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大阪の女(ひと)
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ここは中部地方の田舎にあるK大学、大多数の学生は東海三県や北陸三県出身である。綾は四国出身、洋美は大阪出身の、いわばK大学におけるマイノリティであった。
ある日の朝、綾は校内でばったり洋美に出くわしたので、母親から来たLINEの内容を披露した。
「うちのお父さん、今朝、ヘアースプレーと間違えて頭にエイトフォーを吹いて、『固まらん、固まらん』って嘆いてたんだって。」
すると、洋美は「なんや、その程度か。」と鼻で笑ってこう切り返した。
「うちのオカンなんか、歯磨き粉と間違えて洗顔フォームで歯を磨いてな、口から泡吹いてカニみたいやったわ。」
綾は何となく疑問に思って尋ねた。
「やっぱりスクラブ入りだと、歯の汚れもよく落ちるのかな?」
洋美は不機嫌そうな表情で答えた。
「知らんわ、そんなん。むしろ歯と歯の間にスクラブ詰まりそうやな。」
不機嫌なのは、きっとオチが思いつかないからだろう、と綾は察して別の話をする。
「そういや洋美ちゃん、いい靴履いてるな。」
洋美の靴は、この日はいつものボロボロのスニーカーではなく、かっちりとしたショートブーツだったのだ。
「そうや、これ安かってん。この間実家に帰ったときに買うたった。船場で二千円!」
またしても洋美のドヤ顔が見られたので、綾は安心した。
「いいよね、大阪は安くていい物が買えて。」
「まだモノがいいかどうかは履き始めやから分からんけど、今のところうちの足にはぴったりや。」
洋美は満足そうに笑みを浮かべた。
ある日、綾は洋美に、「綾ちゃんに相談があるねん」とLINEで近くのファミレスに呼び出された。二人はドリンクバーとパフェを注文し、話をすることにした。
「洋美ちゃん、相談って何?」
洋美は深刻な顔をして言った。
「あのな、うち、どうもこの学校の人達と笑いのツボがずれてる気がするねん。ずれてないの、綾ちゃんくらいだと思うわ。どうしよう。」
彼女の話によると、彼女が大学の同級生やサークルの人間に対し、笑わせようと思って発した言葉がことごとくすべってしまい、逆に真面目に話をしようとしたときに相手に笑われてしまうのだという。
「綾ちゃん、うち、このおかげで入学のときからストレスマックスやねん。最近は何だかうちのほうが間違ってるような気がしてきた。」
綾も、正直なところ似たような経験をしていた。しかし、地域差によるものだろうと深く考えないで生活していたのだった。
「もうしょうがないよ、全く笑いのツボが違う土地柄だと思うしかない。」
綾は宥めたが、洋美は納得がいかないようだった。
「せやけど、この辺の人も吉本のお笑いとかテレビで見てるんやろ? 笑いのツボが違うんなら、みんなどこでどうやって笑ってんの?!」
知らんがな、と綾は言いかけたが、とりあえず優しくしようと思った。
「きっと、この辺の人たちは、洋美ちゃんが笑わないところで、違うように笑ってるのよ。受け取り方は自由だもん、仕方ない。」
洋美は半ば泣きそうな顔をしていた。
「どうしよう、うち、外国に一人でいてるみたい。」
「大丈夫、一人じゃない、私がいるんだから。」
綾がそう言うと、洋美は綾の手をしっかり握って言った。
「綾ちゃん、綾ちゃんだけは絶対に見捨てんとってや!」
そのひと月後、洋美には京都出身の彼氏ができたという。
「やっぱり、笑いのツボが同じなところがええんよ。」
洋美は惚気けていた。しかし、彼女は三か月後にはその彼氏とケンカ別れをしたと綾に話してきた。
「どうして? 笑いのツボは同じだったんでしょ??」
洋美は憮然とした顔をして言った。
「笑いのツボは同じでも、こう、何考えてるのか分からんところがあかんかったわ。あかん、京都は。」
洋美は根っから大阪が好きなのだな、と綾は思った。しかし、それなら何でこんな大学に来たのか?
