横に回り込んで、「おら、消えな!」と足の甲でお尻を蹴った。靴を脱いでいる右足で蹴ったから、そこまでのダメージは無いはずだ。少女は小さく悲鳴を上げて、懸命に早歩きで去っていった。お尻が痛くて走れないのかな。
「……何で、邪魔したのよ! 殺してやりたかったのに!」
標的の少女が去って、脱ぎ捨てていた靴を私が履き直していたら、彼女が私に突っかかってくる。私は逆に、彼女の胸元を平手で突いた。尻餅をついて背中から砂浜に彼女が倒れる。
「だって殺したら死んじゃうじゃない。あんたも言ってた通りよ、死んだ人間は帰ってこないの。殺人は罪深い行為よ。そんなことをあんたにさせる訳には行かないわ」
「うるさい! それだけのことをあいつは、したのよ! あんな優しい子が死んで、もう帰ってこない! だから私が報復してやりたかったのに!」
起き上がって、猛然と私に向かってくる。私は軽く、あしらってあげた。伸ばしてくる手を払って、相撲や柔道の稽古のように、彼女を背中から砂浜に叩きつける。下に石でもあって、それで頭を打っては大変だから、その辺りは気を遣った。何度も何度も倒されて、やっと彼女は仰向けの態勢で大人しくなる。息を切らしている彼女の横に、私は同じく仰向けで並んで寝転がった。砂浜の感触が心地いい。
「マンガでさ、良くあるよね。男同士が殴り合って、こうやって並んで仰向けに寝て、友情が芽生える展開。あれって本当にあり得ると思う?」
「……うるさい、死んで」
酷いなぁ、と私は笑う。私たちは砂浜で空を見上げて、曇っていた天候が晴れてきたことに気づく。雲の切れ間からは星が見えてきていた。
「死んじゃった子は、あんたが復讐することを望んでると思う? 正直に答えて」
「……そんな訳ないじゃない。本当に優しい子だったのよ。あの子は暴力なんか望まないわ」
「これは答えなくてもいいけどさ。その子のことが好きだったの? 恋愛感情って意味で」
「……分かんない。私が持っていたのは、もっと淡い感情だった。時間があれば、その気持ちもハッキリしてきたんだろうけど」
「ハッキリさせない方が良いこともあるよ。特に殺意はね。それがハッキリしたら人を殺しちゃうから」
「……こっちからも聞いていい? 貴女、何者? 何で、そんなに強いの?」
「具体的なことは秘密。知らない方がいいことって、世の中にはあるよ」
私の家系は、昔から暗殺者が多かった。さすがに現代では、そういう存在はそう多くはない。私の家の男は血なま臭い世界で生きていて、それに嫌気が差した私は現在、一人暮らしをしている。生活費は出してもらえているので苦労はない。
「……学校で私に付きまとってたのも、結局、私を止めたかったから。そうよね?」
「うん。私、殺意を持っている子は、すぐに分かるのよ。で、分かってたら、やっぱり止めたいじゃない。私たちは若いんだもの、殺人で将来を台無しにしたら勿体ないよ」
「止められちゃった私は、これから、どうすればいいの? アドバイスはある?」
「とりあえず、泣いてみたらどうかな。亡くなった子を想ってさ。それで少しは、気持ちが落ち着くよ」
「今、ここで?……笑わない?」
「笑わないよ。傍に居てあげるから、私のことは気にせずに泣いて」
私と彼女は、仰向けで星空を見上げている。しばらくして、「……ちゃん」と、隣の彼女が名前を呼び出した。その声は少しずつ大きくなっていく。
「ゆらちゃん……ゆらちゃん! ゆらちゃーん!」
声を上げて彼女が泣きだす。ゆら、というのが、その子の名前なのかな。性別は分からないが、きっと優しくて繊細な子だったのだろうと私は思った。
「ねぇ、今日が何の日か知ってる?」
彼女が落ち着くのを待ってから、そう聞いてみた。思い付かないようで、彼女からは返答がない。なので私は教えてあげた。
「八月十五日よ、今日は終戦記念日。私たちの暴力や戦争は、今日はお終い」
空は晴れて、星が良く見える。ものを言わない優しい人々が、昔も今も暴力や戦争で命を落としているのだろう。そういう横暴が、いつまでも許されるとは思わないことだ。この世の摂理は、いつか牙を剥く。私も寛容を心がけてはいるが、殺る時は殺るかもだ。
ともかく今日は、私の暴力は閉店である。私と彼女は、長いこと星空を砂浜で見上げ続けていた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
久しぶりに帰省したら私のことが大好きな従妹と姫はじめしちゃった件
楠富 つかさ
恋愛
久しぶりに帰省したら私のことが大好きな従妹と姫はじめしちゃうし、なんなら恋人にもなるし、果てには彼女のために職場まで変える。まぁ、愛の力って偉大だよね。
※この物語はフィクションであり実在の地名は登場しますが、人物・団体とは関係ありません。
サプレッション・バレーボール
四国ユキ
ライト文芸
【完結まで毎日更新】
主人公水上奈緒(みなかみなお)と王木真希(おうきまき)、右原莉菜(みぎはらりな)は幼馴染で、物心ついたときから三人でバレーボールをやっていた。そんな三人の、お互いがお互いへの想いや変化を描いた青春百合小説。
スポーツ物、女女の感情、関係性が好きな人に刺さる作品となっています。
もしもしお時間いいですか?
ベアりんぐ
ライト文芸
日常の中に漠然とした不安を抱えていた中学1年の智樹は、誰か知らない人との繋がりを求めて、深夜に知らない番号へと電話をしていた……そんな中、繋がった同い年の少女ハルと毎日通話をしていると、ハルがある提案をした……。
2人の繋がりの中にある感情を、1人の視点から紡いでいく物語の果てに、一体彼らは何をみるのか。彼らの想いはどこへ向かっていくのか。彼の数年間を、見えないレールに乗せて——。
※こちらカクヨム、小説家になろう、Nola、PageMekuでも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる