お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

文字の大きさ
上 下
33 / 65

三十三話

しおりを挟む
友人と別れ、屋敷に戻った三郎は、早速伊織を探した。


ちゃんと門限前である。


しかし、伊織は出掛けていると言う。


舌打ちしたい思いの三郎。


結局、門限ギリギリになって戻って来た彼に「人には遅くなるなと言っておいて、自分は門限に近い刻限とは、良い度胸だの、間宮」と皮肉った。


それに対し、「所用だ」とだけ答えた伊織は、サッサと通り過ぎようとする。


「待て」三郎は彼の肩を掴んだ。「お主に大事な話がある」


伊織は目を細め、自分の肩から三郎の手を外そうとした。「……某には無い。離せ」


警戒しているようだった。


「……お主が真に忠義者なのかどうかの分かれ目だ。まあ、聞け」


伊織は眉をあげた。


「そう、お主の忠義だ」


三郎は屋敷の使っていない部屋に伊織をいざなった。


「……某の忠義とはどういう意味だ?」伊織は三郎を問い詰めた。


「……お主の忠義は、藩、殿、若君千代菊丸様にある。幼い千代菊丸様の為に、お主は外記の駒になっておる。違うか?」


伊織は、己の忠義の寄りどころ………信じる物を言い返した。「……たとえ幼くても、千代菊丸様こそが殿の正当なお世継ぎ。ではないか?それをお主らは……」


「結局は誰かの傀儡になりかねぬからの。だからこそ我らは右京様を推したが、その右京様を消そうとお主は図った。……この間の山田や瀬川の怪我は返り討ちにされたな?」


むっつりと黙り込んだ伊織。

その沈黙こそが、雄弁に右京の命を狙ったと語る。


「優しい右京様は、お主らの命は取らなかった。違うか?」


「……本田、話はそれだけか?そうよ、右京様自体は確かに立派な方だ。だが千代菊丸様にはあの方が居る事が……」


「その千代菊丸様だがな、亡くなられたぞ、間宮」


衝撃の告白。


「!」

伊織は信じられぬと目を見開く。


三郎は穏やかに説明してやった。「今日、俺はの、国元から来た佐々木右近と会っていた。城代家老の稲垣頼母様の手紙を殿にと携えて国元からやって来たのだ。デマでは無い。……流行病だそうだ」


呆然とする伊織「……亡くなられた……若君が」


「間宮、そこで俺はお主に問いたい。世継ぎの千代菊丸様は身罷り、殿の病は篤い。残念ながら回復はもう望めぬ。……なのに、まだお主は外記の駒になっているつもりか?お主が外記に付いたのは、若君があってこそだろう?だが、若君はもうおられぬのだ。やりたい放題の外記をこの儘にしておく事が、本当に藩の為になると思うのか?外祖父の立場を利用し、商人と結託し藩を喰い物にしているのだぞ?お主の忠義はどこにあるのだ?」


伊織は呻いた。


忠義を捧げるべき若君は死に、主君の命数は尽きている。


では、己のすべき事は……?


「間宮……今、右近は小池道場に寄宿しておる。殿に会わせたいのだ。外記には内緒でな。頼む。取り計らってくれ。外記に知られたら、己の保身の為に何をするか分からぬ」

三郎は必死で彼を口説いた。


しばしの沈黙の後……ようやく、伊織が頷いた。「……分かった。外記様外出のその折に。それと、お主に右京様の情報を教えよう。今日、屋敷出入りの同心から聞いたのだ。夕べ日本橋の大店の主が四人の浪人に襲われたが、それを助け、連中を叩き斬った侍の名前が……松永右京」

しおりを挟む

処理中です...