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5-数年後
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外でセミが鳴いている。窓から見える青空は、まるで嵐の去ったあとみたいに澄み渡っていた。冷房の効いたリビングで、椅子の背もたれに寄りかかってぼんやりと外を眺めていたら、急かしい足音で修司がキッチンに現れた。彼は上半身裸の姿で、肩にタオルを掛けている。キッチンの冷蔵庫から缶ビールを取り出し、軽快にプルトップを開ける。部屋が薬品臭いのだろう、修司は鼻を動かした。
「ごめん、忘れてた、換気扇をつけて」
朝好は早めに終わらせようと、テーブルに置いたアクリルキーホルダーの裏面に、マニキュアのトップコートを塗った。修司が換気扇を付けてくれたから、
「ありがとう」
と、朝好は返した。
朝好の声を聞いた修司が缶ビールに口を付けながら近寄ってくる。
「暑いな」
朝好は答えようと後ろを振り返ったら、背後に修司が立っていた。
「びっくりした」
朝からシャワーを浴びた彼は、朝好の手元にチラリと視線をやる。
「どうして」
「足音がしなかったから」
「俺のステップはさすがだろう」
「そうだね」
成人式の日、修司は朝好の親と顔見せを済ませた。その年の四月に二人で同棲を始めた。大学卒業後に修司はスカウトされた企業で働きながら、実業団選手として活躍している。朝好は衣類メーカーに就職しながら、プライベートでは修司の栄養面を支えた。
互いに社会人になってから数年がたつ。朝好はもう数えきれない程、修司に抱かれた。ベッドの中で明るい話とか暗い話を彼の口から聞いた。謎を解くように、お互いに徹夜で語り明かしたこともある。休日にソファで寝っ転がっているときや、買い物の帰り道でも、彼はどんな暗いことでも、朝好の話を聞いてくれた。話を聞くときの彼は朝好の胸の底までのぞくような執念深い目をしていた。
「なにしてんの」
朝好の手元には、卒業式の日に修司からもらった桜大福のてっこちゃんがいる。てっこちゃんの背面に透明の膜を張り終えた。朝好は窓にかざすと、夏の日差しでキラキラした。
「剥げてきたから、これ以上絵が消えないように、こうやって塗り直しているんだ」
修司に後ろから椅子ごと抱き寄せられた。彼が朝好の胸に手を掛けてくる。彼は今日も髪をドライヤーで乾かさなかったようだ。彼が動くと、水滴がぽつぽつと朝好の頬に、テーブルに落ちる。
「新しいのを見つけるから、そういうのはあとにしろよ」
無事にマニキュアを塗れた朝好は、早々に道具を机の端に追いやる修司の長い指を見届けた。あとで棚にしまおうと考えていたら、彼が朝好の頬に何度も口づけを降らす。それがくすぐったくて彼から身を離したら、彼の目が不機嫌な色を漂わせた。
「新しいのもほしいけど、これは大事にさせて」
「なんで」
もしかして甘えたいのかな、と見極めてやろうとじっと見つめ、修司の手に自分のを重ねた。
「だって、修司から初めてもらえた宝物だから」
「そうか、仕様がないな、朝好が頼むんだからな、聞かないとお前がかわいそうだ」
修司は昔よりふてぶてしくなった。
「うん、ありがとう」
それと同時に、こちらが困るくらいに甘くなった。
「ほら、それよりも俺をかまえ、お前を命がけで愛してるんだからな」
そう言った修司の美しい横顔に八月の日が差す。朝好は目を細めて、まばゆい光に満ちた修司に笑い返した。
終わり
外でセミが鳴いている。窓から見える青空は、まるで嵐の去ったあとみたいに澄み渡っていた。冷房の効いたリビングで、椅子の背もたれに寄りかかってぼんやりと外を眺めていたら、急かしい足音で修司がキッチンに現れた。彼は上半身裸の姿で、肩にタオルを掛けている。キッチンの冷蔵庫から缶ビールを取り出し、軽快にプルトップを開ける。部屋が薬品臭いのだろう、修司は鼻を動かした。
「ごめん、忘れてた、換気扇をつけて」
朝好は早めに終わらせようと、テーブルに置いたアクリルキーホルダーの裏面に、マニキュアのトップコートを塗った。修司が換気扇を付けてくれたから、
「ありがとう」
と、朝好は返した。
朝好の声を聞いた修司が缶ビールに口を付けながら近寄ってくる。
「暑いな」
朝好は答えようと後ろを振り返ったら、背後に修司が立っていた。
「びっくりした」
朝からシャワーを浴びた彼は、朝好の手元にチラリと視線をやる。
「どうして」
「足音がしなかったから」
「俺のステップはさすがだろう」
「そうだね」
成人式の日、修司は朝好の親と顔見せを済ませた。その年の四月に二人で同棲を始めた。大学卒業後に修司はスカウトされた企業で働きながら、実業団選手として活躍している。朝好は衣類メーカーに就職しながら、プライベートでは修司の栄養面を支えた。
互いに社会人になってから数年がたつ。朝好はもう数えきれない程、修司に抱かれた。ベッドの中で明るい話とか暗い話を彼の口から聞いた。謎を解くように、お互いに徹夜で語り明かしたこともある。休日にソファで寝っ転がっているときや、買い物の帰り道でも、彼はどんな暗いことでも、朝好の話を聞いてくれた。話を聞くときの彼は朝好の胸の底までのぞくような執念深い目をしていた。
「なにしてんの」
朝好の手元には、卒業式の日に修司からもらった桜大福のてっこちゃんがいる。てっこちゃんの背面に透明の膜を張り終えた。朝好は窓にかざすと、夏の日差しでキラキラした。
「剥げてきたから、これ以上絵が消えないように、こうやって塗り直しているんだ」
修司に後ろから椅子ごと抱き寄せられた。彼が朝好の胸に手を掛けてくる。彼は今日も髪をドライヤーで乾かさなかったようだ。彼が動くと、水滴がぽつぽつと朝好の頬に、テーブルに落ちる。
「新しいのを見つけるから、そういうのはあとにしろよ」
無事にマニキュアを塗れた朝好は、早々に道具を机の端に追いやる修司の長い指を見届けた。あとで棚にしまおうと考えていたら、彼が朝好の頬に何度も口づけを降らす。それがくすぐったくて彼から身を離したら、彼の目が不機嫌な色を漂わせた。
「新しいのもほしいけど、これは大事にさせて」
「なんで」
もしかして甘えたいのかな、と見極めてやろうとじっと見つめ、修司の手に自分のを重ねた。
「だって、修司から初めてもらえた宝物だから」
「そうか、仕様がないな、朝好が頼むんだからな、聞かないとお前がかわいそうだ」
修司は昔よりふてぶてしくなった。
「うん、ありがとう」
それと同時に、こちらが困るくらいに甘くなった。
「ほら、それよりも俺をかまえ、お前を命がけで愛してるんだからな」
そう言った修司の美しい横顔に八月の日が差す。朝好は目を細めて、まばゆい光に満ちた修司に笑い返した。
終わり
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