「うちな、ずっと大阪の街中で育ったから、逆にこういう自然がいっぱいのところで四年間落ち着いて生活してみたかったんや。」
いつか洋美が言ったセリフである。しかし、慣れない環境で彼女は落ち着くどころかストレスを貯めているではないか。結局、洋美は休みの度に大阪に帰省し、あまり落ち着きのない生活を送っている。
「綾ちゃん、やっぱりうちには大阪が一番やと悟ったわ。ほら、昔の歌で、大阪で生まれた女やから東京へはよう行かん的なのあったやん? 東京どころか、うちはここにも適応できんのや。」
40年も前の曲を引っ張り出してきて、洋美は自分を正当化しようとしていた。それほど彼女は疲れていたのだ。
「なら、就職は地元?」
綾は何となく聞いてみた。
「当然や! 地元の企業に就職して、地元で結婚して、地元で婆ちゃんになって、地元で死ぬ。大阪でいっぱい美味しいもの食べて、大阪でいっぱい笑うて、楽しく生きていくんや。最高やろ?」
綾はゲラゲラ笑った。しかし、洋美は口を尖らせて不満を述べた。
「そこ笑うところちゃうやん! 何で綾ちゃんまでこっちの人みたいに、笑わんでいいところで笑うの?」
綾は「ごめんなさい」と謝るしか無かった。
ある日の朝、綾は校内でばったり洋美に出くわしたので、母親から来たLINEの内容を披露した。
「うちのお父さん、今朝、ヘアースプレーと間違えて頭にエイトフォーを吹いて、『固まらん、固まらん』って嘆いてたんだって。」
すると、洋美は「なんや、その程度か。」と鼻で笑ってこう切り返した。
「うちのオカンなんか、歯磨き粉と間違えて洗顔フォームで歯を磨いてな、口から泡吹いてカニみたいやったわ。」
綾は何となく疑問に思って尋ねた。
「やっぱりスクラブ入りだと、歯の汚れもよく落ちるのかな?」
洋美は不機嫌そうな表情で答えた。
「知らんわ、そんなん。むしろ歯と歯の間にスクラブ詰まりそうやな。」
不機嫌なのは、きっとオチが思いつかないからだろう、と綾は察して別の話をする。
「そういや洋美ちゃん、いい靴履いてるな。」
洋美の靴は、この日はいつものボロボロのスニーカーではなく、かっちりとしたショートブーツだったのだ。
「そうや、これ安かってん。この間実家に帰ったときに買うたった。船場で二千円!」
またしても洋美のドヤ顔が見られたので、綾は安心した。
「いいよね、大阪は安くていい物が買えて。」
「まだモノがいいかどうかは履き始めやから分からんけど、今のところうちの足にはぴったりや。」
洋美は満足そうに笑みを浮かべた。
ある日、綾は洋美に、「綾ちゃんに相談があるねん」とLINEで近くのファミレスに呼び出された。二人はドリンクバーとパフェを注文し、話をすることにした。
「洋美ちゃん、相談って何?」
洋美は深刻な顔をして言った。
「あのな、うち、どうもこの学校の人達と笑いのツボがずれてる気がするねん。ずれてないの、綾ちゃんくらいだと思うわ。どうしよう。」
彼女の話によると、彼女が大学の同級生やサークルの人間に対し、笑わせようと思って発した言葉がことごとくすべってしまい、逆に真面目に話をしようとしたときに相手に笑われてしまうのだという。
「綾ちゃん、うち、このおかげで入学のときからストレスマックスやねん。最近は何だかうちのほうが間違ってるような気がしてきた。」
綾も、正直なところ似たような経験をしていた。しかし、地域差によるものだろうと深く考えないで生活していたのだった。
「もうしょうがないよ、全く笑いのツボが違う土地柄だと思うしかない。」
綾は宥めたが、洋美は納得がいかないようだった。
「せやけど、この辺の人も吉本のお笑いとかテレビで見てるんやろ? 笑いのツボが違うんなら、みんなどこでどうやって笑ってんの?!」
知らんがな、と綾は言いかけたが、とりあえず優しくしようと思った。
「きっと、この辺の人たちは、洋美ちゃんが笑わないところで、違うように笑ってるのよ。受け取り方は自由だもん、仕方ない。」
洋美は半ば泣きそうな顔をしていた。
「どうしよう、うち、外国に一人でいてるみたい。」
「大丈夫、一人じゃない、私がいるんだから。」
綾がそう言うと、洋美は綾の手をしっかり握って言った。
「綾ちゃん、綾ちゃんだけは絶対に見捨てんとってや!」
そのひと月後、洋美には京都出身の彼氏ができたという。
「やっぱり、笑いのツボが同じなところがええんよ。」
洋美は惚気けていた。しかし、彼女は三か月後にはその彼氏とケンカ別れをしたと綾に話してきた。
「どうして? 笑いのツボは同じだったんでしょ??」
洋美は憮然とした顔をして言った。
「笑いのツボは同じでも、こう、何考えてるのか分からんところがあかんかったわ。あかん、京都は。」
洋美は根っから大阪が好きなのだな、と綾は思った。しかし、それなら何でこんな大学に来たのか?
「うちな、ずっと大阪の街中で育ったから、逆にこういう自然がいっぱいのところで四年間落ち着いて生活してみたかったんや。」
いつか洋美が言ったセリフである。しかし、慣れない環境で彼女は落ち着くどころかストレスを貯めているではないか。結局、洋美は休みの度に大阪に帰省し、あまり落ち着きのない生活を送っている。
「綾ちゃん、やっぱりうちには大阪が一番やと悟ったわ。ほら、昔の歌で、大阪で生まれた女やから東京へはよう行かん的なのあったやん? 東京どころか、うちはここにも適応できんのや。」
40年も前の曲を引っ張り出してきて、洋美は自分を正当化しようとしていた。それほど彼女は疲れていたのだ。
「なら、就職は地元?」
綾は何となく聞いてみた。
「当然や! 地元の企業に就職して、地元で結婚して、地元で婆ちゃんになって、地元で死ぬ。大阪でいっぱい美味しいもの食べて、大阪でいっぱい笑うて、楽しく生きていくんや。最高やろ?」
綾はゲラゲラ笑った。しかし、洋美は口を尖らせて不満を述べた。
「そこ笑うところちゃうやん! 何で綾ちゃんまでこっちの人みたいに、笑わんでいいところで笑うの?」
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