裸の瞳

佐治尚実

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第二章

6.妄言と真実の境目※死表現あり

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 新幹線で一時間の距離に、大地の実家はあった。平屋の実家に着いたとき、もう日付が変わっていた。

「この度はご愁傷さまです」

 灯りのともったダイニングで、裕貴の父の宮川航が普段着で独り、瓶ビールを手酌していた。いつも見ても威厳のある美しい男であった。

「叔父さん、今日は色々と面倒を見ていただいたようで、ありがとうございます」

 大地が頭を下げると、航は水滴で濡れたテーブルにうつろな目を落としていた。瓶が空になっていることから、航は酔っ払っていると見た。

「父は」

 玄関には父の靴もあった。昨年の誕生日に大地が贈ったものを、父は大切に使ってくれている。

「忍さんは和室で仁海さんに付き添っています」

 一階の客間のことだろう。そちらに向かおうとしたら、航から呼び止められる。

「大地くん、今夜こんな話をして不謹慎で申し訳ないのですが、どうか聞いてください」

 昔から航は、大地相手に敬語を崩さない。昔気質というよりかは、どこか距離を置いた口調であった。航は浮気をしてから裕貴の母と別居して、寡黙に息子を育て上げた。航は、野球一筋の息子がメジャーリーガーになっても、決して褒めようとしなかったそうだ。

「裕貴を独りにしないでください、あの子には君が必要なんです、どうか捨てないでやってほしい」

 航はいかにも居心地悪そうに酒をあおった。
 大地の胸のうちに、驚きと歓喜がぐるぐると入り交じった。どうして航が自分たちの関係を知っているのだろ、と声が出せなかった。

「一度だけ、裕貴に頭を下げられたんです、大地くんのお母さん、仁海さんを君の代わりに守ってほしいと」

 空いた椅子にストンと腰を落とした。

「いつです」
「裕貴がアメリカに行く前です」
「そうですか」

 大地は目を伏せて言った。テーブルで作った拳が白くなる。

「でも、どうして叔父さんに」

 それは、と切り出した。

「裕貴は気が付いていたんです、私と仁海さんの関係を」

 口がきけなかった。

「大地くんを一目見た瞬間から、私の面影を色濃く残しているな、と心を奪われました、一度の過ちをなかったことにされて、忍さんを選ばれた仁海さんに絶望しました、それでも私には裕貴と大地くんがいる」

 この人はなにを言っているのだ。母と浮気をしていたのは自分で、大地の実の父とでも言いたいのか。寒気がする。航は気がおかしい。それでも、裕貴の燃えるような目、盲信、利己的な思考、一つ残らず裕貴と瓜二つだ。さすが親子だ、と膝を叩きたいの。そこに自分が巻き込まれていることに、目の前の瓶で航の頭をかち割りたくなる。

「父は高橋忍、ただ一人です、冗談は止してください、それに僕と叔父さんでは顔と体格も違う、いくらなんでも無茶です」

 大地は酔っ払いにきびしく言った。

「そうか」

 首をもたげた航が、ふっと顔を上げる。双眸は潤い、満面の笑みを現した。その内には悲壮な色も見えた。

「すまない、年寄りの戯言だと思って許してくれ」

 客間から物音が聞こえた。大地がそちらに視線を移すと、

「仁海さんへの思いは本物だったんだ」

 航は小さな声を残して、ダイニングを出て行った。呆然としていたら、父が顔を出してくる。

「おお、帰っていたか、仕事なのにありがとうな」

 年老いた父を前に、大地は体のどこかを突き刺されたような怖ろしい痛みが走った。のんびりとした性格の父は、母の秘密を何も知らない。たとえ航の話が嘘であっても、そうであってほしかった。

「母さんは」

 ようやく発音するような掠れ声を出した。

「来なさい」

 客間にきびすを返した父の背中を目で追う。母の横たわる部屋に入ると、布団の横に航の姿があった。
 始めて母の安らいだ死に顔を見ても、思い出すのは裕貴と悠成の顔だった。いつか人は死ぬ。ならば後悔するのはいやだ。航のように大切な人の幻影を追いかける真似だけはしたくない。

 母の痩せた、冷たい手に触れる。

「母さん、帰ったよ」

 我ながら、さらさらとした声だった。自分の口から出たのに、まるで遠いところから聞こえてくるような気がした。

 その夜は、自分の部屋で昔のジャージに着替えて、床につこうとした。

「そう言えば」

 鞄から携帯電話を取り出すと、バッテリー切れで電源が切れていた。まだ悠成は仕事だろうから、そう焦らずに電源を入れた。

「忘れてた、大丈夫かな」

 画面が表示された。そこには大量のメッセージと着信がたまっていた。

「えっ、なんで? 早く帰ってきたのかな」

 大地がうろたえていたら、玄関からインターホンが鳴る。廊下に出たら、深夜の訪問客に驚いたのは父も同じだったようだ。

「僕が出るよ、父さんは寝てて、何かあったら呼ぶから」

 そう言うと、父は客間に消えて行く。どうやら今夜は母と最後の夜を過ごすようだ。

 もう一度インターホンが鳴った。モニターには悠成の姿が映っていた。
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