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五十五話
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伊織は外記に殺せと命令された二人を、こっそり生かしておいた。
死んだふりをしろと囁き、血を見せる為浅手を負わせ、後で猜疑心の強い外記を信用させる為、伊織は自分が手を汚して見せねばならなかったと話した。
右近に手紙の偽物を用意する事、本物は滞在していた部屋に置いておくように指示し、外記の目の前で燃やしたのは偽物だった。
真実を明かされ、怒る三郎に伊織は「お主は単純だからの。あらかじめ説明していたら、その素振りでバレてしまうわ」とすました物だったのだが……。
目障りな三郎と右近と手紙が消え、時が稼げると油断した外記は吉原へ行った。
自分の為に手を汚した(と思っていた)伊織に外記の口は軽くなり、吉原の白雪太夫を明日の夜に手に入れると自慢げに話したのである。
家老が上屋敷に居ない方が、右京が来やすいと考え、道場の田代平介にその事をしたため手紙をやった。
疑うなら右近の部屋に本物の書状がある筈だと。
平介からそれを聞いた右京は、万一罠かも知れない場合に備えて、長崎屋に断りを入れたのだった。
右京は伊織の言う通り、外記が出掛けるのを確認し、平介はその時、外記に知らせに走る者が必ず出るので、その者を阻止する役目を負った。
三郎と右近は外記がとぼけた時の為に、証人として、今日戻って来たのだった。
右近は泣いた。「……伊織、お主は……!」
自ら右京の為に露払いをした間宮伊織は、そのくせ自分がそのまま彼に仕える事を潔しとしなかった。
右京に刀を向けた事を自分で許せなかったのである。
「……殿……お先に」
……コトリと首が落ちた。
「伊織!」
右近が伊織を揺さぶったがもう事切れていて、返事はない。
彼の死に顔は満足げな微笑みを浮かべている。
「馬鹿め……!」
その声に三郎と右近が顔を上げた。
……見れば右京が目に涙を湛えているではないか……。
「馬鹿だ……!伊織はこれが忠義だと満足して死んだのだろうが……何が“忠義“だ……!」
「右京様…!?」
右近と三郎は右京が伊織を怒る理由が分からず戸惑う。
右京は二人を睨み据えた。「俺が……こんな事をされて喜ぶと思うのか……!?何故分からぬのだ?忠義、忠義と口にするなら、何故、この俺が一番悲しむ事をするのだ……!」
彼は駄々をこねる子供のように、地団太を踏む。
「三郎!右近!そなた達もだ!何故、俺の為だと勝手に行動し、危険な目に……命を捨てる真似などするのだ?……俺の為になど、自分の一つしかない大事な命をたやすく捨てるでない……!俺は……!死んだ忠臣など欲しくはないわ!」吠えるように叫んだ。
やはりこの方は……!
三郎は湧き上がる思いで胸が一杯になった。「右京様……!」
彼は跪くと死んだ伊織を抱きしめ「伊織の馬鹿め!大馬鹿だ!勝手に1人で決めて勝手に死におった!……俺の…!残された俺の気持ちなど考えず……阿呆ぅ!」
右京は身を揉むように泣いた。
伊織の遺体が三郎と右近の手で運ばれ、部屋は兄弟2人だけになった。
「……右京、許せ」
ポツリと言う忠広。
「兄上が謝る事などありませぬ」
「……いや、余はそなたに嫉妬しておったのだ。……健康な身体、闊達な気性にの。外記が勧めたお美代を受け入れたのも、そなたが断ったからだ。外記はまだ生きている余より、そなたを選んだのだと……もう、次の代を考えている……それが悔しくての……。愚かであったわ……」
思いがけない兄の述懐だった。
「兄上……」
「生来身体が弱く、小さな時のおたふく風邪で子も望めぬかも知れぬ……ならば何の為にこの世に生まれ来たのか....…せめてもの証が欲しゅうなったのよ……お美代の男の噂も知らぬでは無かったが、生まれた千代菊丸は我が子と信じたかった……。だが、もう終わったの……。余がしたのは、外記の専横を後押しし藩の混乱を招いた事だけじゃ……。結局、余の愚かさが伊織を死なせた……」
病身な兄が生の証しを求めたとして、どうして責められよう?
「兄上……!」
忠広は弟へ儚く微笑んだ。「……右京、藩を頼む。民百姓を頼む」
右京は手をつき平伏した。「……承りました。この力の及ぶ限り……」
「伊織が自害し、外記は死罪になる。あ奴の下で動いていた家中の者の処分だが……。右京、そなたならどうするつもりだ?」
右京は顔をしかめた。「真から千代菊丸の為にと動いた者もおりましょう……それがお家の為の忠義だ……。まさか全員重罪に問う事も出来ますまい」
そんな弟をおかしそうに見た忠広。「……そなた、本当に忠義が苦手だのう。伊織の口書き(調書)と三郎の友人が捕まえた者から、誰が外記に組していたかは分かっておるが……」
「……この場合、積極的に外記の汚職に関与し、私腹を肥やした者はお役御免、家禄引き下げにすべきでしょうな。後は状況を鑑みて謹慎が相応しいかと……軽々しい振る舞いで、お家の混乱を助長した故……そういう事では如何?」
兄は彼の答えに満足そうに頷いた。「そうだの。罪を明らかにし、処罰せねば。とりあえず犯罪に関わっていない者については、余がその者達に、直に謹慎を申し渡す故、そなたが藩主の座に着いたおりに、恩赦として解いてやるが良い」
自分が死んだ後、解放してやれと言っているのだ。
死にゆく者が厳しく処断した罪人を、新しい藩主の右京が温情を持って扱えば人心が集まり易い。
謹慎や減俸の恨みも、全て自分が背負い、あの世に持って行く……
彼も伊織のように、弟の治世の露払いをするつもりだった。
右京の目から涙が滴り落ちた。
「……泣くな。それしかもう出来る事はないからの」
死んだふりをしろと囁き、血を見せる為浅手を負わせ、後で猜疑心の強い外記を信用させる為、伊織は自分が手を汚して見せねばならなかったと話した。
右近に手紙の偽物を用意する事、本物は滞在していた部屋に置いておくように指示し、外記の目の前で燃やしたのは偽物だった。
真実を明かされ、怒る三郎に伊織は「お主は単純だからの。あらかじめ説明していたら、その素振りでバレてしまうわ」とすました物だったのだが……。
目障りな三郎と右近と手紙が消え、時が稼げると油断した外記は吉原へ行った。
自分の為に手を汚した(と思っていた)伊織に外記の口は軽くなり、吉原の白雪太夫を明日の夜に手に入れると自慢げに話したのである。
家老が上屋敷に居ない方が、右京が来やすいと考え、道場の田代平介にその事をしたため手紙をやった。
疑うなら右近の部屋に本物の書状がある筈だと。
平介からそれを聞いた右京は、万一罠かも知れない場合に備えて、長崎屋に断りを入れたのだった。
右京は伊織の言う通り、外記が出掛けるのを確認し、平介はその時、外記に知らせに走る者が必ず出るので、その者を阻止する役目を負った。
三郎と右近は外記がとぼけた時の為に、証人として、今日戻って来たのだった。
右近は泣いた。「……伊織、お主は……!」
自ら右京の為に露払いをした間宮伊織は、そのくせ自分がそのまま彼に仕える事を潔しとしなかった。
右京に刀を向けた事を自分で許せなかったのである。
「……殿……お先に」
……コトリと首が落ちた。
「伊織!」
右近が伊織を揺さぶったがもう事切れていて、返事はない。
彼の死に顔は満足げな微笑みを浮かべている。
「馬鹿め……!」
その声に三郎と右近が顔を上げた。
……見れば右京が目に涙を湛えているではないか……。
「馬鹿だ……!伊織はこれが忠義だと満足して死んだのだろうが……何が“忠義“だ……!」
「右京様…!?」
右近と三郎は右京が伊織を怒る理由が分からず戸惑う。
右京は二人を睨み据えた。「俺が……こんな事をされて喜ぶと思うのか……!?何故分からぬのだ?忠義、忠義と口にするなら、何故、この俺が一番悲しむ事をするのだ……!」
彼は駄々をこねる子供のように、地団太を踏む。
「三郎!右近!そなた達もだ!何故、俺の為だと勝手に行動し、危険な目に……命を捨てる真似などするのだ?……俺の為になど、自分の一つしかない大事な命をたやすく捨てるでない……!俺は……!死んだ忠臣など欲しくはないわ!」吠えるように叫んだ。
やはりこの方は……!
三郎は湧き上がる思いで胸が一杯になった。「右京様……!」
彼は跪くと死んだ伊織を抱きしめ「伊織の馬鹿め!大馬鹿だ!勝手に1人で決めて勝手に死におった!……俺の…!残された俺の気持ちなど考えず……阿呆ぅ!」
右京は身を揉むように泣いた。
伊織の遺体が三郎と右近の手で運ばれ、部屋は兄弟2人だけになった。
「……右京、許せ」
ポツリと言う忠広。
「兄上が謝る事などありませぬ」
「……いや、余はそなたに嫉妬しておったのだ。……健康な身体、闊達な気性にの。外記が勧めたお美代を受け入れたのも、そなたが断ったからだ。外記はまだ生きている余より、そなたを選んだのだと……もう、次の代を考えている……それが悔しくての……。愚かであったわ……」
思いがけない兄の述懐だった。
「兄上……」
「生来身体が弱く、小さな時のおたふく風邪で子も望めぬかも知れぬ……ならば何の為にこの世に生まれ来たのか....…せめてもの証が欲しゅうなったのよ……お美代の男の噂も知らぬでは無かったが、生まれた千代菊丸は我が子と信じたかった……。だが、もう終わったの……。余がしたのは、外記の専横を後押しし藩の混乱を招いた事だけじゃ……。結局、余の愚かさが伊織を死なせた……」
病身な兄が生の証しを求めたとして、どうして責められよう?
「兄上……!」
忠広は弟へ儚く微笑んだ。「……右京、藩を頼む。民百姓を頼む」
右京は手をつき平伏した。「……承りました。この力の及ぶ限り……」
「伊織が自害し、外記は死罪になる。あ奴の下で動いていた家中の者の処分だが……。右京、そなたならどうするつもりだ?」
右京は顔をしかめた。「真から千代菊丸の為にと動いた者もおりましょう……それがお家の為の忠義だ……。まさか全員重罪に問う事も出来ますまい」
そんな弟をおかしそうに見た忠広。「……そなた、本当に忠義が苦手だのう。伊織の口書き(調書)と三郎の友人が捕まえた者から、誰が外記に組していたかは分かっておるが……」
「……この場合、積極的に外記の汚職に関与し、私腹を肥やした者はお役御免、家禄引き下げにすべきでしょうな。後は状況を鑑みて謹慎が相応しいかと……軽々しい振る舞いで、お家の混乱を助長した故……そういう事では如何?」
兄は彼の答えに満足そうに頷いた。「そうだの。罪を明らかにし、処罰せねば。とりあえず犯罪に関わっていない者については、余がその者達に、直に謹慎を申し渡す故、そなたが藩主の座に着いたおりに、恩赦として解いてやるが良い」
自分が死んだ後、解放してやれと言っているのだ。
死にゆく者が厳しく処断した罪人を、新しい藩主の右京が温情を持って扱えば人心が集まり易い。
謹慎や減俸の恨みも、全て自分が背負い、あの世に持って行く……
彼も伊織のように、弟の治世の露払いをするつもりだった。
右京の目から涙が滴り落ちた。
「……泣くな。それしかもう出来る事はないからの」
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