裸の瞳

佐治尚実

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第二章

7.深夜の号泣

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 ベッドはじんとするほど冷たく、すぐに手と足が凍った。それも父の寝間着を着た悠成が潜ってくると、熱がじんわりと伝わってくる。

「冷え切ってるね」

 壁側で寝ていた大地を、悠成が後ろから抱きしめてくる。本当は向き合って抱き合いたいけれど、ここは実家だ。同じ屋根の下に両親がいる。

「温めて」
「そのつもりだよ」

 悠成は手足を複雑に絡めて、抱擁を強める。彼の体温、うるさいくらいの心臓の鼓動、ずっしりとした肉体の感触、長い手足、柔らかい髪、少し伸びた髭、それらが大地の眠りかけていた感覚を起こす。
 父は母の見舞いやらであまり換気をしていなかったのだろう。部屋や寝具はほこりの臭いがした。そこに雨の土臭い匂いに混じった、グレープフルーツの香りを嗅ぎ取る。悠成の体からだろうか、それとも大地だろうか。互いに風呂は入ったのに、彼の好む香水が皮膚や細胞に染みついている。

「温かい」

 小さな声で言った。悠成と手を繋ぎ、一つ二つと指の関節をなぞる。指先がささくれている。爪の切りすぎだ。

「良かった」

 大地の短い襟足に、とろけるような甘い吐息と柔らかい唇が触れる。

「だめだよ」

 身じろぐと、後ろで笑う声がした。
「大丈夫、さすがの俺でもしないよ、これは不可抗力だ」

 悠成の声は軽やかだった。一時間前の彼とはまるで別人だ。




 深夜の高橋家に突撃してきた悠成は、夜の雨で自慢の髪をしっとりと濡らしていた。悠成の灰色のジャケットが黒く滲んでいた。彼は顔面蒼白で、玄関で土下座をする。

「ごめんなさい、ごめんなさい、俺が悪かった」

 と、取り乱した。

「悠成?」

 うろたえる大地の脚にしがみついてきた。

「寂しい思いをさせてごめんね、もっと早く帰ってくるし、仕事だって減らす」

 悠成は何か勘違いをしているようだ。

「どうしたんだよ」

 悠成を立ち上がらせたら、彼は感極まって、

「俺を捨てないでっ、大地に嫌われたら俺は死ぬ」

 物騒なことを口走る。

「おいおい、どうしたんだ」

 何事かと父が助け船を出してくる。

「お父様、俺は大地さんがいないとだめなんです、彼を愛しています、一時も離れたくないくらい、大地さんを大事に思っています。俺を許してください、どうかどうか」

 大地を胸に閉じ込めた悠成は、それはそれは半狂乱になっていた。大地は悠成を落ち着かせようと、彼の背をやんわり叩く。

「悠成、僕が実家に帰っただけで、一体どうしたんだよ、僕が悠成と別れるなんて、」

 最後は悠成の悲鳴でかき消された。

「何だって言うこと聞くから、何だってする、俺を一人にしないでくれ、大地、大地、愛してる、愛してるんだ」

 発狂した悠成の頭を何度も撫でた。父の前で悠成は号泣した。もはや悠成には大地しか見えていない。

「悠成、聞いて、大丈夫だよ、僕は母さんが死んだから、帰ってきただけだから、電話に出れなくてごめんね、いっぱい心配してくれたんだね、ありがとうね」

 水を吸った髪に手のひらを滑らせる。すると、悠成の嗚咽が止まる。

「お母様が?」

 よううやく目を合わせられた。それでも悠成の双眸は血走っている。状況を把握できない、そんな顔だった。

「そうだよ、昨日の昼に亡くなったんだ、今日の昼に葬式をするんだ」

 悠成は大地の顔を食い入るように見ている。悠成に言い聞かせるよう、平静を取り戻させようと説明した。

「母さんは病室で亡くなったんだ、それを仕事中に聞いて、すぐに悠成に連絡しなくて悪かった、早くに報告していたら悠成にこうやって心配をかけなかったよね、本当にごめんね」

 間髪入れずに聞いてくる。

「大地、一人で決めないで、俺は一秒でも早く知りたかった、大地のお母様の病状をずっと気にかけていた、大地が一人で抱え込む姿を見ていて、俺がどれだけ代わりになりたかったか、俺もお母様に親切にしてもらった」

 涎や鼻水やらで顔を汚した悠成が、悲痛な顔をくしゃくしゃにする。生前の母は、息子と同居する悠成と裕貴を我が子のように愛した。「大地に兄弟が二人もできたわね」と喜んでいた。大地たちの関係を知らないで、母は悠成と裕貴を頻繁に実家へ招いた。母は愛情に富んだ女性だった。いや、人を愛しすぎて自分をおろそかにする人だった。

「悠成くん、ありがとう、母さんも喜ぶよ」

 自分たちの関係を察したのか、父は悠成に尋ねる。

「母さんに会ってやってくれやしないか」
「はい」

 悠成は即答した。そこで抱擁を解くが、まだ不安なのか手を繋いできた。
 母と対面した悠成は、母につむじを見せるように畳に額を擦りつける。

「今日は泊まりなさい、大地、風呂に入れてやれ」

 父が促して、ようやく悠成は顔を上げた。その時の悠成はどこか溌剌とした目をしていた。




「実家に帰る、と置き手紙があって、気が付いたら大地の実家にいた」

 そういうことか、と大地は謝った。

「ごめん、なんか色々と空回りをしていた」
「なんで謝るの、俺が勘違いしたのが悪いんだよ、お前の家で取り乱して、それもお父様に迷惑をかけてごめん」
「もういいんだ、それより今日はどうする? 仕事が入ってるだろう、僕は休みだけど」
「休む」

 大地は体を半回転して、悠成に向き合う。

「ありがとう」

 悠成はおもむろに大地の枕元にある携帯電話を取る。我が物顔で認証コードを打ち込んで、舌打ちをした。

「っていうか、あいつも日本に向かってるみたいだ、もうすぐ日本に着くって」

 器用に操作している。

「はっ? だって月曜日は先発だろう、ちょっと待って、裕貴にも報せてないよ」
「あいつの親父さんが教えたみたいだ、それよりも大地は会社を出たら携帯電話のマナーモードを解除してよね」
「うん、気をつける」
「いや、今日は仕様がないよね、キツく言い過ぎた」

 悠成の顔が白く発光する。大地の視線に気が付いたのか、悠成は携帯電話の画面から目を上げる。

「あいつが帰ってくると騒がしくなる、まあ、いないよりかはマシだけどね」

 裕貴の帰還に悠成は鼻を鳴らす。それでもどこか嬉しそうだ。

「そうだね」

 大地は今日初めて笑みを浮かべた。
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