お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

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四十六話

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思惑が外れ、家老の機嫌がだんだん悪くなっている。


山城屋は料理にあたったと難癖を付け、そんな危ない料理を出すとは、と奉行所に訴えると脅し、鈴代屋を追い込もうと考えていた。


主の苦難を助けたければ、白雪太夫に言う事を聞けと迫るつもりだったのである。


元々傲慢な性格の男が、思い通りにならぬ事に苛立ち始め、雲行きが怪しい事を鈴代屋の者達は感じていた。


若い花魁が怯え出す。

家老の狼藉っぷりは以前の宴で骨身に染みていた。


雰囲気が悪い事この上ない。


「何だ?この通夜のような席は……!おい、そこの女!名は何だ?」


間が悪い事に指名されたのは、妹花魁の中では一番性格が大人しい吉野だった。


あまり物怖じしない春菜や、おきゃんな松尾なら、まだマシだったのだろうが……。


彼女はビクビクしながら「よ、吉野でありんす」震え声で名乗った。


「吉野か。よし儂の杯に注げ!」


「あ、あい。只今」


ガチガチに緊張した吉野が立ち上がった時、よろめいて着物の裾を踏んでしまった。


「きゃあ!」


ガチャガチャと派手な音を立てて倒れ込む。



……シーンとする座敷。


あろう事か、家老の顔と着物がベッタリと飛び散った料理で汚されて鬼のような形相になった。「……おのれ…!」


「ひ…!」


藤兵衛は慌てて家老に詫びた。「も、申し訳ございませぬ。とんだ粗相を……!」


吉野もガタガタ震え平伏している。「お、お許しを……!」


ここぞとばかり山城屋が怒鳴った。「鈴代屋!身分ある方に何という大失態!」


家老も輪をかけて怒鳴る。「武士の面体を……!この女許せぬ。刀を持て!無礼討ちにしてくれるわ!」


花が打ち捨てられたごとく、吉野は畳に額を擦り付け、謝罪した。「お、お許し下さい……!」


藤兵衛も必死にとりなすが、元々彼らはいちゃもんをつける機会を狙っていたのだ。聞く訳もない。


用心をしていた藤兵衛だったが、吉野の、つまり見世側の粗相なのは明らかなので、ひたすら謝るしか無かった。


吉野は真っ青になり、今にも失神しそうである。


これが粋な長崎屋ならば、ここまで花魁をやり込める事はしない。


笑って『吉野は元気が良いな。仕方ない、お前の着物でも借りるかの』と本当に彼女の打ち掛けでも羽織り、おどけて済む話だ。


「さて、鈴代屋さん。この無礼の始末、どう着けなさる?」迫った山城屋。


「……今日のお代は結構でございます。そのお着物も弁償致しましょう。後は見舞金を」


顔を拭った家老「それで済む事か。この女は無礼討ちにする。早よう刀を持て!」


さすがに見かねて白雪太夫が口を挟んだ。

「ご家老様、お願いでありんす。吉野のご無礼、ひらにお許しを。この通りでありんす」伏して願う。


してやったり。


「……ほう、なら吉野太夫。そちが代わりに謝ると?」


「あい、わちきに免じまして何とぞ……」


涙目の吉野が驚きの声を上げた。「あ、姉様……!」


家老はニンマリと笑った。「……麗しき話だのぅ。では、白雪太夫、ではそなたの身体で返して貰おうかの。嫌とは言わせぬぞ」


「……それで吉野はお許し頂けるのでありんすか?」


「……考えておこう。そなたの態度次第よ」


吉原一の太夫、白雪太夫が、この様な形で枕席に侍るなど、本来あってはならない事なのだ。


だが、そうしなければ、この家老の事だ。本当に松尾は殺されてしまうだろう。


実際に無礼討ちの理由には十分だからだ。


それに妹花魁の危機を優しい白雪太夫は見過ごせまい。


吉原の誇りをこのように踏みにじる、家老と山城屋に怒りを禁じ得ない藤兵衛。


決意を固め、白雪太夫は答える「……ご家老様のお望みのままでありんす。その代わり、吉野をお許しなんして……何とぞ……」ほっそりした両手をつき、頭を垂れる。


彼女の名前の如く、白い雪のような肌が襟足から覗いた。


欲望を刺激された家老は、ゴクリと生唾を飲み、了解のしるしに頷く。


やんぬるかな(※今となっては、どうしようもないの意)

……藤兵衛は目を瞑った。

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