陽炎のような、恋をした

真弓りの

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そんな日が、ずっと続くと思っていた

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こんな恋に進展なんかある筈もなく、私はさらにそれから2年もの月日、彼を見守り続けた。今や私も俗に言うアラサーである。立派に嫁き遅れてしまったけど、こればっかりはどうしようもない。

だってあれ以来、彼……保さん以外にどうしたってときめかないんだから。

保さんは相変わらず、あの交差点で誰かを守っては少しずつ綺麗になっていく。私は歳をとっていくばっかりなのに皮肉なものね。

事故当時22歳で時を止めてしまった保さんより、今じゃ完全に私の方が年上になってしまった。この差はもう広がっていく一方でホント切ないったらないんだけど、それでもあの交差点を通る時はついおしゃれだってするし、少しだけ歩きにくい高いヒールを選んでしまう。

我ながら健気だ。



そんな日が、ずっと続くと思っていた。

彼の未練や後悔があのこびり付いていた血糊だとしたら 、それは少しずつ浄化されている。ただ、それはとてもゆっくりとしたもので、私の命が終わるのが先か、彼が浄化されてあの交差点から解放されるのが先か、それくらい遠い日の話だろう。

できれば私が死ぬまでに、彼が成仏して天に昇るのを見届けられればいいな、なんて。

そう、思い込んでいた。
あの日までは。



なんという巡り合わせだろう、あの日私は……彼が劇的に浄化する瞬間を見てしまった。

いつものように交差点を渡って、お気に入りのカフェにむかおうとしていた時だった。

後ろからたくさんの悲鳴が聞こえて、振り返った私の目に、信じられない光景が飛び込んで来た。

居眠り運転の車が交差点に突進してくる瞬間だった。

しかも、交差点の真ん中には、小さな男の子。それはあわや跳ね飛ばされるのでは、というまるで保さんが死んでしまった時みたいに絶望的な状況で。

ただ、違うのは保さんが普通の肉体を持っていなかったこと。保さんは一瞬のうちに車の中のドライバーに働きかけた。切り裂くようなブレーキ音と、怒号。衝突音。悲鳴。こげたような匂い。

これまでこの交差点でおこった小さな事件達が脳みそから追い出されてしまうくらい、衝撃的な光景だった。

でも。
車は大きく弧のブレーキ痕を残して、ガードレールにぶつかって止まっている。

私は息をのんで状況を見守ることしかできなかった。それはきっと、その場に居合わせた全ての人が同じだったんだろう。不思議な程の静寂があたりを包んでいた。

ギギ……と軋むような音を立てて、車のドアが開く。


ああ……良かった、運転手さん、生きてる。エアバッグのおかげもあって、軽症で済んだみたいだ。頭を押さえながらよろよろと運転席から出てくるのを見て、安心感に足が震えた。

そして、小さな男の子は、尻餅をついてまっ青な顔で震えているけど……怪我、してない。かすり傷さえ負っていない。それを目にした保さんは、目を細めて、心底嬉しそうに笑った。この5年で、最高の笑顔だった。


ああ、保さんは今度こそ、子供を守ったんだ。 



そう思った瞬間彼の体が光り、見る間に血糊が消えていく。
彼の心残り、彼の未練がたった今、大きく解消されたんだ。それはとても喜ばしく、そして残酷な瞬間だった。


彼が、消えてしまうのかと……私はその時確かに恐怖した。

彼が心残りから解放される喜ばしい瞬間は、私にとって彼が自分の前から永久に消えてしまう瞬間かも知れない。分かっていた筈なのに、初めてそう実感をもって思い知らされてしまったから。


彼の体にもはや明確に血だと分かるほどの 血痕はない。薄れて、染抜きに失敗した痕みたいになってる。保さんの心残りは、もう僅か。

彼は、確実に私よりも先に天国へと旅立ってしまうだろう。

それは、きっと遠い未来の話じゃない。下手すれば明日かも知れない。そう恐怖する程、彼の血痕は薄く、薄くなっていた。私が見ていないところで浄化して、ある日突然、この交差点から彼の姿がなくなっていたら?


想像した瞬間に、胸がギュウっと絞られて、喉から嗚咽が漏れた。


こうして幸せそうに子供の頭を撫でて、なんだかわからないけど優しげに話しかけている保さんを、もう二度と見る事ができなくなるのかもしれない。


そう思うと……彼がそれで苦しみから解放されるというのに、私は涙が止まらなかった。 
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