裸の瞳

佐治尚実

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第一章

4.別荘

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 高校卒業後、裕貴はプロ入りして二年後に一軍と合流した。高卒新人の裕貴はまだ寮暮らしだ。あと三年しないと退寮できないと嘆いていた。それも日頃の活躍で予定よりも早く出られそうだ、と電話で喜々として話していた。
 大地がついでに悠成と同居をしていると伝えたら、裕貴の態度が激変した。それからは時間さえあれば大地に連絡を寄越してくる。口を開けば『星野との同居を解消しろ』と叱ってくる。裕貴は明らかにおかしい。スポーツ選手のメンタルは繊細だ。余計な心配をかけさせただろうか、と大地は困惑していた。悠成とは同じ大学に通って、家賃を折半して大学の近くで同居もしている仲だ、と裕貴に教えたらどうなるのだろう。怖いから黙っておこう。
 大地は八月の初めに登板予定の裕貴を、家族全員で応援しに行く予定だ。
 それまでは悠成の別荘で過ごすことになった。高校の二年と三年の夏は、悠成からの誘いを全て断った。その代わり大阪の親戚の家に泊まって、裕貴の応援に駆けつけた。そのせいなのか悠成の機嫌は激しく急降下し、大地の携帯電話に延々と恨み言を寄越した。大学からは、共に夏を過ごすようになったことが関係あるのか、悠成の機嫌が悪くなることはなかった。

 夏は大雨で始まった。大学一年の夏から、星野家の別荘を利用していた。今年も悠成と大地の二人だけだと聞き、さすがに尻込みをした。それでも悠成の願いだったから断れなかった。

「寝間着ってある?」

 二階の寝室で荷ほどきをしていたら、悠成がペットボトルの飲み物を持って上がってきた。

「うん、二着しか持ってきてないけど」
「それなら、洗濯すればいいね、ガウンもあるし、なんなら大地に似合う寝間着を買ってもいいよ」

 大地、と悠成は親しげに呼んでくれるようになった。それなのに、大地はまだ他人行儀だ。これの方がしっくりくるのは、距離感の問題だろうか。

「星野くん、ありがとう、買うって、いいよ」

 悠成から冷えたグレープフルーツ味のジュースを受けとり、一口二口飲んだ。

「そんなこと言わないで、ほら、この服だけで過ごすには足りないよ、大地、買いに行こうよ」

 背後から抱きしめられて、キャリーバッグの中身に文句を言われる。

 距離が縮まったから余計に、彼からのスキンシップも嫌な気がしなかった。さすがに最初こそ、悠成に体を触れられて驚いたものだ。「裕貴じゃないんだから、友達はこんなことをしないよ」と伝えたら、「恋人と別れたばかりだから、人恋しいんだ」と泣きそうな顔で説明された。それならしようがない、といつも失恋中な悠成の好きにさせている。悠成に触れられるのも慣れてきたくらいだ。それでも胸がむずむずと騒ぐ。

「三日後に帰るし、これで十分だよ、気持ちだけでもありがとう」

 大地の腹の前で交差する腕の力が強まる。

「試合はテレビで見ようよ、野外は暑いよ」
「苦しいって」

 そう、大地がたしなめるように悠成の腕に触れる。すると、すんなり拘束が解かれた。

「ごめん」

 外で雨の音がする。窓を閉め切った部屋では冷房が効いているからか、大地の喉がひりつく。手元のジュースで喉の引っかかりを取ろうとした。身体の中に流れ込んでも、どこか違和感が残った。

「裕貴は大事な友達だから、応援をしたいんだ」

 悠成の我が侭が珍しかったから、心配で彼に向き合った。

「それに裕貴がすごい席を用意してくれたんだよ、両親と一緒に見に行くんだ、家族全員での外出は久しぶりだから楽しみにしてる」

 入退院を繰り返していた母が、ようやく外出できるようになった。

「そうだったね」

 よどんだ目をした悠成は、しきりに大地の手に触れてくる。だから大地は反射的に、彼の手を取って、真っ直ぐ視線を合わせた。

「星野くん、どうしたの?」

 大地が聞く。と、悠成は口をパクパクさせ、どこか諦めた顔をして顔を伏せた。

「もう一緒に暮らして二年たつんだよ、呼び捨てでいいから、下の名で呼んでよ」

 悠成が顔を上げた。

「い、いいの?」

 大地は自然と相好を崩した。悠成は大学の親しい友人にも名字で呼ばせている。誰かがなれなれしく悠成と呼んだ途端、彼の機嫌が悪くなる。だからか、いくら同居している身だとしても、悠成の張っている境界線を越えたら駄目なことくらい分かっていた。だからだろう、悠成に受け入れられた気がしてうれしかった。

「大地だけ、ねぇ、呼んで」

 手を、額を重ねてきた悠成が、艶っぽい声を出す。

「悠成」

 なんのためらいもなく、彼の名を呼べた。

「嬉しい」

 悠成はどこか照れた顔をする。次に目に涙を浮かべた。本人も動揺しているようで、

「あれ、どうしたんだろう、無性に悲しい」

 頬を伝う涙を指ですくい、不思議な顔をした。

「どうしたの、やっぱり呼び捨ては駄目だった?」
「違う、分からない、なんか分からないんだ」

 額をこすり合わせてくる。骨が削られるようだ。

「もっと近付いても良いのかなって、俺さ、大地の笑ってる顔が好きだから、俺がそれを壊しちゃうからだと思う」

 大地は刹那のうれしさに動かされて、胸がはち切れそうだった。
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